「わが顔ぶらさげて」−−私の落穂拾い : 鈴木 実 :北方出版 2000年4月15日


ムカサリ絵馬余聞

 

 いま、絵馬が全国的に静かなブームをよんでいると言われる。私の勤務して

いる天童市の中学校の学区に、最上三十三観音の第一番札所として知られる寺

がある。立鈴山若松寺である。この若松寺に、おびただしい数のムカサリ絵馬

が納められている。「ムカサリ」は、「向かえ去る」あるいは「向こうへ去る」

という語に由来するといわれる「婚姻」や「花嫁」を意味する地域語である。

病気や事故、戦争や災害などによって未婚のまま若死にした息子や娘の霊を

あわれんで、死んだ子の年をかぞえ、適齢期をむかえるころ、せめてあの世で

結ばれることを願って架空の婚礼の絵を描く。ムカサリ絵馬は供養絵馬のひと

つ。「幽婚」ともいわれる死後結婚は、遠く中国や朝鮮にその根源をたどるこ

とができるといわれる。それが、なぜ山形県村山地方一帯にかぎられ、いまな

おさかんな習俗として残っているのか。

 中山町岩谷観音を根拠とするオナカマの仏おろしによってはじめられたとい

う説もあるとのことだが、はっきりはしない。ただ現在見られるムカサリ絵馬

は、せいぜい明治期以降のものであり、そう古い習俗ではないのかもしれない。

が、経済的余裕と子どもの少なさを反映してのことか、最近ますますムカサリ

絵馬の奉納が増え、若松寺住職里見等順さんの話では、その保存が大変になっ

ているとのことである。

 天童市の伊藤チカさんは、全国的にも珍しい、そのムカサリ絵馬の絵師。伊

藤さんが最初にムカサリ絵馬を手がけたのは昭和二十年。戦死した、一つ年下

の弟さんを供養するためだった。絵ごころがあるわけでなし、上手でもなかっ

た。が、弟のことを想って一心不乱に絵筆を操ったという。それ以来どこから

ともなく絵馬の話がくるようになり、いまでは、年に十枚前後を描く絵師となっ

た。「あの世の仲人」と自認する伊藤さんのところには、いまは県内にとどま

らず、はるか遠隔の地からも依頼がある。

伊藤さんを訪ねたとき、「景気の良し、悪しがすぐわかる。絵馬の注文が減っ

てくる。やっぱり、生きている人間の方がだいじだからネ」と、現代の絵馬師

は屈託なく笑う。今年はまだ二枚しか注文がないとのことだった。まさに絵馬

の世界は人びとの心の内を曝す世界であり、ホンネの吐露である。

 それにしても、科学性と合理性が万能であるかの如き当世に、静かな絵馬ブー

ムがあることがおもしろい。それは、現在のさまざまな霊ブームともつながる

ものなのかもしれない。そして、その底には、奥深いところで、人の生きよう

につながる、人の祈りのすがたがあるように思えてならない。


                                     掲載誌紙 :河北新報「紅花路」

                                     初出年月日:平成4年4月6日

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