第9話 ねこのしっぽ亭へようこそ! (4)
「うーん」
恭一郎は困ったように頬を掻いた。深夜の恭一郎の部屋では、二つの人影がベッド脇で佇んでいる。
「…………。」
じぃと、青色の瞳が恭一郎の顔を見つめていた。
スノーゴーレム。オスーディアの北に位置する極寒の大陸。その、冒険者すら足を踏み入れるのを拒む白銀の山々の一部にのみ生息する、超希少種族である。
彼らの肉体は氷のように冷たく、その文字通り透き通る肌は雪の結晶と呼ぶに相応しい煌めきを放つ。粉雪のような白髪に、サファイヤを凍らせたような瞳。四大魔法では成し得ない、冷気を操る氷雪の一族。
恭一郎は知る由もない、そんな超絶レアモンスターの少女は、今まさに指先一つで恭一郎を困らせていた。
「えっと。……空いてる部屋じゃだめかな?」
「…………。」
メオのお古の麻服に着替えた少女は、ぎゅっと恭一郎の服の裾を掴んでいる。恭一郎の言葉に、泣きそうな表情で反対の意志を示した。
「……俺の部屋で一緒がいいの?」
「…………。」
こくこくと、少女は無言ながらも賛成の意思を強調する。恭一郎は、うーんと再び考え込んだ。
実年齢はともかく、見た目は13歳から14歳くらいである。ちょうど、リュカよりも少し上くらいだろう。しかしそうなると、さすがに一緒のベッドで寝るというわけにはいかない。そんなことをするために、この子を買ったわけではないのだ。
「んー、よし。なら、このベッドに寝なよ。俺もこの部屋で寝るから」
考えた末に恭一郎がかけた言葉に、少女の顔が少しほころぶ。嬉しそうに、ぴょんとベッドに飛び乗った。そのとき恭一郎の服を放してしまったことに気づいて、慌てて恭一郎の方を振り向く。
「別にどこにも行きやしないよ。ほら、言ったとおり俺はこの部屋で寝るから」
そう言って、恭一郎はごろんと床の上に寝転がった。椅子にかけてあった布切れをひとまずの枕にして、驚いた顔をしている少女を見つめる。
「いろいろ勝手にしてごめんね。今日はここでゆっくり寝るといいよ。明日ゆっくり、これからのことを話そう」
そう言って、恭一郎はにっこり笑う。そのまま、疲れた恭一郎の瞼はおもむろに眠りに閉じていった。
そんな恭一郎を、サファイアの瞳が不思議そうにずっと見つめる。
「……ゴジュジン」
完全に恭一郎が寝静まったころ、少女は嬉しそうに小さな声を出した。
ーー ーー ーー
「う、うぅん……。なんか冷たい……」
朝方、恭一郎は今の季節に不似合いな感覚に目を覚ました。まだ残る眠気のせいで目を開けられないまま、右手で違和感の正体を押しのけようとする。
むに
「……ん?」
むにむに
右の手のひらに、冷たい柔らかさが感じられた。不思議な触感に、恭一郎がなんだろうと手のひらを複雑に動かす。
むにぃ。むにむに。……ぽよんぽよん。くにくに。
「……んぅ? なんか固いものが……」
「ンゥッ。ゴシュジン……」
はて、聞き慣れない声が聞こえたぞ。そんなことを思いながら、恭一郎は右手の気持ちよさに集中する。冷たさのおかげか、段々と覚醒してきた頭でその感触が何なのか恭一郎は考えてみた。
「……って!! うわあああああああああっ!!!!」
頭の中の何かが噛み合った瞬間、恭一郎は焦りの叫びとともに飛び起きた。びっくりした少女が、ころんと恭一郎の胸の中から転がり落ちる。
「ご、ごめんっ! って! ななな、なんで君が下で寝てるの!?」
「オハヨ。ゴシュジン」
立ち上がり、肩で息をして少女を見つめる恭一郎を、少女は小さな笑顔で出迎えた。表情はあまり変わらないながらも、嬉しそうだ。
「って。ごごご、ごめん!! ま、前っ!!」
まだ眠そうな少女の身体を見た瞬間、恭一郎は慌てて右手を前に出した。そのまま、視線を少女から外す。
少女の麻布は、ぺろりと首のあたりまで捲れてしまっていた。当然、先っぽまでが丸出しだ。それどころかワンピースタイプであったため、なんかもう一言で言うならば裸同然であった。
「えと、その。……やばい」
先ほどの感触を思い出し、恭一郎の頭の血の気が引いていく。どう考えても、非常によろしくない行動をしているはずだ。自覚がなかったとはいえ、逮捕されても文句は言えない。
「ゴシュジン。オハヨ」
そんな焦る恭一郎とは裏腹に、少女は少し不安げな顔で恭一郎へ話しかけた。そういえば朝の挨拶を返していないなと、恭一郎は少女へおそるおそる振り返った。
「えと。おはよう」
布が降りていることにほっとしながら、恭一郎は少女に挨拶を送る。それを聞いた少女が、安堵したように嬉しそうに笑った。
ーー ーー ーー
「えと、てことは一応しゃべれはするんだね」
「シャベレル」
しっぽ亭の客席で、いつもの面々が少女を取り囲んでいる。恭一郎の質問に、少女は元気よく答えた。
「俺が今は君のご主人様なわけだけど、俺は君を奴隷として働かそうなんてことは考えてないんだ」
「ゴシュジン。ゴシュジンチガウ。……ナンデ?」
どうも、見た目よりも随分と中身は幼いらしい。アイジャが横から、元々そこまで賢い種族じゃないと恭一郎に耳打ちする。オスーディア語を話せている辺り、目の前の少女はだいぶ優秀な個体らしい。
「ゴシュジン。ワタシイラナイ。ポンコツダカラ」
じわっと、少女の目から涙が溢れてきた。冷たい冷気を放つ涙は、そのまま頬を伝って滴り落ちる。
「わ、違う違うっ! 別に君が嫌なわけじゃないよ」
「ジャ。ナンデ。イラナイイッタ」
うぐうぐと、少女の固い表情が目に見えて歪んでいく。今にも声を上げて泣き出しそうだ。恭一郎は、なんとか宥めようと分かりやすく話した。
「君を、無理に働かせたくないんだ。君の好きなようにしていいから。君はどうしたい?」
伝わっているかなと、恭一郎は心配しながらも少女に説明する。幸いにも伝わったのか、少女が泣きやみ、少しだけ考える素振りを見せた。
「スキデイイ?」
「うん、いいよ。君のしたいように、俺たちも協力するから」
うんうんと、しっぽ亭のメンバーが頷く。それを見た少女が、ぱあと明るい顔を見せた。今までで一番の、感情を表した顔だ。
「ゴシュジン! イッショ! ワタシト!」
恭一郎を見つめ、少女がはしゃいだように声を上げる。これはもう、しっぽ亭の一員になるのは決まったようだ。メオもアイジャも、仕方ないなと微笑んで少女を迎え入れた。リュカは新しい友達が増えるのが嬉しいのか、ぎゃおおと楽しそうに吠えた。
「ゴシュジン! イッショ! コドモツクル!!」
そんな微笑ましい雰囲気の中、少女の嬉しそうな声が店内に響きわたる。
「……え?」
「ん?」
「ぎゃお……」
三者三様に声を出した女性陣が、ぴしりとその動きを止めた。その傍らで、恭一郎が聞き間違いかなと小首をひねる。
「ゴシュジン! スキ! コドモホシイ!!」
わーいと恭一郎の胸に飛び込んできた少女を、恭一郎は咄嗟に胸で受け止めた。そのまま、慣性の法則に従って椅子から倒れ落ちる。
「って!! ちょっと待ちなさぁあああああああああい!!」
少し恰幅が良くなり声量を増したメオの叫び声が、天井を突き抜けて夏の空に響きわたった。
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