社会
坂本弁護士一家殺害-オウム凶悪事件の原点 教訓語り継ぐ
オウム真理教による地下鉄サリン事件から20日で20年。教団が手を染めた一連の凶悪事件の原点とされる坂本堤弁護士一家殺害事件を振り返り、教訓を語り継ぐ勉強会が13日開かれた。主催したのは横浜弁護士会と東京弁護士会。坂本弁護士と親交が深かった弁護士が口にした悔恨は事件が落とした影がなお晴れていないことを物語る。
1995年9月、新潟県の山中。捜査員が戸板に載せて運んできたのは坂本弁護士の遺体だった。捜索に立ち会った武井共夫弁護士は、その光景が忘れられない。「生きて帰れと、ずっと考えてきたから」。声を詰まらせると壇上に並んだ6人の目が潤んだ。
同じ事務所の先輩で、親友だった小島周一弁護士は坂本弁護士と酒を酌み交わし、あるべき弁護士像を語り合ってきた。
出家信者の親から相談を受け、教団と関わるようになっていた坂本弁護士。「オウムはとんでもない団体だ」と語る姿が忘れられない。
「教団は出家信者が親と会うことも禁じたが、坂本弁護士は、人間の成長に必要なのはさまざまな考え方や価値感に触れ、悩み、考えながら進んでいくことだと繰り返し話していた」
意見の合わない人物との接触を避け、排除しようとする教団とは対極にいた。
弁護団を組織して被害救済に取り組み、テレビのインタビューで教団の問題点を指摘し、教団との対決姿勢を鮮明にしてゆく。
そして教団幹部との最後の面会。横浜にある弁護士事務所、弁護団の一員だった小野毅弁護士は帰り際のやりとりが気になっていた。
「教団幹部から『信教の自由というものがある』と言われ、彼は『他人を不幸にする自由は許されない』と反論していた」
緊迫したやりとりだったが、教団が暴力に訴えるようなことはないだろうと考えていた。「話せば分かると当時は思っていた」
4日後の11月4日未明、横浜市磯子区のアパートで妻子とともに殺害されることになる。
■捜査
なぜ、殺されなければならなかったのか。裁判では、面会の報告を受けた松本智津夫死刑囚が「将来教団にとって非常な障害になるから、ポア(殺害)しなければならない」と指示していたことが明らかになっている。
教祖の指示を受けた教団幹部6人は坂本弁護士と妻都子さん、当時1歳の長男龍彦ちゃんの寝込みに襲いかかった。都子さんの「子どもだけはお願い…」との懇願は無視され、全員の命が奪われた。遺体は新潟、富山、長野県の山中に別々に埋められた。
突然姿を消した一家の救出運動を始めた同僚弁護士だったが、都子さんと龍彦ちゃんは教団に拉致され、坂本弁護士は脅されている、と考えていた。
殺害が明らかになるのは地下鉄サリン事件後に警察による強制捜査が行われてからだった。事件から遺体発見まで5年10カ月の歳月を要した。
地下鉄サリン事件被害対策弁護団の事務局長を務める中村裕二弁護士は、坂本弁護士事件で警察が積極的に動こうとしなかったため、教団は犯行をエスカレートさせていったとみる。行き着く先が94年の松本サリン事件、そして地下鉄サリン事件だった。
中村弁護士は「警察がもっと早く強制捜査をしていたら、地下鉄サリン事件は防ぐことができた」と唇をかむ。「オウムは全国に拠点があり、神奈川、山梨、長野県警だけでは対応が難しかったのだろう」
■教訓
事件から導きだされる教訓は何か。小島弁護士が言葉に力を込める。
「違う意見に耳を傾けず、敵視する。それがどんな人間をつくってしまうのか。それはオウム真理教が世の中に示した」
オウムを生んだ土壌は今も変わらないという思いは年々強まってもいる。
「意見が違う人を許さない風潮は、以前よりひどくなっている。例えば、インターネットで交わされる言説。気にくわない意見があったとき、議論をするよりも個人を特定して、個人攻撃を加えようとする。それは特定の少数民族の排斥を唱えるヘイトスピーチ(差別扇動表現)にも通じる」
では、事件を繰り返さないためにはどうすれば。
「彼はオウムをつぶそうとはしていなかった。信教の自由は守るとまで口にしていた。意見や価値観の違いを認め合うことを大切にしていた。その気持ちを語り継ぐことだ」
後輩が残した言葉が胸奥に響いて、やまない。
◇遺志継いでいく 弁護士飯田さん
勉強会の参加者の一人、飯田学史弁護士に坂本弁護士や事件に寄せる思いを聞いた。
弁護士になって1年目の2009年、新潟、富山、長野県の遺体発見現場を訪れ手を合わせた。その時、「坂本さんに恥じないような弁護士になりたい。新しい世代が事件を忘れぬよう引き継いでいきたい」と考えていた。その思いは今も変わらない。
裁判では、相手側から恨まれることもある。一歩踏み込んだ対応が必要になったとき、自分の身に危険が及ばないか、誰かに相談した方がいいか、立ち止まって考えるきっかけになった。
自分を含め、事件を直接知らない世代が増えた。坂本弁護士がどのような仕事をしていたか、知ることは大切だ。
先輩弁護士の話を聞き、オウム真理教に信教の自由を認めながらも、毅然(きぜん)と対応する坂本弁護士の姿が印象に残った。その遺志を継いでいきたいと思う。 (談)
◆坂本堤弁護士一家殺害事件 オウム真理教の信者脱会支援などに取り組んでいた坂本堤弁護士=当時(33)、妻都子(さとこ)さん=同(29)、長男龍彦ちゃん=同(1)=が1989年11月4日未明、横浜市磯子区の自宅アパートに押し入ったオウム真理教の教団幹部らに殺害された。5年10カ月後の95年9月、新潟県で堤さん、富山県で都子さん、長野県で龍彦ちゃんが、遺体で発見された。殺害は松本智津夫死刑囚=教祖名麻原彰晃=の指示によるもので、松本死刑囚をはじめ、実行犯の早川紀代秀死刑囚、中川智正死刑囚ら6人が殺人罪などに問われ、死刑判決が確定している。
【神奈川新聞】