スタジオパークからこんにちは 小林 隆 2015.03.18


ひざの腫れが引かないから動くことができない。
今場所の再出場も無理だと話しました。
生字幕放送でお伝えします伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!竹下景子さんです。
竹下⇒よろしくお願いします。
今度の日曜日3月22日は放送記念日です。
大正14年に日本で初めて放送がラジオから始まりました。
ことし90年。
すごい歴史ですね。
きょうご出演の方は、そのNHKの放送開始90年にちなんだ節目の年に紅白誕生秘話のドラマにご出演です。
紅白が誕生したのは終戦まもなくなんですがそのドラマにご出演です。
どうやって誕生したかご存じですか?知りません。
生まれていませんでしたから。
それが分かるドラマなんです。
私もちょっと意識して紅白のポケットチーフ。
アピールしてみました。
それではスタジオでお迎えしましょう。
ドラマ「紅白が生まれた日」にご出演です、俳優の小林隆さんです。
どうぞ。
どうぞお掛けください。
ようこそ。
小林⇒よろしくお願いします。
ふだんテレビで見るイメージと違っておひげをたくわえていらっしゃいますね。
イメージが違いますね。
アーサー、大きな独り言言ってしまいました、今舞台のお稽古中なんですね。
アーサーです。
竹下さんと夫婦役なんです。
イギリスの芝居で100年前の貴族を演じています。
とても人格者のお父さんの役なんですよね。
当時、世界的におひげが、男性は権威の象徴じゃないんですけれどひげを生やす男性が多くて日本でも明治の厳君がひげを生やしていたじゃないですか。
イギリスでもやっぱりそのようだったんですね役柄として。
お二人でお稽古中なんですね。
イギリス人に見えちゃってしょうがないんです。
よろしくお願いします。
小林隆さん、スタジオパークご出演が10年ぶりなんですね。
大河ドラマの「新選組!」ですね。
2004年の12月21日のはずですね、10年と3か月ぶりです。
ものすごい。
きちょうめんでいらっしゃる。
印象的だったもので。
生のトークは苦手なものですからそのときテレビを見た知人からはらはらさせるなってそういう反響ばかりでした。
今回はなんとかもう少しまともにお話できるように、と思って。
10年ぶりのご出演にあたってある方から小林さんにメッセージが届いています。
小林隆がね、生放送のトーク番組に出るということが僕には信じられないですね。
果たしてちゃんと…決して本人はおもしろい男ではないので…とても心配です。
激励ではなかったですね。
かなり危機的なコメントでしたね。
三谷幸喜さんです。
愛のむちですかね。
さっきも実は顔を出してくれました。
緊張感をあおりにきました。
そういう人ですね。
三谷さんの作品にもたくさん出ていますがまず、小林さんがご出演の「紅白が生まれた日」。
放送90年ドラマです。
最初全然ピンとこなかったんですよね。
放送が生まれたのが、90年で紅白は戦後まもなくで歴史をご覧いただきましょう。
「紅白歌合戦」は当時「紅白音楽試合」。
「紅白音楽試合」はラジオ放送で始まったんです。
合戦というのはGHQで戦争をイメージさせるからよくないと。
その辺りもドラマでやっています。
そして現在に至るということですね。
歴史がありますね。
その誕生、どうやって「紅白歌合戦」が生まれたのかというドラマにご出演です。
ダイジェストでどうぞ。
昭和20年、焼け野原の東京にディレクター・新藤達也が復員してきました。
そのころ、NHKはGHQに接収されていたんです。
民主主義を進めるため番組の検閲と指導が行われていたのです。
キュー!そんな、ある日。
新しい音楽番組の企画を考えてほしいんだ。
GHQの指示で軍国色のない新しい音楽番組を作ることになったのです。
やっぱり同じだ…。
おい待てよ、新藤!新藤は戦争中と同じように上から命じられたとおりの番組を作ることに疑問を持ちます。
えい、えい!しかし、子どもたちのチャンバラごっこを見てあることをひらめいたのです。
「紅白歌合戦」?これはまさに、民主主義を体現した番組なんです!いいじゃないですか、そうです。
これからは男性と女性がライバルになる時代なんです。
新聞のラジオ欄には当然、僕の名前がいちばんにくるんだろうな。
あの人より私の名前を先に出してちょうだい。
歩き出したものの大物出演者たちから無理難題を押しつけられまして…。
う余曲折の末なんとかたどり着いた大みそか。
果たして、紅白は成功するのでしょうか。
キュー!ドラマチックですね。
予告編だけ見ていても。
全然知りませんでしたが知らなかったお話もあったんじゃないですか、紅白で。
そうですね、今キューというのがありますよね。
それとか進行をのばしてくれとか巻いて巻いてとか。
こういうのはすべてGHQから教わったというエピソードなんです。
放送局でディレクターが司会者に指示をする時間があるからもっと伸ばせとか、時間がないから巻けとか。
放送をスタートするときにキューという合図があるんですがこれがGHQの指導だったんですね。
今もわれわれ使っていますけれどね。
GH…キューなんですね。
そこを重ねてきますか。
きっかけのキューという意味ですよ。
当時の放送局でどうやって紅白が生まれたかということを演じられたんですが現場はどんな感じだったんですか。
戦後まもない設定というのもね。
戦後4か月ですからね。
とにかく戦争が終わって物がない、食べるものがない。
ましてやGHQ、主にアメリカ軍に占領されたという状態ではあるんですけれどそれと同じぐらい、もしくはそれ以上に、もう戦争は終わった灯火管制がない、空襲警報がない。
戦争が終わったんだという。
そちらのほうが大きいような気がしてその思いを持ち続けてやったというところがありましたね。
出来上がりを僕も見せていただきましたけれどみんなの表情が大変なんだけれども前を向いて。
明るい未来しかないんですよね戦争が終わったから。
なんかね、こぼれる明るさみたいなものが感じられましたね。
皆さんそんなふうに思ってやっていらしたんじゃないでしょうか。
また小林さんの役柄がね、ムードメーカーというか。
上司の役なんですよね。
主人公の松山ケンイチさんの上司役なんですが彼ら、優秀な部下がいるものですからそれぞれのよさをなんだろうピックアップしてというか。
見てそういうものを育てようというどちらかというとすっとこどっこいな感じなんですよ。
こういう上司がいてほしかったな。
部下が自由にやりやすいっていう感じなんでしょうね。
小林さん自身が、紅白で非常に思い出深い回があるそうですね。
何を隠そう「紅白歌合戦」に出たことがあるんです。
ええ?会場のお客さんもびっくりされています。
2003年の12月31日でした。
歌っているのかどうか見てみましょう。
「紅白歌合戦」御用改めに参った。
新選組局長・近藤勇でござる。
六番組組長・井上源三郎でござる。
来年1月11日から大河ドラマ「新選組!」何とぞよろしくお願いたてまつりまする!決まりましたね、新選組。
番組から応援に駆けつけたんですよね。
この数日前には年内の収録は終わっていましたね。
どの辺が印象的だったんですかこのステージ。
要するに出番の直前まで「新選組!」を撮っていたスタジオの控え室で香取慎吾さんが出演されていましたけれど山本耕史さんと今は中村勘九郎さんになりましたね、当時中村勘太郎さんですが3人でしゃべりながら直前になって呼ばれるんですよね。
なぜかというのは行ってみれば分かるんですが舞台裏の人の多さといいますか。
香取さんの後ろでスタッフが動いていましたよねセットの転換で。
大がかりですものね。
出場者の何倍のスタッフさんがいらっしゃって。
しかも秒刻みで進んでいますからね。
大変だったでしょう。
それが本当にびっくりしました。
ちょっと快感はおありでした?登場しながらNHKホールを見渡して、へいげいするような感じでね。
井上源三郎でござる、というひと言しかせりふがなかったんですけどね。
あの歓声がね、渦巻く中で。
気持ちがよかったですね。
いいなあ。
そんな紅白がどうやって生まれたかが描かれたドラマ。
ぜひご覧ください。
お見逃しのないように。
今度は竹下さんに小林さんにぐぐっと迫っていただきますプロフィール紹介です。
かしこまりました。
1959年埼玉県に生まれた小林隆さん。
かわいらしい。
お父様のおひざの上でそっくりですね。
おいくつ?30前半ですかね。
お父様が。
小林さんは?3歳、4歳ですかね。
お父さんっ子だったんですか?両方ですかね。
小学生のころは必ず学級委員に選ばれる、優等生。
記憶力もすばらしい。
伝記物や人名辞典が好きでよく読んでいました。
また大のテレビっ子で特にドラマが好きだったそうです。
このころ。
テレビというか、話題の中心でしたからね。
そうでしたね。
ここで突然ですが、クイズです。
ドラマがお好きでテレビっ子だった小林さん。
ドラマのある部分に、小林少年はとても注目していたそうなんです。
何に注目していたのかお考えください。
エンドロールというのは、スタッフや俳優のお名前が登場するものですね。
ドラマ大好き少年だったんですね。
小林さんにイラストが届きました。
かわいい。
よく特徴を捉えていますね。
優しい小林さんの雰囲気が出ていますね。
ありがとうございます。
もう1通ご紹介します。
ファックスで届きました。
大阪の方です。
もう10年以上、応援しています。
きっかけは生年月日が全く同じなんです。
8月20日生まれ。
そうです。
それを発見して顔も穏やかそうな、性格もタイプだったということもあります。
三谷幸喜さんがおもしろくないとおっしゃっていましたがいいんです。
ハートマーク。
男性はべらべらしゃべらんでよろしい!びっくりマークが2つついています。
次はどんなドラマに出るのか映画には出ないのかなとアンテナを張っています。
生年月日が同じ。
年も全く同じということですね。
うれしいこと。
そんな小林少年がドラマのどんな部分に注目していたのか視聴者の皆さんのお答えです。
いちばん多いのがエンドロールですね。
お答えは?赤のエンドロールです。
皆さんご正解。
なぜですか。
番組が終わってスタッフやキャストの名前が流れるじゃないですか。
人名辞典という紹介がありましたけれど今はさすがにそうじゃないですけれど若いころからとにかく人と会うとフルネームで知りたい感じなんですね。
稽古場の初日でもそうおっしゃっていましたね。
絶対知りたいんです。
名前に興味があるとか。
そしてもちろん主役の方相手役の方中心に見るんでしょうけれどそれ以外の脇をねちゃんと固める方。
そういういろんなところを見てましたね。
この年配の役者さんはなんていう方なんだろうとか。
そのころから視点が違いましたね。
たまに出る特別出演。
何が特別だったんだろう、とか。
友情出演というのは誰の友達だったんだろう。
かなりマニアックな分析ですね。
どういう友情関係なのかなっていうね、子どものころ疑問に思っていましたね。
今は謎が解けましたね。
そして高校3年生のとき。
変わらずドラマに夢中だった小林さんは大河ドラマ「黄金の日日」のとりこになりました。
今、テーマ音楽が流れています。
懐かしい。
戦国時代にルソン貿易フィリピンとの貿易に命を懸けた男が松本幸四郎さん主演でしたね。
お好きだったんですね。
はまりましたね。
どういうところが?オープニングテーマからそうですけれど豪華な出演者。
そうでした。
脚本のおもしろさですかね。
主役が武将ではなくて一介の庶民でしたからね。
そこが大きいですね。
実際の人物だったんですけれどあまり史料が残っていなくて戦国の有名人とからめて自由に、原作は城山三郎さんだったんですが脚本は市川森一さんでしたね。
私、出ていたんですよ。
もちろん。
印象的なシーンがあるんですってどういうところですか。
いっぱいあるんですけれど第1話だったんですけれど主人の今井宗久に呼ばれたというか社会を包囲している織田信長に会いに行く、包囲網を突破してそこで命懸けなので結局残ったのは身寄りのないすけざえもんと石川五ェ門と今の幸四郎さんと根津甚八さん。
そうでしたね。
その主人公が言うことばがねお前の父親は船で難破して亡くなったじゃないか。
おやを殺した海に入りたいのかと言われてわしは父のようになりたいんですって言ったんです。
ご覧ください。
桔梗と名付けよう。
桔梗。
こよいをしのぶためだ。
交易業へ回していただきたいのでございます。
海を渡りたいか。
はい。
お前の父親を殺した海へか。
はい。
わしは、父のようになりたいです。
父のように?ありがとうございます。
たまらないですね。
染五郎さん。
青年で、すてき。
印象的なシーンをご覧いただきました。
よく覚えていてくださいました。
ありがとうございます。
私もうれしいです。
すごいメンバーでしたものね。
丹波哲郎さんも、鶴田浩二さんもお出になったし。
幸四郎さんのお父様白鴎さん。
志村喬さんですとかね。
宇野重吉さん。
数え上げればきりがない。
これが俳優として大きな作品になったと。
「黄金の日日」を見て俳優に憧れた小林さんは大学卒業を控え、就職ではなく俳優の道に進むことを決意。
大学卒業後俳優養成所に入りました。
そこから俳優・小林隆の道が始まったのです。
そんな大きなきっかけになっていたドラマに関わらせていただいて、今ようやく夫婦役に。
なんて、うれしいんでしょう。
歴史がつながってきましたね。
俳優・小林隆さんですが小林隆さんをこういうテーマで見てみます。
3つテーマがあります。
最初は恩人からまいりましょう。
笑い声
小芝居が入りましたよ。
小芝居を挟みました。
言いたくないんですか。
さっきも登場していましたね。
三谷幸喜さん。
やっぱり彼との出会いがなかったらもう今、役者をやっていなかっただろうと思いますね。
出会い、きっかけは?テアトルエコーという劇団の養成所に、2年やりましてそれで卒業して卒業した年に1年の間に10本の舞台に出たんです。
そのうちの1つが彼の書いた30分の2人芝居だったんですよ。
「ヒットマンと私」。
これはマンションにやくざが住んでいて立ち退いてくれって言いに行く住民代表に選ばれてしまった人のお話で落語の「駱駝」にあるようにとっちめるみたいな30分のお芝居なんですけどお客さんに受けましてね。
笑いが起きてどっかんどっかん起きて、これを味わってしまうとやめられない、みたいな思いを。
達成感がおありだったんですね。
忘れられないですね。
でも喜劇って難しいでしょう?難しいですね。
本がよく書けていたということなんでしょうね。
特別なことを、むしろよく書けた本で笑わせてやろうとかそういう思いが逆によくないといわれますね。
本に忠実に演じることが大事。
それがいちばんおもしろくなる。
いい出会いでしたね。
そうですね。
それを当然見てくださってその翌年、東京サンシャインボーイズという劇団をやっているんだけれども出てくれませんか、っていうお話をいただいて。
その劇団に入って。
そこで2人で喫茶店で話をするんですけどどんな作品が好き?って聞かれて答えてテレビドラマだったら「黄金の日日」舞台だったら「ラ・マンチャの男」だと僕が言ったら僕もそれだって2つの作品がぴったり合ったんです。
「黄金の日日」の翌年「ラ・マンチャの男」があってその2つが合って、決定的になった。
嗜好が合ったんですね。
出会った当時から見た大河ドラマの話をよくしていたんですよ。
それから十何年たって彼が書き、私が出る、みたいな。
こんなことになるとは、みたいなね。
その辺を三谷幸喜さんはどう思っているのか伺ってきました。
よく出るな。
継続ということがどんなに大事かということをいちばん知ったのはやっぱり彼をずっと見てきたことですね。
やっぱり長くやっているとどんどん芝居もよくなってるし深くなってるし引き出しも多くなっているし本当に続けてきてよかったなというふうに思いますね。
こんなに魅力的な俳優さんになるとは思わなかったですね。
なんかね、すぐ女性のボタンを外しにかかるっていう。
ただ、彼も小心者なので下まで外したらまた留めていくみたいな。
何のための作業なのかというそういうのはちょっと聞いたことありますけどね。
だめじゃないですか。
どうですか?率直な感想を聞きたいです。
見てきたかのようなね。
ネタになっていますね。
脚本家で演出家ですからね。
でも確かにお酒の席でジョークでですけどね。
気をつけてくださいね。
大きなカーディガンのセーターのボタンを外して。
ギャグですよね。
三谷さんの前ではなさらないほうがいいですよ。
継続は力と。
作家で演出家でもいらっしゃるから、ご覧になっていますね。
最初のコメントとえらい違いです。
続いて伺うのはミュージカル。
さっきちょっとお話が出かかったかもしれません、ミュージカルは、どういう位置づけですか。
それこそ「ラ・マンチャの男」もそうですし若いころ本当にミュージカルが好きでいろんな舞台を見ていたんです。
養成所に入り声楽もありますしダンスのレッスンもあるじゃないですか。
歌うことは結構好きだったんですけどチャンスが、リズム感がなくて若いときって意識がとても理想が高いところにあるじゃないですか。
ミュージカル俳優というのは歌えて踊れて芝居のできる三拍子そろった人がやるもので俺なんかはやるべきじゃないと思ってミュージカルという選択肢を自分から外した時期があったんです。
そうしたら見なくもなっちゃったしでも不思議なことに、やっぱり三谷さんなんですけど。
縁は放ってはおかなかったと。
40にして、初ミュージカルが「オケピ!」これがいい作品だったんですよね。
私も2回も見てしまいました。
私は1回でしたがとても感動しました。
オーケストラピットの中でさまざまな楽器を演奏する人たちの群像劇です。
それを描いたミュージカルです。
小林さんの登場シーンです。
♪「名前のヒントは」♪「漢字で二文字」♪「名前のヒントは」♪「かなでも2文字さ」♪「かなでも2文字さ」
拍手
初めてとは思えない。
かっこいい!これはよく見たらリハーサルではないんです、本番なんです。
ジャージをはいてセンターで歌っている。
小林さんにしかできませんね。
これは青山劇場だったんですが同じく出演した川平慈英から青山劇場でジャージでセンターを取った男と呼ばれました。
前代未聞だったんでしょうね。
タキシードでトップハットとは違いますからね。
かっこいい。
役柄的には2文字で、と今歌っていました。
楽団員に誰にも名前を覚えてもらっていないという役なんです。
ビオラの演奏者なんですけどビオラの人と呼ばれていましたね。
いい音色なんですけどね、とても。
そこで名前があるんだとアピールするシーンです。
実際に立ってみてどうでしたか?舞台でセンターで。
今回、歌っていますからね。
1曲ソロをいただいていますから勘違いする気持ちよさでしたね。
役者冥利に尽きるという。
それ以来ミュージカルはやると。
そんなに多くはないですけど去年もやらせていただいたんですけど楽しいですね。
本番で歌うのももちろんなんですが、歌稽古が楽しいです。
芝居の稽古はいいから歌稽古をずっとやればいいのにって。
そういうわけにはいかない、本番が必ずありますから。
歌うことが好きなのかもしれないですね。
楽しいですね。
このすばらしい舞台で、ミュージカルのきっかけなりました。
「オケピ!」の舞台、三谷さんは小林さんに対してはらわたが煮えくり返ったことがあったそうなんです。
お分かりですか?ご本人いわくですよ。
あれでしょ?三谷さんに伺ってまいりました。
初演のときにですねこれぐらいの、10cmぐらいの段を踏み外しまして。
何だったのかな僕も忘れちゃったけど本人に聞いてほしいんですけど捻挫か、こむら返りか何か足を痛めまして、本番直前に。
そのときは、はらわたが煮えくり返りましたけどもこんな大事なときにね。
しかも主演の真田広之さんなんて彼の何百倍も動いてるのに全く元気なんですけど。
ほとんどボックス踏んで捻挫したやつなんて聞いたことないよみたいなそんなときもありました。
これは事実。
何が起きたんですか?初日の2週間前でしたね。
踏み外したんじゃないんです。
初めてのミュージカルで1曲ソロをいただいて歌もあるし踊りも振りもあるんです。
うえしまゆきおさんという方がまず簡単な振りをつけてくれるんです。
初めて振りがついたから、一生懸命稽古して難なくクリアーしたんです。
そうしたらもうちょっとランクを上げましょうかとなってなんてことないんです。
要するに段差があって1つ階段をぽんと置いたらぴきんといって肉離れです。
肉離れが起きたんです、初日の2週間前に。
それは大変でしたでしょう。
大変どころの騒ぎじゃなくて近くの接骨院とかに行っても電気をあてるだけで2週間、3週間安静にしているようにそんなことしていられないじゃないですか。
そのときに主演の真田広之さんが、スポーツマッサージがあるからと紹介してくださってそこは本当に日本のトップアスリートたちも通うところでただその代わりすごい治療でした。
患部をぐりぐりぐりぐり。
日本のトップアスリートが泣くくらいでもそれを聞いたら泣くもんかと思ったんです。
なぜそんなところ意地をはっているんだという感じですが鳴くもんかと思った代わりにほえまくりました。
泣いたほうが迷惑かけなかったです。
結果、5日の休みで済んだんですけど。
5日休むということの重大さが分かるじゃないですか。
降ろされるんじゃないかとかもあったし休んだ5日は電話がくるんですよ三谷さんから。
きょうは彼が歌詞を覚えて台本を離して歌ったよとか代役をやってくれる人がきょうは全部台本を離したよとかプレッシャーが。
それは落ち着きませんね静養中でも。
要するに元気かという励ましの裏返しなんですけどね。
今もその先生にお世話になっています。
ことあるごとに体のメンテはしていただいています。
代わりがききませんから。
本当に大変な思いでしたね。
それでミュージカル楽しんで舞台をされて。
もう1つ小林さんを作り上げたもの、最後に残った本です。
ご本をお持ちいただきました。
どういうジャンルになりますか。
芸談というんですかね。
歌舞伎俳優の方の。
芸能に関する本。
高校時代、芝居とかを見始めていたんですけど、初めて自分でチケットを買ってみたのが劇団民藝で滝沢修さんが演出で出演もされた武者小路実篤原作の「その妹」というものでした。
それが見たのがきっかけだったんですが滝沢修さんが若いころにお書きになった「俳優の創造」。
どういう部分が肥やしになっていますか?小林さんを形づくったんですか?自分1人の頭だと大したことはないので、やっぱり先人の知恵というか。
例えば台本の読み方とか滝沢さんなんか例えば台本はそれこそ早朝読むのがいいと、机の前に正座してねとそういうことが書いてありました。
もらってすぐ電車とかで、ではなくて心を落ち着けて作家さんが命を削って書いたものだみたいなそういったこととかね。
なかなかそこまで言われないと、ああそうかと思えないで。
なるほどなと思いながら。
あと芝居やるときにまず、このせりふこのシーンをどうやるかという前にこの作品全体を味わってからそこからその中の部分を、みたいなね。
そんなふうにやってきたかなみたいな。
こういう本を中心にお求めになっているんですか?三木のり平さんの「のり平のパーッといきましょう」は書店にありますけど古いのは古書街ですね。
大阪公演の休演日だとか夜公演しかないときとかは古書店に、演劇専門のお店があったりして探していましたね。
例えば夜1回だけの公演だったら1回の公演のためだけに何時に起きて、何時にごはん食べてみたいな何時に劇場に入って、なんてぜいたくな時間の流れなんだと思うことがあります。
その合間に、昔の人がどんなことを思ってやったとかとても勉強になりますね。
この本とミュージカルと恩人が形づくっているということでございました。
日常生活からすべて役者という小林さん。
本もお持ちいただいてありがとうございました。
おしまいに視聴者の方からメッセージが届いております。
嫁にもらってさんからです。
どんな舞台でもどんなドラマでもいつも一生懸命で全力投球な小林さんの姿を見るだけで幸せな気持ちになります。
カーテンコールの深々としたおじぎにも、人柄を感じます。
これからもご活躍期待しています。
ありがとうございます。
兵庫県の方からです。
1995年1月15日、倉敷で行われた東京サンシャインボーイズ最終日に神戸から見に行きました。
あれから20年。
神戸の地震や個人的な事故や病気など、さまざまな体験をしました。
でもこうして今も変わらずこばさんのお芝居を拝見できることをとてもうれしく思っています、これからも応援しています。
「オケピ!」の優しくておもしろい演技も国民の映画の、おさえたたたずまいももちろん「新選組!」の源さんも、とても大好きです。
「紅白が生まれた日」も楽しみです。
ありがとうございます。
「紅白が生まれた日」21日土曜日です。
2015/03/18(水) 13:05〜13:50
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 小林 隆[字][双]

「紅白が生まれた日」 人生を変えたドラマ? ゲスト:小林隆 司会:伊藤雄彦アナ 竹下景子

詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】小林隆,【司会】竹下景子,伊藤雄彦

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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