ニュース詳細
硫黄島の戦没者 日米合同の追悼式3月21日 22時14分
k10010023781_201503212300_201503212301.mp4
太平洋戦争の末期、日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われた小笠原諸島の硫黄島で、日米合同の追悼式が行われ、戦没者の遺族のほか、日本側から初めて閣僚2人が参列しました。
硫黄島では、太平洋戦争末期の昭和20年2月から3月にかけて日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われ、日本側でおよそ2万1900人、アメリカ側でおよそ6800人が犠牲になりました。
戦後70年となるなか、21日行われた日米合同の追悼式には、戦没者の遺族や政府関係者らおよそ550人が出席し、日本側からは塩崎厚生労働大臣と中谷防衛大臣が閣僚として初めて参列しました。
この中で、遺族でつくる「硫黄島協会」の寺本鐵朗会長は、「硫黄島での壮烈な戦いの記憶が風化しつつあるが、今日の平和は、国や家族を愛する戦士たちの犠牲と両国民のたゆまぬ努力の上に成り立っていることを忘れてはならない」と追悼のことばを述べました。そして、参列者の代表が、記念碑に献花したあと戦没者に黙とうをささげました。
式典のあと塩崎大臣は記者団に対し、硫黄島での遺骨収集について、「情報収集が何よりも大事であり、アメリカの国立公文書館のほか海軍と陸軍が持っている資料の調査を徹底的に行い、遺骨収集の事業に当たりたい」と述べました。
戦後70年となるなか、21日行われた日米合同の追悼式には、戦没者の遺族や政府関係者らおよそ550人が出席し、日本側からは塩崎厚生労働大臣と中谷防衛大臣が閣僚として初めて参列しました。
この中で、遺族でつくる「硫黄島協会」の寺本鐵朗会長は、「硫黄島での壮烈な戦いの記憶が風化しつつあるが、今日の平和は、国や家族を愛する戦士たちの犠牲と両国民のたゆまぬ努力の上に成り立っていることを忘れてはならない」と追悼のことばを述べました。そして、参列者の代表が、記念碑に献花したあと戦没者に黙とうをささげました。
式典のあと塩崎大臣は記者団に対し、硫黄島での遺骨収集について、「情報収集が何よりも大事であり、アメリカの国立公文書館のほか海軍と陸軍が持っている資料の調査を徹底的に行い、遺骨収集の事業に当たりたい」と述べました。