なぜ日本は、女性にこういうことをするのでしょうか。大江健三郎は、根深い女性差別意識をその理由として挙げています。日本の国民文学として愛されている『忠臣蔵』でも、この点を確認できます。
忠臣蔵は、江戸時代の1701年、赤穂藩主・浅野内匠頭が幕府の礼法指南役(儀典担当官)だった吉良上野介に刀で切りつけ、傷を負わせた事件を背景にしたフィクションです。幕府は浅野内匠頭に切腹を言い渡しましたが、吉良上野介については、戦いを避けようとした点を認め、処罰を免除しました。これに怒った赤穂藩の家臣らが報復を謀り、翌年、吉良上野介を襲撃して殺害したのです。幕府は、吉良上野介殺害に加担した赤穂藩の浪士46人を処刑しました。「忠臣蔵」とは「忠臣が多い場所」という意味です。しかし、私的な義理で国法を破った者たちの戦いを「忠」と呼ぶのは、納得しづらいものです。
しかも忠臣蔵には「国のため女性を犠牲にしてもよいという考えが、従軍慰安婦を生んだ」という大江健三郎の見解を裏付ける内容もあります。浅野内匠頭の家臣らは、報復に必要な資金を用意するため、妻を遊郭に売り渡します。これを読んで、妻まで犠牲にするほど主君に忠誠を尽くしたのだと感動しなければならないのでしょうか。
先祖が使っていた「壊れた器」を子々孫々受け継ぐ中で、日本の女性はもちろん、隣国の女性にまで恥辱の水を浴びせたのです。日本は、手遅れになる前に壊れた器を捨て、女性を尊重する新しい器を用意すべきです。そして、大江健三郎の忠告の通り、元慰安婦に謝罪することを望みます。「村山首相のときに一度謝罪したからいいではないか」とは言わないでください。「ドイツは機会があるたびに謝罪し続けた」という、メルケル首相の言葉をかみしめることを望みます。