とです。
日本の代表チームが、年代別の世界選手権に出場できなくなったのは、制裁が科されてから初めてです。
名将、蔦文也監督率いる池田高校。
昭和57年夏、やまびこ打線はバントを駆使するこれまでの高校野球の常識を覆し全国の頂点に立ちました。
高校3年生だった私も準々決勝で対戦。
しかし14点を奪われ、完敗。
高校時代にあれほど打ち込まれたのはあの試合が初めてでした。
やまびこ打線はどのようにして生まれたのか。
私は沖縄に、ある人を訪ねました。
32年ぶりですかね。
あのとき、2年生ながら3番を打っていた江上光治さんです。
生命保険会社の営業部長を務める江上さん。
高校生以来の再会です。
ボールを次々と打ち返すバットの音がこだまのようだと名付けられたやまびこ打線。
しかし、意外なことにその呼び名は気恥ずかしさがあったと振り返ります。
本来、蔦監督は守備と機動力を重視したチーム作りをしていました。
その考えを変えたのは初優勝の前の年。
秋の四国大会で敗れセンバツ出場を逃したことがきっかけだったといいます。
ここから練習メニューはがらっと変わりました。
当時は珍しかったウエイトトレーニングを積極的に取り入れたのです。
レスリングの経験がある教師のアドバイスを受けて練習時間の3分の1を肉体改造に充てました。
苦しいトレーニング。
一冬越えて効果は目に見えて現れました。
よう飛ぶようになったね。
強打で3年ぶりに出場した夏の甲子園。
池田は初戦から2桁安打を続け相手を圧倒しました。
そして準々決勝。
3年生の私は5回目の甲子園。
最後の夏に悲願の初優勝を目指していました。
強打の池田でしたがエース、畠山投手をはじめ全員が初めての甲子園。
私たちとの対戦前はチーム内で、あるやり取りがあったといいます。
1回、私はエラーのランナーを一塁に置き3番の江上さんを迎えます。
初球は速球でストライク。
3球目得意のカーブで追い込みます。
江上さんは打てないと思ったといいます。
勝負の4球目。
私の、ある動作で江上さんは、カーブを冷静にイメージする時間ができました。
僅かな間を空けての4球目。
イメージどおりのカーブに江上さんの体が反応しました。
江上さんの1打で勢いづいたやまびこ打線。
私のチームはホームラン3本を含む20本のヒットを打たれ敗れました。
この大会で初優勝を果たした池田はよくとしのセンバツでも優勝。
蔦監督の決断から僅か1年でやまびこ打線は100年続く高校野球の歴史にその名を残しました。
2015/03/19(木) 18:10〜19:00
NHK総合1・神戸
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ジャンル :
ニュース/報道 – ローカル・地域
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