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MESAYA メサイヤ

Information

メサイヤの誕生、そしてこれからのメサイヤ。


ゲームブランド『メサイヤ』について
藤田
NCS(日本コンピュータシステム株式会社)では、1985年から2000年にかけて、「メサイヤ」ブランドを数多く開発・販売しました。
それまで企業向けのカスタムソフトウェアが中心だったのですが、社内でゲームソフト開発者を募ると多くの社員が名乗りを上げましてね。ブランドは、日本コンピュータシステムでは いかにも堅苦しいので(笑)、「メサイヤ」とし、マークデザインは「飛翔する」ペガサスとしました。周知されておりますように、私の名前に因み、午年生まれであったことがアイディアの元になっています。

佐藤
私は日本コンピュータシステム株式会社メサイヤ事業部に在籍した期間は約4年ほどですが、同社退社後もメサイヤとは関わってまいりました。一時ブランクはあるものの、累計期間は15年を超えると思います。私が社会人として働いている期間の半分以上はメサイヤと過ごした事となります。
メサイヤは元祖コアゲーマーブランドのようなところがあって、コミックマーケットにまだ企業ブースがなかった頃から一般ブースに出展したりしました。また、メサイヤのマスコットキャラクターだった「うみにん」が一般に広く認知されたりと、色々なことを仕掛けました。


メサイヤの歴史の中で思い入れのあるタイトルは?
藤田
最初の数年間はパソコンゲームだけだったのですが、第1作の「Mr.バンプ」はやはり印象深いですね。
アクションパズルゲームなのですが、パソコンソフトの流通システムを勉強しながら必死に販促活動を行いました。作品が世に出たときは感動しましたね。

佐藤
あまり、知られていないタイトルかもしれませんが、「アルバレアの乙女」というゲームで、宝塚歌劇団のメンバーとコラボをしました。それまでも声優や歌手の方々とコラボしましたが、宝塚歌劇団の方々とお会いした時は独特の雰囲気があり緊張しました。
超兄貴シリーズは、家庭用ゲームソフトだけではなく、ガラケーやスマホアプリなども展開したので、もしかしたらメサイヤタイトルの中で最も多くのハードウェアを経験したゲームタイトルかも知れません。
今もLINEスタンプでも販売しているので、よかったらダウンロードして下さい。


ラングリッサーシリーズについて
藤田
家庭用テレビゲームは、最初NECのPCエンジンに乗り出すことになりました。任天堂のファミコンは後発が出る幕はない雰囲気でしたので(笑)。
ラングリッサーは、パソコンゲームソフトから続いていたNCSオリジナルファンタジーシミュレーションゲームの連綿です。
前半は思考ゲームとして高度なものを志向し、やがて一般向けとして方向を変えていきました。

佐藤
メサイヤ事業部に入って、ラングリッサーに関わったのはⅢの発売が終わり、Ⅳの開発が行われていた時期でした。
でも、実は入社前からラングリッサーシリーズには関っていました。私がNCSに入社する前に務めていた会社のアメリカ支社でラングリッサーⅠ/メガドライブの北米版を発売しました。確か「WAR SONG」というタイトルで発売したと思います。発売当時にちょうど北米に出張に行く機会があって、向こうの展示会で出展しました。
メサイヤに入社してからは、ゲームとしてマーチャンダイジングを仕掛けるタイトルの先駆けと位置づけることに成功しました。


今後のメサイヤに望むこと
藤田
自分の名前がブランドに由来していますし、(笑)
伝統を受け継ぎつつも、新たな時代を切り開いていくような、そんなゲームブランドであってほしいですね。

佐藤
いい意味で、ゲーマーズゲームブランドのポジションを確立したいと思います。
その為にはこだわりをもったものを提供していきたいと思います。
また、ゲーマーであるみんなが制作に参加できる環境も用意していきたいと考えています。


ラングリッサー新作について
藤田
約15年振りということもありますが、デザインは刷新され、それでいて、しっかり受け継いでいるものもあるようです。 メサイヤは、新しい取組みから進化していくブランドでしたし、ゲームブランドの復活と共にラングリッサーも進化を遂げて、新たな潮流を作ってほしいですね。

佐藤
10数年ぶりに復活することになるので、古くからのファンの方々の期待を裏切らないもの、ただ、初めて手にとった人たちも満足できる。そんな内容を目指しています。 今回のラングリッサーが新たな伝説の一歩となれるよう頑張っていきます!

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