「1994年にノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎氏(80)が13日、小説『水死』の韓国語版の出版を記念して、ソウル・弘大前のブックカフェで記者懇談会を行った。(中略)大江氏はこの小説を通じ、日本社会の女性差別が慰安婦問題の原因になったと主張した。『(中略)国家のためには女性を犠牲にしてもよいという考えが従軍慰安婦を生んだ。日本の女性だけでなく、植民地の女性までも動員された。日本政府が十分な謝罪をしたとは考えられない』」(「大江健三郎氏「慰安婦問題は日本の女性軽視が原因」3月14日付記事)
慰安婦関連の歴史を振り返ると「家で水が漏れる器は外でも漏れる」という韓国の古いことわざを思い出します。「どこでも同じ過ちを繰り返し、醜態をさらす」という、このことわざの意味が、かつての日本による慰安婦への蛮行とぴたりと重なって見えるからです。日本は「植民地朝鮮で国が組織的に慰安婦を動員した事実はない」と主張しています。1人2人ではなく、数多くの元慰安婦が一貫して苦痛を証言しているにもかかわらずです。
「同一犯の仕業」という表現を知っていますか? 同じ犯罪が繰り返されるときに使います。太平洋戦争に敗れた後、日本で行われた米軍向けの慰安婦の動員が、まさにこのケースに当たります。日本は敗戦の3日後、占領軍たる米軍に性的サービスを提供するため慰安所を設置し、全国で慰安婦を募集しました。これも、国が音頭を取って実行したことでした。当時大蔵省の官僚だった池田勇人(後の首相)と、内務省の橋本政実・警保局長が主役でした。自国内で、それも後に首相になる人物と治安の責任者が、公娼制度の設立を主導しました。それにもかかわらず、外部に対しては「やっていない」と言い張っているのです。日本では水が漏れる器が、植民地では水が漏れなかったというのです。しかし、穴のあいた器は、どこであろうと水が漏れます。
ウズベキスタンとイランの日本大使を歴任した孫崎享(うける)の著書『米国は東アジアをどのように支配したか』(原題『戦後史の正体』)は、日本で、国が主導して慰安婦を動員した歴史的事実をこのように説明しています。
「内務省の橋本警備局長(原文ママ)は8月18日、各地方の知事に対し、占領軍のための慰安婦を募集せよという指令を下した。当時大蔵省の官僚で、後に首相になる池田勇人は『1億円で日本の女性の純潔を守れるのなら安い』とためらわずに言った。1945年8月27日、大森にオープンした慰安施設には、1360人の慰安婦が集められたという。内務省警備局長といえば、治安分野の最高責任者だ。そのような人物が、占領軍兵士向けの売春の先頭に立ったのだ」(『米国は東アジアをどのように支配したか』63-64ページ)