蟠龍戦記
自分の巡った城・城跡を紹介します。
紀伊手取城
紀伊手取城1
和佐小学校の東にある城山に手取城がありました。麓に入口の案内があるので、わかりやすいと思います。ここから20分ほど歩けば、写真の東の丸に到着します。

東の丸に説明板があり、その奥に大きな石碑もあります。夏に入る前ではありましたが、思ったより草が伸びていました。いろいろ散策すると、石垣らしきものも見えましたが、如何せん草が邪魔してハッキリ確認できませんでした。それでも山城として、遺構はよく残っていますので、充分に楽しめます。
日本史 汚名返上~「悪人」たちの真実~
もともとCS放送にあるヒストリー・チャンネルを書籍化したもののようです。伊沢元彦・和田秀樹の対談形式で進みます。取り上げる人物は、平将門徳川綱吉道鏡田沼意次蘇我入鹿井伊直弼吉良上野介平清盛足利尊氏織田信長です。

いわゆる伊沢節で進みながらも、心理学者の先生が心理的分析もを入れていくイメージです。取り上げている人物を見ると、逆説の日本史シリーズでもお馴染みの人物なので、それほど驚くべき内容ではありませんでしたが、初見なら、面白いでしょう。まぁ、何度も読むことで、思い出すこともあるので、勉強にはなりますね。
信長の野望 創造 PK 15
連合が解散となったことで、石田・豊臣家からいつ攻められもおかしくない状態になりました。同盟を結んでも良いのですが、伏見城を手に入れない限り、惣無事令を発することも出来ないので、まずは石田家を敵にまわすことにします。黒田家を滅ぼし北九州をほぼ統一した毛利家とは婚姻を結び、豊臣家とはとりあえず一年同盟、徳川家へは家宝を送り同盟を結ぼうと思います。

西は四国から東は駿河まで領国が広がってますが、石田・豊臣家の領国が混在しています。兵の多い本城から攻めたいですが、領国が東西に広いのである程度制約があります。全直轄できないので…。また、城数が多くなると、武将の頭数も減ってくるのが難点です。この時代になると、名将も少ないですからね。

石田家には、島左近前野忠康など合戦に長けた武将も多く、何より城数が多いので、援軍が四方からやってくるので苦労しました。石田家も弱体化してきたので、次は豊臣家を攻めるかな?
 
紀伊田辺城
紀伊田辺城1
田辺城というと、丹後田辺城もありますが、こちらは紀伊田辺城です。紀伊田辺城というと、水門の写真をよく見ますが、行ってみると、本当に水門しか残っていません。

江戸時代に築城され、紀州藩付家老安藤氏3万8000石が代々城主を務めるほどです。現地説明板を見ても、それなりの規模を誇ったようですが、ホント水門のみです。ちょっと寂しいです。水門周りの石垣を見ると、さぞ立派だったことを想像させます。

そうやって考えると、同じ尾張藩付家老成瀬氏の犬山城は、残って本当良かったですね。
紀伊龍松山城
紀伊龍松山城1
龍松山城と書いて、『りゅうまつやまじょう』ではなく、『りゅうしょうざんじょう』と読みます。

国道311号線沿いにある一乗寺を目指すと、『竜松山辰巻城跡』と書かれた大きな看板があります。ここから自分は歩きましたが、山頂まで車で行けるようです。

縄張りは単純で写真の場所が二郭で山の上が主郭です。主郭は広く、周囲に低い土塁が囲まれています。あと、堀切も見ることが出来ました。ただ、草が伸びてきていたので、時期がよければもっと遺構が見やすかったかも…。なかなかに面白いお城でした。
北条早雲 悪人覚醒篇
『青雲飛翔篇』に続く第二弾が、この『悪人覚醒篇』です。今回は、2回目の駿河下向にて、龍王丸こと今川氏親の家督継承を成功させてから堀越公方の茶々丸を攻め伊豆入りを果たしたところまでです。

前回と同様に非常に面白いです。一気に読めちゃいます。しいて前回の違いを言うなら、史実に近くなった分、ある程度ストーリーがわかってしまうところでしょうか、まぁ、それは歴史時代小説にとって当たり前ですね。

当然まだ未完ですので、第三弾『相模進攻篇』へと続きます。しかし、いつ読めるようになるんだろう??
紀伊堀内新宮城
紀伊堀内新宮城1
丹鶴城公園にある新宮城は、江戸時代に築城された新宮城です。実は戦国時代、堀内氏によっても新宮城は築城されていました。場所も違うので、区別するために堀内新宮城と呼ばれることが多いです。

新宮の地は、もともと新宮行家の子孫の新宮氏が長く治めていましたが、戦国時代に堀内氏善が、新宮氏を討ち、この地に新宮城を築城しました。その後、関ヶ原合戦の際に西軍についたことで所領を没収され、紀州藩浅野家が新宮の地を治め、総石垣の新宮城を築城しました。

ちなみに堀内氏善は、『信長の野望 全国版』で紀伊を治める大名として登場します。なぜか、鈴木佐太夫ではなかったんですね。自分は、全国版をやり込んでいたので、印象が強い武将です。

さて、前置きが長くなりましたが、堀内氏時代の新宮城は遺構がありません。ただ、全龍寺の山門の前に説明板と石碑があるのみです。熊野三山のひとつ、熊野速玉大社のついでに立ち寄るレベルでしょう。ちなみに自分はこの後2日かけて、熊野三山巡りをしました。
紀伊新宮屋敷
紀伊新宮屋敷1
新宮~熊野周辺を治めていた新宮氏は、新宮十郎行家こと源行家(為義の子で、義朝の弟)の子孫といわれています。ここは、その子孫の屋敷跡になります。現地説明板には、『新宮周防守屋敷』と名前まで書かれており、戦国時代の人です。ちなみに、この新宮氏は、堀内氏に討たれました。

場所は、新宮市内にある本広寺で山門前に説明板があります。残念ながら遺構はありません。新宮城から歩けない距離でもないので、散策するのもいいでしょう。
紀伊新宮城
紀伊新宮城1 紀伊新宮城2
新宮市内には、この辺りを統治したお城が3つあります。江戸時代に築城を開始したのが、この新宮城です。現在は、丹鶴城公園として整備されています。

江戸時代、紀伊一国は紀州藩和歌山城の支配でしたが、さすがに遠すぎるからか、一国一城令のあとも存在し続けたお城です。江戸時代の築城ということで、総石垣の立派な城跡です。紀州藩の支城なので、石垣が少々残っている程度かと思ってましたが、思っていたより大城郭です。というのも本丸から鐘の丸・松の丸・出丸とあり、さらに熊野川に面して、船着場を要した曲輪(写真右)もあります。また、高さもあるため、熊野川方面を見ると見晴らしも良いです。

公園内は整備もされていますが、周辺はすぐ住宅街なのが、ちょっと気になりますね。本来は、周辺に二の丸などが続くそうですので、かなり広かったようです。

石垣のみのお城ですが、なかなか立派です。熊野速玉大社も近いですので、一緒に立ち寄っておくと良いですよ。
信長の野望 創造 PK 14
パワーアップキット最大のウリ・関ヶ原の戦いでプレイを開始しました。やっぱり長宗我部氏ファンとして、ここは長宗我部盛親を選択。

プレイ開始は、西軍に所属していますが、徳川家から東軍へのお誘いが来ます。ここは史実通り西軍で進めます。というのも、伊予の藤堂家・加藤家は一城、阿波の蜂須賀家は二城しかないので、四国をほぼ統一(讃岐の生駒家は西軍)できます。

この辺りまでは、独力で問題ありませんが、本州上陸後は、豊臣家・石田家に援軍を頼みながら東軍を一掃していきます。尾張の福島家・三河の池田家を滅ぼしたところで、連合が解散となりました。どうやら3年で連合は自動的に解体するようです。まぁ、ここからが、本番ですかね。