NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教 ▽オウムVS警察 2015.03.19


(麻原)修行するぞ〜。
(一同)修行するぞ修行するぞ!修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ!尊師が君の力を貸してほしいとおっしゃっている。
はい喜んで!ポアするしかないか。
社会に衝撃を与え多くの謎を残した事件を徹底検証。
未来への教訓を探る「シリーズ未解決事件」。
File.02でひもとくのはオウム真理教。
オウムが起こした化学兵器による2つの無差別テロ。
死者8人負傷者150人を超えた松本サリン事件。
ちょっと外出てて!危ないガス出てるから!死者13人負傷者6,300人を超えた地下鉄サリン事件。
化学兵器が市民に向けられたかつてない事態に社会が震撼した。
事件の首謀者…事件の動機について一切語らぬまま死刑が確定した。
今なお世界の専門家がオウムによる化学テロの検証を続けている。
アメリカ海軍の元長官でテロ対策の専門家。
サリンを製造した死刑囚に面会し詳細を調べている。
2つのサリン事件はなぜ引き起こされたのか。
死刑が確定した元幹部たちの手紙による数々の証言。
元信者50人以上にも取材した。
更に700本を超える教団の極秘テープを独自に入手。
麻原の真のねらいに迫った。
教団を設立した時から社会を破壊し支配しようとしていた麻原。
今回の取材で警察がひそかに捜査を進めあと一歩のところまで迫っていた事が明らかになった。
複数の警察本部が早い段階からオウムとサリンの関係をつかみ包囲網を狭めていたのだ。
サリンを巡るオウムと警察との知られざる攻防。
17年目の真実に迫る。
1995年3月20日。
地下鉄千代田線にオウムの医師林郁夫が乗り込んでいた。
持っていたのはサリンが入った袋と先をとがらせた傘。
実行犯に選ばれたのは5人。
医師や科学者などのエリートたち。
日本の中枢霞ヶ関を狙い5つの路線でサリンをまく計画だった。
サリンの入った袋をそれぞれ違う種類の新聞紙でくるんでいた。
(車内アナウンス)「次は四ツ谷四ツ谷です。
JR線はお乗り換え下さい」。
床に置いた袋に穴を開けて猛毒のサリンを気化させ多くの乗客を殺害しようとしたのだ。
(車内アナウンス)「丸ノ内線をご利用頂きましてありがとうございます。
この電車は新宿行きです」。
ねえ春休みどっか行かない?ホント?どこがいい?映画とか。
あいいね。
今何やってんだろうね?うち今の映画よく分かんないな。
実行犯たちを突き動かしたのは救済のためなら人を殺してもよいとする麻原の教えだった。
(サイレン)下がって下さい!ちょっと外出て外!危ないガス出てるから!被害者や遺族の無念の思いは今も消える事はない。
地下鉄サリン事件の遺族高橋シズヱさん。
霞ヶ関駅の助役だった夫一正さんはサリンの袋を撤去し床を拭いた直後に倒れ帰らぬ人となった。
オウムの関与が疑われる事件がいくつも起きていたのに警察はなぜ防ぐ事ができなかったのか。
サリンを巡る警察とオウムとの攻防。
その原点はどこにあったのか。
麻原の側近だった人物が取材に応えた。
教団のナンバー2だった…私はあまりゴチャゴチャ言いたくないんですよ。
これ見たら分かるでしょ!ばからしいですよこんなの。
教団を代表して一連の事件はでっちあげだと繰り返してきた。
偽証罪で懲役3年の刑を受け服役した。
現在は自ら宗教団体の代表を務める上祐。
麻原を否定する立場を明確にしたいと自らも関わっていた武装化の闇を語り始めた。
これまで富士山麓で93年ごろに始まったとされてきた殺人兵器の開発。
実はその原点は別の場所にあったと初めて明かした。
オウムは熊本県旧波野村に進出。
15haの土地を取得し500人以上の信者を送り込んだ。
(子どもたちの騒ぐ声)オウムはその目的を教育や医療機関を備えた…しかしその裏で進められていた兵器の開発。
直接携わった元信者の証言が得られた。
私がいたのはこの辺りかこの辺りだったと思うんですけど。
警察はオウムの動きをつかんでいたのか。
現場の警察署長としてオウムを警戒していた。
旧波野村に軍事拠点を作ろうとしていたという上祐の証言を聞いた。
(上祐)「波野村というのは実はあそこに麻原はヴァジラヤーナの教団武装化の拠点を作ろうとした。
あそこでいろんな軍事兵器を開発しようとしていた訳です」。
ほお〜ねえ〜びっくりする。
ホントにまさかと思うね。
22年たって初めて知ったオウムの武装化計画。
しかもこの計画に気付く事ができた大きなチャンスがあった事が分かってきた。
一日も早くオウム真理教を撤退させたいと思います。
頑張るぞ!
(一同)オ〜!住民2,000人の旧波野村。
500人以上の信者の移住で村を乗っ取られかねないと不安を募らせていた。
熊本県警はオウムの実態を知ろうと施設に踏み込むきっかけを探していた。
そしてオウムの土地取得に国土法違反の疑いが浮上。
警察として初めてオウムに対する強制捜査に乗り出す事が決まった。
私の生まれた地熊本県…しかし宗教団体への捜査は慎重に行うべきだと一部の幹部から異論が上がった。
結局桑原たちは待機を強いられ強制捜査は1週間延期された。
実はこの強制捜査の延期が警察に致命的な結果を招いた事がNHKの取材に答えた元オウム幹部の手記から明らかになった。
一連の事件を後悔し反省しているとして家族を通じ手記を寄せたのは…諜報活動の責任者だった井上は事前にこの強制捜査の情報を得ていたというのだ。
「『えっ強制捜査が入る?』受話器を持つ手が震え体を縮こませてメモをしました」。
情報は夫が熊本県警の警察官だった女性信者からもたらされたという。
オウムは強制捜査が延期されている間に武装化の隠蔽を進めた。
警察の動きを事前に察知したオウム。
しかし麻原は激しく悔しがったという。
報道陣の方は入れないでほしいそうです。
1週間遅れて実施された熊本県警の強制捜査。
施設22か所を捜索し国土法違反などの疑いで幹部6人を逮捕。
組織図や資金に関する資料を押収した。
しかし武装化に気付く事はできなかった。
オウムの殺人兵器開発の拠点は山梨県旧上九一色村に移った。
サティアンと呼ばれる30棟もの施設を建設。
その一つ第7サティアンでついに化学兵器サリンの開発を始めたのだ。
実はこの第7サティアンの責任者はオウムとサリンの関わりを強く否定してきた上祐だった。
この時麻原からこう迫られたという。
どうしようかなどうしようかなどうしようかなって思って…オウムは複数のダミー会社を使って原材料となる薬品を大量に購入。
限られた信者だけで極秘裏にサリンの開発を進めた。
この間に上祐は麻原からロシア支部に行く事を命じられた。
第7サティアンを引き継いだのは…70億人以上の致死量に相当する70トンのサリンの製造を目指した。
警察はオウムの動きをどこまで把握していたのか。
神奈川県警元捜査一課の志賀俊明。
旧上九一色村のオウムの施設に疑いの目を向けていた。
志賀がオウムの施設を初めて訪ねたのは89年12月。
神奈川県内で起きた坂本弁護士一家殺害事件の捜査のためだった。
当時坂本さん一家をオウムが施設に監禁しているのではないかという疑惑があった。
教団の実態を探り続けた志賀。
更に不審を強めたのは第7サティアンの建設が始まった時だった。
このころ各地でオウムを巡る出家やお布施のトラブルが相次いでいた。
不審な団体の動きを監視する公安警察もオウムに警戒の目を向け始めた。
公安警察のトップ…93年5月。
全国の警察にオウムの監視を強めるよう指示を出した。
しかし具体的な情報はつかめず本格的な実態解明に乗り出す事はできなかった。
一方オウムは警察が警戒を強める中サリンの開発を急いでいた。
関わったのは3人の理系エリートたち。
その一人…図書館で入手した論文を基に危険を伴う環境でサリンを作ったと証言した。
「息をとめてやりました。
腐食性のある塩素ガスなどが発生し私たちは安全ではありませんでした」。
実験に携わった信者たちは何度も中毒で死にかけたという。
注射をうって下さい。
当時実験の助手を務めた元信者。
警察の動きを警戒して製造を中断する事もあったという。
開発を始めて8か月。
30キロのサリンが完成した。
サリン完成直後麻原が一部の幹部に心境を語ったVTRを入手した。
94年6月。
オウムはついにサリンによる最初の無差別殺人を実行する。
サリンをまく特殊な車も製造。
標的はオウムの裁判を担当していた長野県松本市の裁判官の官舎だった。
サリンは地表に近い高さで広い範囲に流れた。
(サイレン)翌日現場に入り後に毒ガスをサリンと鑑定した…被害者の部屋は見た事もない悲惨な状態だったという。
長野県警は300人態勢で捜査に乗り出した。
しかし最初に通報した会社員河野義行さんを犯人と疑い自宅を捜索。
無実の河野さんにこだわり捜査は混迷を極めた。
ところが今回の取材で長野県警の一部の捜査員によってオウムに的を絞った秘匿捜査が行われていた事が明らかになった。
入手した捜査の記録。
コードネームはY。
オウムの事をこう呼び理系出身の警察官を選抜して捜査チームを作っていたのだ。
このチームを率いた元長野県警捜査一課の吉池松男。
当初から河野さん犯人説に疑問を感じていた。
捜査チームはどのようにしてオウムに行き着いたのか。
きっかけはサリンの原料となる薬品の捜査だった。
追跡したのは14の薬品。
この中から流通量が限られている通称ジメチルに最初の的を絞った。
日本でジメチルの流通に関わっていた会社は232。
個人で購入したのは1人の男だけだった。
しかも大量に現金で買っていた事が分かった。
捜査チームは直ちに男の住所に向かった。
そこは東京・世田谷の5階建てのビル。
近づくと異様な気配を感じた。
ビルはオウムの拠点だった。
捜査チームに衝撃が走った。
更にジメチルの流通ルートを洗うと4つの会社が浮上。
いずれもオウムの信者が役員を務めていた。
この薬品が旧上九一色村に運ばれている事も分かった。
松本サリン事件から1か月余りあと94年8月の事だった。
同じ94年8月。
弁護士一家殺害事件の捜査を続けていた神奈川県警元捜査一課の志賀俊明。
長野県警とは全く別の捜査からオウムとサリンのつながりにたどりついていた。
全国の教団施設17か所を特定。
重要な拠点を24時間態勢で張り込み出入り業者の車まで徹底して追跡した。
今回入手した内部資料。
オウムと取り引きのある301の業者を割り出した。
そこには薬品会社も含まれていた。
銀行口座を調べ資金の流れも洗い出した結果大量の薬品を買い集めていたオウムが関係する2つの会社を突き止めた。
くしくも長野県警が捜査でたどりついた会社と同じだった。
更に教団の機関誌の分析から麻原が松本サリン事件の3か月前に高知県で行った説法の中でサリンに言及していた事を突き止めた。
神奈川県警の捜査本部はオウムが危険な団体だと強い危機感を持った。
当時の捜査一課長上林清。
一刻も早く強制捜査に乗り出して教団の実態を徹底的に解明すべきだと考えたという。
長野県警の捜査チームそして神奈川県警がつかんだオウムとサリンをつなぐ情報は警察庁に報告された。
事件後沈黙を続けてきた当時の刑事警察のトップ元警察庁刑事局長の垣見隆が初めてインタビューに応じた。
全国各地に拠点を広げ信者1万人を超えていた宗教団体にどう踏み込もうとしていたのか。
2週間悩み抜いた末垣見は警察庁内にオウム専従班を結成した。
警察庁の特殊事件や広域捜査が専門の幹部たちが集められた。
94年9月初め地下鉄サリン事件の半年前の事だった。
その1か月後。
専従班にオウムとサリンが完全につながる情報がもたらされた。
旧上九一色村のオウムの施設のそばで異臭がし草木が枯れた事がきっかけだった。
当時の捜査資料。
警察は周辺の土壌を採取し詳しく鑑定した。
その結果サリンが分解した時に出来る残留物が検出されたのだ。
オウムの施設でサリンが作られていた事が決定的になった。
この時捜査に協力した元陸上自衛隊の化学兵器の専門家山里洋介。
サリンが大量に製造されているのではないかと危機感を抱いた。
それでも警察は動けなかった。
そもそもサリンの製造を取り締まる法律は当時日本にはなかった。
松本サリン事件の捜査も決め手を欠いていた。
長野県警はオウムが原料を買っていても実際にサリンをまいたという証拠まではつかめていなかった。
河野さん犯人説も捨てきれずにいた。
警察庁のオウム専従班。
別の事件で強制捜査できないかオウムの関与が疑われる事件の情報を全国の警察からかき集めた。
強制捜査できる可能性が最も高かったのは山梨県警の事件。
脱会した信者が教団幹部に無理やり連れ戻されていた。
元山梨県警捜査一課長の依田茂。
監禁の疑いで強制捜査できないかと考えていた。
しかし警察はここでも捜査に踏み切る事はできなかった。
規模の小さな山梨県警。
垣見には苦い記憶があった。
一方対するオウム。
警察の動きを察知し備えを固めていた。
94年の末。
NHKに手記を寄せた諜報活動の責任者…「実はこのころ麻原が先制攻撃をもくろんでいた」と明らかにした。
麻原は「早ければ年明けにも宗教戦争の前哨戦を宣戦布告する」と言っていたというのだ。
70トンのサリンを使った首都への攻撃。
詳細は次のようなものだった。
「千代田区中央区港区サリン散布の拠点として皇居をぐるりと囲むように10か所テナントやマンションを極秘に借りていました。
国家の中枢機関の破壊を狙っていた事は確かです」。
しかし95年元旦。
報道でオウムとサリンとの関係が明るみに出た。
「大声を上げて村井さんを呼び見た事がないほど厳しく当たり散らしていた」。
「12月いっぱいで7トンは出来ると言ったのにそれが出来ずこのざまだ。
神々が12月中にやれと言われたのにどうするんだ」。
麻原は警察の強制捜査を警戒しその日のうちにサリンの処分と工場の隠蔽を指示。
オウムと警察のにらみ合いが続いた。
95年2月事態が大きく動いた。
東京・品川で公証役場の事務長假谷清志さんが拉致されオウムの犯行の疑いが強まったのだ。
圧倒的な動員力を持つ警視庁の下で起きた事件。
警視庁を中心に各地の警察が一斉にオウムへの強制捜査を行う方針が決まった。
Xデーは3月22日。
大規模な強制捜査の動きに気付いた麻原。
移動中のリムジンの中で地下鉄にサリンをまくよう指示した。
その目的はこれまで強制捜査を阻止するためだとされてきた。
リムジンに同乗していた井上嘉浩が真相を明かした。
「実はリムジンでは『たとえサリンで攻めても強制捜査は避けられない』という点で終わったのです」。
「しかし何もしなければただ終わってしまうだけだ。
ハルマゲドンを自ら起こし麻原は予言を成就させようとしたのです」。
裁判でも語られる事がなかった地下鉄サリン事件の真のねらい。
強制捜査が避けられないとしても麻原は自らの予言にこだわり大量殺人を実行したのだ。

(袋を刺す音)
(サイレン)ちょっと外出てて!外外外!危ない!ガス出てるから!結局警察が強制捜査に入ったのは事件の2日後だった。
オウムにあと一歩まで迫りながらサリンによる無差別殺人を許してしまった警察。
もし70トンのサリンがまかれていれば日本が壊滅していたおそれもあった。
オウムの暴走を止める事はできなかったのか。
坂本弁護士一家殺害事件の解決に6年を費やした神奈川県警。
オウムとサリンの結び付きに早くから気付いていながら動けなかった長野県警。
刑事警察のトップだった垣見隆。
事件の1年後警察を去った。
あと一歩何が足りなかったのか自問自答を続けている。
事件の被害者たちは終わる事のない苦しみを抱えている。
31歳の時に地下鉄でサリンの被害に遭った浅川幸子さん。
今も重い後遺症が残っている。
無理じゃなくて。
う〜ん何て言うのかな。
救済の名の下に社会を破壊しようとした麻原彰晃。
命じられるままに無差別テロを実行していった若者たち。
事件から17年闇の深さは今なお底知れない。
悲劇を繰り返さないために何ができるのか。
その問いは今も社会に突きつけられている。
つまりこの事件はオウムが暴走する原点になった。
この時隠蔽できていなかったらこのあとの暴走はなかったかもしれないって思いませんか?ポアするしかないか。
ポアとはオウムではありがたい事なんですか?本来行くべき世界よりもより高い世界へグルが導く事をポアと言ってるんです!脈がない!人を殺す事が修行なんですか?そういう事が救済につながるんですか?それって宗教なんですか?尊師が君の力を貸してほしいとおっしゃっている。
救済するぞ〜。
救済するぞ救済するぞ!救済するぞ救済するぞ!私が救済の道を歩くという事は他のために地獄に至っても構わない訳だから本望である。
(袋を刺す音)2015/03/19(木) 01:00〜01:59
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教 ▽オウムVS警察[字][再]

社会に衝撃を与えた事件を徹底検証する「未解決事件」。ファイル2は化学兵器による世界初の無差別テロを起こしたオウム真理教。実録ドラマとスクープドキュメントで迫る。

詳細情報
番組内容
社会に衝撃を与え、多くの謎を残した事件を徹底検証するシリーズ「未解決事件」。ファイル2は、化学兵器による世界初の無差別テロを引き起こしたオウム真理教をひもとく。2つのサリン事件を止めることは本当にできなかったのか。150人を超える捜査関係者の証言から浮かび上がる警察の極秘捜査の存在。一方、オウムの元最高幹部の証言や死刑囚の手紙から、裁判でも語られなかった地下鉄サリン事件の真のねらいが明らかになる。
出演者
【ドラマ出演】萩原聖人,冨樫真,羽場裕一,豊原功補

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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