03月21日の「今日のダーリン」

・ぼくは、中年になってから「ぜんそく」になった。
 小児ぜんそくだったこともあるのだが、
 それは成長して体力がついてくるうちに治っていた。
 治っていたはずの「ぜんそく」に、
 30代半ばになって、またつかまってしまったのだった。
 
 横になって寝ようとするとせきがひどくなって、
 呼吸が苦しくて眠ることもできない。
 せき止めのスプレイは、連続して使わないようにと
 注意されているのだけれど、発作がでると苦しいので、
 3分も経たないうちにくり返し使ったりもした。
 上半身を起こしているほうがらくなので、
 ファミコンのマリオブラザーズをやっていた。
 その後、ぼくがゲームをつくるようになったのは、
 このころにお世話になったマリオに対しての
 恩返しのような気持ちもあった。
 
 「だまされてもいい」というくらいの気持ちで、
 さまざまな人たちが「あれが効く」「これが治る」と
 すすめる治療法は、かたっぱしから試していった。
 漢方やら民間薬、食事、鍼、背骨の矯正、温熱、祈祷、
 新書に紹介されている「画期的な治療」の数々、
 先祖を敬いなさいという教え‥‥とにかく、
 外れてもともと、あたったら幸いとばかりに試した。
 たいてい、症状が悪くなったら
 「効いている証拠」という説明を受けた。
 なにも変わらない場合には、そう簡単なものじゃないから
 「気長に続けなさい」と諭された。
 
 結局は、紹介されて大きな病院の呼吸器科に通い、
 日進月歩の「現代の医学」で、診断され治療をはじめて、
 やがて発作もなくなり、なんのクスリも要らなくなった。
 まっすぐに歩けばたどり着くあっけない結論だった。
 「おぼれる者は藁をもつかむ」と言うけれど、
 「藁をつかんで、まちがってでも助かるならそれでいい」
 という気持ちがあるのだ。
 
 ぜんそくのときのじぶんの「意外なまでの迷走ぶり」は、
 とても勉強になったと思っている。
 この経験については、ときどきくり返し書いている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
おぼれていてもバカじゃない。なのに藁をつかもうとする。