歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
高橋歴史女学館へようこそ。
今回はいよいよ武士が登場します。
武士といえば館長ですね。
1,000年も前に生きた武士の役作りってどうやってやるんですか?すごく難しそうですよね。
でも楽しいんですよ。
何年も昔の事なんだけれどもその時その時代どういうふうにその人が生きていたのか。
どういう場所でどんな考えを持って生きていたのか。
それを想像しながら役を作っていくんですが実に楽しいです。
へえ〜。
さすがです。
では早速今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…武士の登場。
弓馬を操る戦闘集団武士は…ある時は…ある時は…ある時は反乱を起こす。
武士とは何者だったのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…武士はどのように生まれどう成長していったのでしょうか。
平安時代っていうと前回は華やかな貴族文化を学びましたよね。
優雅で平和な時代だったんじゃないんですか?とんでもないんです。
華やかな貴族の文化が表だとしますとその裏では武士たちが戦いに明け暮れて貴族の平和を守っていたんですね。
(生徒一同)へえ〜。
では武士たちがどのように生まれたのか見てみましょう。
「三つの要」その一。
10世紀律令は紛争解決の手段としては機能せず力の強い者が勝つ自力救済の時代でした。
朝廷の支配も地方には行き渡らず各地で度々反乱が起こります。
その鎮圧のため朝廷は中央の下級貴族や地方の有力者を押領使追捕使として派遣しました。
彼らは反乱を鎮圧した後も地方に土着。
土地を切り開いて開発領主となりました。
そして私兵を蓄えます。
また都では内裏や貴族の邸宅の警護に当たりました。
こうして…このころの武士の具体的な例を見てみましょう。
桓武天皇の末えい平将門。
歴史の舞台に武士が登場した最初の事件の主人公です。
桓武天皇のひ孫に当たる高望王は中央から東国に派遣されそのまま土着。
開発領主となりました。
高望王の孫平将門は地元に根づいた武士として農民たちと共に新たに土地を開墾し農地を増やしました。
自力救済の時代自分の土地は自分で守らなくてはなりません。
将門たちは砂鉄から鉄を取り出し農具を作ったほか武器も生産し土地を守るために武力を強化していました。
939年将門は常陸の国司に反抗した藤原玄明を助けた事をきっかけに反乱を起こしました。
そして自ら…同じ頃西日本でも反乱が起こります。
伊予の藤原純友の乱です。
純友は…この2つの乱が…東からは将門西からは純友に攻め込まれるのではないか。
追い詰められた朝廷は異例の太政官符を発行。
将門を討った者には貴族の位を与えるという破格の報奨を打ち出します。
当時貴族の位は代々世襲で受け継がれる特権階級。
武士が貴族社会に入るなどありえない事でした。
太政官符の呼びかけに応じたのが藤原秀郷と平貞盛。
共に東国の豪族です。
将門の反乱は同じ東国の武士によって終えんを迎えたのです。
将門を討った貞盛と秀郷は約束どおり貴族の位を与えられました。
この出来事が政治の場に武士が深く関わっていくきっかけとなったのです。
武士の誕生理解できましたか?武士は朝廷の武力。
でも平将門は朝廷が派遣した国司を襲ったんですよね。
よく分からないです。
難しいですよね。
やはりここは我が女学館の特別講師にお願い致しましょう。
それでは…。
せ〜の。
(3人)本郷先生お願いしま〜す。
・は〜い。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
初登場本郷和人先生です。
(一同)よろしくお願いします。
館長にも。
よろしくどうぞ。
早速ですが武士の誕生。
さまざまな説があるという事なんですが教えて頂けますか?はい分かりました。
じゃあボードをご覧下さい。
大体2つの方向から武士の誕生というのを説明するんですね。
1つは京都の朝廷に仕えている貴族。
その貴族たちが都を離れて現地へ下向して現地でだんだんと力を得て武士になっていったというのが1つです。
それからもう一つあります。
それはもともと現地の人たちその有力者。
現地の豪族だったりもしかしたら有力な農民もいたのかもしれません。
そういう人たちが力を得てだんだんと成り上がっていって武士になった。
こういう方向性もあるのではないかと。
その武士たちなんですが次のまた2通りの生き方をして力を伸ばしていきます。
(込山)はい。
(本郷)どうもありがとうございます。
それは中央とそれから地方それぞれの生活が武士にはあったそういう事なんです。
中央では何をしていたか。
宮中貴族の警備。
それから都の治安を守る。
そういう警察みたいな仕事をしていたんですね。
それから今度は自分の領地である地方に帰ってくるとまず大きな土地を切り開いて開発領主というような存在であった。
で開発領主の子孫たちが在地領主と呼ばれてたんです。
たくさんの土地を持ってたんですね。
彼らは国司に仕えて…国司って今の県知事ですね。
県知事に仕えて館侍や国侍と呼ばれたりする。
それから地方の悪いやつを取り締まるために押領使とか追捕使そういうような役職に就いた事もある訳ですね。
都と地方の両方に軸を持って活躍していたという事…。
(本郷)そのとおり!すばらしい。
すごいですね。
非常に分かりやすかったですね。
本郷先生ありがとうございました。
さて武士たちは戦いを繰り返し武士団を作っていきました。
向井地君がこの辺調べてきてくれました。
そうですよね?はい。
武士に欠かせないもの。
それは…これ。
馬です。
当時の武士はこんな馬に乗って戦っていたと考えられているんです。
私も会いに行ってきました。
それでは「三つの要」その二。
武士たちは対立抗争を繰り返し強力な武士が他を統合。
武士団を作っていきました。
彼らは館を構え家来である…弓と馬の技術は武士の命に関わる最も重要なものだったのです。
東国はその地形から良馬を育てるのに適しており政府の馬牧官牧が多くありました。
良い馬がいたので強い武士団も育ちやすかったのです。
藤原秀郷が始めたといわれています。
現在この伝統行事を奉納するのは倭式騎馬會の皆さん。
毎月1回河川敷で流鏑馬の稽古に励んでいます。
(向井地)こんにちは。
こんにちは。
なんとその稽古にみーおんが参加させてもらいました。
(向井地)今日は流鏑馬の稽古に来ました。
よろしくお願いします。
この馬時代劇とかで見るよりちっちゃい馬ですね。
倭式騎馬會の馬は全て日本在来馬。
当時の武士たちと共に戦った馬の子孫で現在は2,000頭弱しか残っていません。
じゃあちょっと乗ってみてもいいですか?では乗ってみましょうか。
ありがとうございます。
今日はおとなしいこの女の子の馬なんですけど白星ちゃんです。
(向井地)白星ちゃん。
(松本)支えてます。
(向井地)よいしょ。
乗れた〜。
白星ちゃんに「進め」の合図を出していよいよ出発。
左右に揺れる馬の動きに合わせて重心を取る練習を続けます。
次は矢を射るために手綱を離して上半身を使う練習です。
(向井地)ひねるのはちょっと怖い。
ではだいぶ慣れてきたので1人で乗ってみましょうか。
はい。
では頑張って下さい。
はい。
行きます。
進め。
(松本)行ってらっしゃい。
あ〜すごい!1人で乗れてる。
わあ〜えっすごい。
何か意外とできます。
すごい楽しいです。
かわいい。
ではいよいよ流鏑馬を体験してみましょう。
はい!私も準備万端です!武士といえばやはり甲冑。
今回着るのは大将がつける大鎧のレプリカ。
重さは本物の1/3。
およそ10kgです。
兜をつけたら完成!では立ち上がってみます。
よっ。
あ〜。
ひ〜あ〜なんとか立ち上がれました。
重いですすごい。
東国武士の気持ちになりきってみたものの…。
これで馬は難しそうです。
ここ苦しい〜。
これならなんとか馬に乗れそうです。
行ってきま〜す。
狩りをする時の服装でチャレンジ。
的を立ててもらっていよいよ流鏑馬に挑戦です。
よく狙って狙って。
引いて…。
真横に来たらぱちんと。
手を離します。
せ〜のよしぱちん。
あ〜惜しい!次はどうかな?あ〜惜しい〜。
あとちょっと。
下。
ここんとこ撃つの。
なかなか的に当たらないみーおんに倭式騎馬會の森会長がコツを伝授。
(森)思い切りね。
さあ今度こそ。
(向井地)よいしょ。
できるかな?もうちょっと。
(松本)合図合図。
足足。
(向井地)食べてる。
進め〜。
あっいきます。
止まってる。
えいっ。
あ〜!やった〜!めっちゃうれしい。
当たった〜。
すごい!板が割れてる。
一日乗せてもらったお礼に白ちゃんを水浴びさせてあげました。
白ちゃんありがとう。
あ〜あははは。
白ちゃんありがとう。
いやいやお疲れさまでした。
馬初めてですか?はい初めてでした。
でも初めてにしては怖がってなかったね。
本当ですか?何かすぐ仲良くなれました。
流鏑馬すごい難しかったんですけどでも昔の武士の人は更に全力疾走の馬の上で重い鎧を着て流鏑馬をやってたっていうのがすごいな〜って思いました。
だから…この事がよく分かりますよね。
(生徒一同)はい。
さあ数多くの武士団の中で有力な者が現れました。
「三つの要」その三。
11世紀になると強力な武士団が現れその統率者は多くの中小の武士団を配下に従えるようになりました。
これが武士の棟梁です。
その代表が清和源氏と桓武平氏の一族です。
清和源氏の源頼光と頼信は摂関家に接近し保護を受けて名声を高めました。
頼信は…東国に勢力を伸ばします。
源氏が更に東国武士との結び付きを強める出来事が陸奥現在の東北地方で相次いで起こりました。
豪族安倍氏の反乱を源頼義が鎮圧した…そして別の豪族の後継者争いを義家が鎮圧した…源氏は東国武士団を率いて2つの乱を戦い棟梁として仰がれるようになりました。
義家が去ったあとの東北は奥州藤原氏が清衡基衡秀衡の3代にわたって統治。
独自の文化と繁栄を築き上げました。
一方桓武平氏の平正盛は…正盛の子忠盛は西国の海賊を討伐し上皇の信任を得ます。
更に西国の国司を歴任。
貴族の身分を得て上皇の近臣として朝廷に地位を築きました。
源氏と平氏はこうして勢力を広げていったのです。
源氏は東国武士団との結び付きを強めて平氏は朝廷での地位を固めてそれぞれ力を持ったんですね。
そうなんです。
そして後に源氏と平氏は雌雄を決する時が来る訳なんですがそれはまた次回以降に見ていきましょうかね。
(3人)はい。
我が女学館の特別講師本郷先生です。
よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
今日は高橋さんが本当に印象に残ってるんですが「大河ドラマ」で演じられた藤原秀衡。
あの時どんな事をお考えになって演じられてたんですか?役を頂いて真っ先にした事はまず台本を読む事とそれから藤原秀衡というのはどういう人物だったのかを感じるために藤原の里へ行きました。
そうなんですか。
でやっぱり…藤原秀衡殊に藤原の三代この人たちっていうのはその以前に東北で非常に悲惨な戦いがあって大勢の人たちが亡くなってますよね。
だからこそそこに理想郷をつくろうと。
平和の里をつくろうと。
それってあれです。
歴史遺産の平泉の理念そのものです。
そうですか。
でいわゆる穀倉地帯といいますか非常に豊かなもの。
これを守って大事にしていこうってみんなが考えたんじゃないか。
(本郷)今の高橋さんのお話に今日の全体のお話が密接に結び付いてくるんですけどもやっぱり藤原秀衡って人は在地すなわち平泉という土地に生きてる。
そういうのが1つ。
それから今度は都の文化を持ってきて流麗な建物を造っていく。
そういう文化をつくっていく。
そういう側面もあった。
その2つを兼ね備えた人物だったんですね。
なるほど。
本郷先生ありがとうございました。
(生徒一同)ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
今回の「武士の登場」やはり流鏑馬すばらしかった。
対立抗争の後強い者が他を統合。
武士団が生まれた。
強力な武士団の統率者は他の武士団を配下に従え武士の棟梁となった。
2015/03/19(木) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「武士の登場」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
今回のテーマは「武士」。武士とは一体何者なのか? 奈良時代や平安時代の律令制の中にも軍事をつかさどる人々は存在していた。しかし彼らが単に政治的な力をつけてそのまま武士になった、というわけではない。武士はどのようにして誕生し、力をつけていったのか、その起源と発展の過程を見ることで平安時代をより深く理解していく。
出演者
【講師】東京大学史学編纂所教授…本郷和人,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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