「李承晩ライン」と竹島問題
太平洋戦争の敗戦で日本が非武装化していた隙間を狙って、朝鮮の李承晩大統領は一方的に「李承晩ライン」を宣言し、そこに含まれる竹島を占領した。このとき、日本人漁船員44名が死傷し、約4000名の漁民が抑留され、後日日本国内の朝鮮人犯罪者釈放と引き換えに解放された。(
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朝鮮戦争は李承晩の九州侵略行動によって起きた
「李承晩ライン」は当初、九州全体までも含んでいた。李承晩は次の戦略として対馬を手中に収めるため朝鮮半島南部に軍を集結させたところ、背後(ソウル)を金日成に襲われた。
このままでは朝鮮はソ連と組んだ金日成の支配下となるので、日本を占領していた米軍も参戦して朝鮮戦争が勃発した。そして、勝手に日本を侵略しようとした李承晩は、米軍から激しく叱責された。
当初の李承晩ライン
後退した李承晩ライン
米軍は日本を守るために参戦した
当時の米国高官の証言によれば、参戦は李承晩を助けるためではなく、日本を守るためだったという。他方、当時の吉田首相は「日本には軍隊がない」という理由で参戦を頑固に拒否したため、日本の人的損害はなかった。むしろ「戦争特需」で日本経済は潤い、「奇跡の復興」につながった。
日本軍出身の将校が活躍した
李承晩側は最初劣勢だったが、日本軍出身の将校が活躍し勢力を盛り返した。結果として、38度線を境界として米国と北朝鮮が「停戦」し、現在に至っている。