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米、普天間閉鎖・在沖海兵隊撤退を計画 1968年時

2015年3月17日 09:17
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  • 沖縄からベトナム戦争への補給支援は財政的・組織的に非効率
  • 朝鮮有事では海兵隊より空軍の強化が戦闘に適するとみていた
  • 首都圏の基地整理縮小ため沖縄に移設。普天間閉鎖は幻に
米国防総省が米軍普天間飛行場の閉鎖を計画していた1968年12月策定の内部文書(川名晋史さん提供)。色付けされた部分は「普天間の海兵隊ヘリコプター基地は閉鎖する」と明記している

米国防総省が米軍普天間飛行場の閉鎖を計画していた1968年12月策定の内部文書(川名晋史さん提供)。色付けされた部分は「普天間の海兵隊ヘリコプター基地は閉鎖する」と明記している

 米国防総省が1968年12月に策定した在日米軍再編計画の中で、普天間飛行場の閉鎖を含めた在沖米海兵隊の大規模な撤退を検討していたことが16日までに、米公文書で明らかになった。海兵隊の航空機は朝鮮半島有事の際、到着までに時間がかかるため、決定的な役割を果たせないことを理由に挙げている。(福元大輔)

 しかし、国防総省は翌69年9月、住宅の密集した首都圏の航空基地を整理縮小する目的で、神奈川県厚木基地のヘリコプターを普天間に移設する計画に修正。普天間閉鎖や在沖海兵隊撤退は表に出ることなく、消える形となった。

 国防長官の名前で、統合参謀本部や各軍省トップに通知した内部文書で、近畿大学講師の川名晋史さん(35)が入手し、分析した。

 計画は普天間閉鎖のほか、第26連隊上陸団を米本土へ移転、第3海兵補給群の機能を陸軍第2補給部隊に統合するなど、在沖海兵隊の規模を縮小し、基地の大部分を「維持管理状態に置く」という内容だ。

 補給部隊は当時のベトナム戦争での沖縄からの支援では、財政的にも組織的にも非効率と指摘。また航空機部隊について、朝鮮有事の初期段階で制空阻止を目的とするならば「海兵隊よりも、空軍の訓練や装備を強化した方が戦闘に適している」との認識を示し、普天間の完全閉鎖、同じ海兵隊岩国基地(山口県)の分散作戦基地への格下げなどを提案した。

 
 

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 沖縄県宜野湾市の中心にある米海兵隊航空基地。面積は約480ヘクタールで、市域の約25%を占める。基地を取り囲むように住宅や学校、公共施設が立ち並ぶため、「世界一危険な基地」と称される。2004年8月、同基地に隣接する沖縄国際大学構内にCH53型大型輸送ヘリが墜落した。2012年10月、地元の反対を押し切り、MV22オスプレイ12機が配備された。翌年夏には、さらに12機が追加配備された。日米両政府は1996年に普天間基地の返還に合意したが、実現していない。名護市辺野古沖への代替施設建設には、県民の多数が反対。移設問題は混迷を深めている。

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3月20日(金) 紙面

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