2015.03.21   いま、チベットの寺はどうなっているか
   ――八ヶ岳山麓から(139)――

阿部治平(もと高校教師)

中国新疆ウイグル自治区ではウイグルと公安の衝突が毎週あって死者が続出しているが、チベット人地域からは最近焼身自殺のニュースがない。どうなっているんだという質問を受けた。このところ確かに焼身自殺者は少なくなっている。私の考えでは、自分の宗教的熱情だけでは抗議自殺ができなくなったことがある。自殺者の親戚知人が逮捕、投獄されるようになったからだ。もっと重要なのは、ダライ・ラマの自制を求める発言がようやくチベット人地域に浸透したことである。
ところが、最近また、ダライ・ラマのチベット帰還を求める自殺者が現れた。これは、寺院僧侶への圧迫がより強化されたことを思わせる。

そこでやや古いが、ある僧侶の訴えからチベット仏教寺院の現状を探りたい。語り手はジグメ(49歳)、ときは2007年、場所は中国甘粛省甘南蔵族自治州夏河県のラブラン大僧院、記録者は北京在住のチベット人作家ツェリン・オーセルである(http://woeser.middle-way.net)。
ジグメは寺院管理委員会副主任で「ラマ楽隊」隊長、ラマ職業学校校長だった。2006年から2011年まで5年間に4回逮捕され、2014年9月「国家分裂扇動罪の嫌疑」で5年の判決を受けたとのことである。したがって現在獄中にある。

ジグメはまずダライ・ラマ批判問題を取上げる。
「アジャ・リンポチェ、カルマパ・リンポチェ、さらにラブラン寺のゲシェ(仏教学の最高学位)の資格を持つラマ数人はなぜインドに行こうとしたか。
自己の根本的尊師(すなわちダライ・ラマ)を批判するのが嫌だからだ」
リンポチェは「至宝」の意。ラマは師僧のこと。
アジャ・リンポチェはクンブム僧院(塔爾寺)最高位ラマ。アジャ・ゲゲンともいう。青海モンゴルの人。全国政協委員、中国仏教協会副会長の要職にあったが、1990年代世界宗教会議参加を機にアメリカに亡命した。中国語・英語にも精通し、最近は来日する回数も多くなっている。
カルマパ・リンポチェは17世カルマパ法王ウゲン・ティンレー・ドルジェ(1985~)。幼時北京にあって中国共産党の教育を受けたが、1999年12月インドへ脱出し、現在ダラムサラで活動している。ダライ・ラマ没後はチベット仏教最高位の指導者 になるものとみられる。
寺院内で実施される「愛国教育」では、ダライ・ラマ批判はその根幹である。もちろん高僧もダライ・ラマ批判をおこなうよう求められる。人々はテレビなどでチベット人上級官僚がダライ・ラマを国家分裂主義者として非難するのを見ると、非常な嫌悪感を示しながらも「あれは強制されているのだから」と自らを納得させようとする。

治安対策はこんな具合である。
「安全局(特高警察)は僧侶にカネを与えて寺院内の動向を報告させ、多くの僧侶を捕まえる」
「ダライ・ラマの映像をCDで見たという理由で逮捕され、反革命宣伝罪で2年の判決を受けたものがいる。釈放後は安全局の許可を得ずに夏河県から出ることはできない。私も現在この状態だ」
「公安局長は私を閉じ込めた僧坊にやってきて、不服があれば上訴していいぞという。だが一般のチベット人・僧侶がどうやって誰に上訴するのか。我々には痛苦を訴える方法がない。政治犯は獄中では話も食べものも自由がない。家族の接見も許さず、差入は取上げ、やたらと殴り罵る。殴られて腎臓を壊し、耳が聞こえなくなったもの、頭を殴られて傷つき、足を折られたものがいる」
「政治犯はさらに血液を抜き取られる。黄南蔵族自治州の人民代表大会代表が監獄を見にきたとき、食べものが足りない、血液を抜き取られていると訴えたが、人大代表は聞く耳をもたず、誰がお前らの血を欲しがっているんだい?とからかった」

仏教学上の問題については、
「いまゲシェの資格を取るには、仏教学の成績は問題にならず、まず政治上の試験に合格しなければならない。インドから帰還したとか、過去政治犯の経歴のある僧侶は軒並み不合格だ。どの寺院でも例外はない」
彼はまた「我々はあんなにも多くの転生ラマや経堂を必要とはしない」と発言している。チベットの寺院には大きさに応じて高僧の転生者と称する「活仏」が複数いる。チベット全域では千単位で数えるだろう。
だがジグメは転生ラマの制度をやめろとはいわない。私の考えでは、中国政府もこの制度をやめさせようとはしないだろう。
転生ラマの就任時には、寺格におうじて地方政府の承認をえることになっている。政府はこの制度を利用して、好みの転生ラマを寺に据えて寺院を統制し、信徒を支配することができる。また担当の官僚はこの制度を悪用して大金をふところに入れることができるからである。

仏教の継承発展はいま困難になっている。
「(文革がおわった)1980年十世パンチェン・ラマがラブランにおいでになってから、生残ったラマの努力があって、ラブラン寺もようやく復興した」「ところが1995年以後、また寺に対する中国政府の強硬な干渉が始まった」
民族・宗教政策のこの転換については、中央政府高官だったプンツォク・ワンギェルはあまりにも文革的だと批判している。
まず「18歳未満のものの出家を許さない」という規定がある。このため学習適齢期である5歳から18歳の間に僧としての教育ができない。「ラブラン寺はいま毎年15から25人、満18歳からの学生を入れているが、18歳の僧侶がかつての5,6歳のレベルの知識を学んでいる」
「年齢制限のために、仏教学をわかろうとしない、社会の悪習に染まった僧侶を生み出している。袈裟をまとい中国語や英語もちょっとはわかるが、僧侶を装って人を欺き悪事を働くこと魔物以上である。これによって宗教は悪いものとされ、政府も宗教と僧侶をとがめるのである」

ジグメは清浄な修業の場を求める。政府の観光政策の行き過ぎで寺院の中が荒れ、清浄の中で修業ができなくなったという。
「がんらい夏安居の45日間は僧侶の外出と、外来者が境内に入ることは許されない。いま政府の命令によって観光収入を目当に大門を開かざるをえない。シャカムニが定めた戒律は消えうせた」
「僧侶が修業しているときでも、ガイドは拡声器でがなり立て、チベットの歴史と宗教のまったくでたらめな説明をやる」
その観光客は(高僧の遺骸をおさめた)霊塔を指して、「これ珊瑚?、金?こんなところに置いておくなんてもったいない」などという。「僧侶にとっては飾りなど問題ではない。霊塔に祭られている人こそが尊いのだ」
「厚化粧の女が薄物を着て寺に入り、きゃあきゃあと好き放題に騒ぐ。しかも寺院の中はいやな臭いがするとか、汚いとか、真っ暗などという。中国人は、外国人のように静かに歩き、静かにものをいい、写真撮影の許しを得ることがない」
車道が境内を通るようになってから、深夜酔っぱらいが大声で騒ぎ、歌い踊り、ケンカ口論をやり、恋愛ざたがある。「我々が注意しても、役人はやめさせない。なぜ彼らにはこんな大きな自由があり、我々には自己の伝統と戒律を守る自由がないのだ」

彼は文革後から始まった寺院の修復について、「政府が(ラブラン寺に)投入したのは経費の3分の1だ。残りはチベット人大衆が生活費を倹約して寄付したのに、政府は大施主づらをして、功績をすべて自分のものにしている」
寺院の多額の修復費用を負担する、いわゆる施主について、「寺院によっては、内地(漢人地域)の金持を施主にして寺院の修復をする。元来施主は僧侶を尊重し、寺との位置関係を心得ていた。いま施主は寺の中に家を構え、寺院に来たときは僧侶の出迎えを求める。奥様や犬さえもそうだ。僧侶ではない施主をラマ同様にあつかう必要はない。必要なのは真の仏教を学ぶ清浄な場所であり、優れた仏教学の人材を育てることである」
たしかにそうかもしれないが、と私は考える。ジグメの言分は、漢人の中に信仰を求める人が多くなったことも反映している。チベット仏教だけではない。中国内地では、キリスト教信者もまた増えている。人々はマルクス・レーニン主義、毛沢東思想だけでは満足しなくなったのである。

最初の質問にもどろう。焼身自殺者の要求の第一は「ダライ・ラマのチベット帰還」である。このことはダライ・ラマ崇拝がチベット仏教徒の固い信仰であることを物語る。チベット語を母語としないチベット人でもダライ・ラマを崇拝する。崇拝しないものはチベット人から同胞とはみなされない。
中共が「ダライ批判」を続けるかぎり、焼身自殺を生む状況は変わらない。それは新疆でムスリムを圧迫し続けるかぎり、テロの温床は相変わらずであるのと同じである。
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