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NNNドキュメント「戦争孤児たちの遺言 地獄を生きた70年」

2015年3月22日(日)  24時50分~25時45分  の放送内容

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2015年3月22日(日)

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最終更新日:2015年3月16日(月)  16時30分

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番組詳細説明(表題)

戦争孤児たちの遺言
地獄を生きた70年

番組詳細説明(内容)

【内容】
今から70年前、昭和20年3月10日の東京大空襲は、一夜にして10万人以上の
市民を殺した。その中で、両親を亡くし、生き残った子どもたちの悲劇はほとんど知られていない。戦火の中を逃げのびた子、疎開先で難を逃れた子。彼らは「戦災孤児」と呼ばれ、一人ぼっちで生きなければならない過酷な生活を強いられた。
国が起こした戦争で親を奪われた罪なき孤児たち。しかし、孤児に対する国からの
援助はなかったという。終戦は、孤児たちにとって生きるための戦争の始まりだった。
 当時、訴える術のない子どもだった彼らは、今、70代後半〜80代になった。
命あるうちに、戦争の悲劇を伝えようと、重たい口を開け自らの経験を語り出している。
自らも孤児である金田茉莉さん(79)は、一人奮起し、同じ境遇にさらされた孤児たちがその後どんな人生を送ったのか、約30年調査を続けている。
番組では、金田さんの調査活動の足跡をたどりながら、戦災孤児たちの悲劇を明らかにする。戦後70年を迎える今、「孤児たち」の声なき声に耳を傾け、あの時代の暗部に光を当て、戦争の現実を考えてみたい。


戦災孤児・金田茉莉さん(79)
金田さんは浅草生まれ。東京大空襲の戦災孤児として、過酷の人生を送った。
小学校3年生のとき、3月10日の朝に学童疎開先の宮城県から帰京すると、東京は
一面焼け野原。路上におびただしい焼死体の山、地獄と化していた。未明の東京大空襲が過ぎ去った直後だったのだ。家は焼き崩れ、家族は行方不明。親戚の家をたらい回しにされた。親戚からは「親と一緒に死んでくれれば良かったのに」と辛く当たられ、近所の子どもたちからは「みなし子」と指をさされた。「親が生きていさえすれば…」
毎晩、涙でぐっしょり枕を濡らした。
空襲から3カ月後に、母と姉の遺体が隅田川から見つかった。妹は、いまだ行方不明だ。金田さんは、妹を弔うこともできず、いつまでも気持ちの整理がつかないと話す。
東京大空襲の罹災者の7〜8割が、川や海に流されたり、まとめて埋められるなどして行方不明だ。今も、家族の行方が分かっていない孤児が多い。

金田さん 執念の孤児調査
金田さんは、50歳を過ぎてから、自分と同じ境遇の「戦災孤児」たちがその後どんな人生を歩んできたのか、調査をすることにした。
しかし、どこにいるかも分からない孤児を探し出すのは大変な苦労だった。
学童疎開の研究会や、孤児の記事を掲載した新聞社などに問い合わせ、1年がかりで
60名の孤児の住所を調べ、手紙を出した。そして、返事が来た40人に独自にアンケート調査を試みた。回答があったのは21名。半数の孤児には「思い出したくない」
「話したくない」と拒絶され、孤児が過去を語ることの難しさを思い知った。
アンケートから見えてきたのは、多くの孤児が「学童疎開中に家族を空襲で亡くしている」「厄介者扱いされ、親戚をたらい回しにされている」「死を考えた」ということ。
孤児たち共通の孤独が見えてきた。金田さんは、さらに調査を深めていった。
すると、引き取り手のない孤児たちは「浮浪児」と呼ばれ、街に溢れていた実態も分かってきた。「食べるためには、拾うか貰うか盗むしかなかった」という、想像以上の
苦しみを強いられてきた孤児たちの声があった。

孤児たちの証言 (金田さんが調査した孤児たち11人を取材)
狩野光男さん(84)
 当時14歳。激しい空襲下を奇跡的に生き延びる。朝起きると、周りは遺体だらけだった。成人しプロの画家に。体験を伝えるという使命感から、これまでに空襲と孤児の絵を100枚近く描き続けてきた。空襲の凄惨な光景が生々しく伝わる。
草野和子さん(79)
 当時9歳。弟とともに兄一家に引き取られる。兄嫁から「泥棒猫」と言われ、ショックを受け、踏切へ行き自殺を図ろうとした。小児結核にかかったが遠慮して言い出せず、成人後、小児結核の放置が引き金になり、子どもを産めない体になってしまう。
山田清一郎さん(79)
 上野駅で浮浪児をしていた。世間からは「野良犬」と呼ばれ、誰からも助けてもらったことはないと話す。上野駅では、度々、都の職員が「狩り込み」と称して、溢れる浮浪児を施設に一斉収容した。山田さんは、狩り込みに何度も遭った。収容先では、
 逃げないように裸にさせられ、頭から冷水を浴びせられるひどい扱いを受けた。

「空襲犠牲者に補償を、追悼施設を」声を上げた孤児たち
 3月6日に、金田さんも参加する「全国空襲犠牲者連絡協議会」が、戦後70年の集会を開く。孤児たちを中心に、空襲により障害を負った人、片親を亡くした人等が立ち上がり、これまで一切補償をして来なかった国に対し、補償を求める運動をしている。
3月10日には、毎年「東京都慰霊堂」で大法要が行われる。
ここには、関東大震災の犠牲者5万8千人の遺骨と、空襲犠牲者10万5千人の遺骨が納められている。もともと「震災記念堂」だった施設に、空襲犠牲者の遺骨も併せて
納めることとなり名称を改めたのだ。孤児たちに言わせると、他人のお墓に「間借り」している状態。「このままでは死者が浮かばれない」と複雑な思いを抱く孤児も多い。
「独立した追悼施設を」と声を上げ続けている。
そんな中で、孤児だった海老名香葉子さん(81)(故・林家三平夫人)は、毎年、
東京大空襲犠牲者の慰霊祭を私費で開催。今年で11年目になる。海老名さんは
「国は、私たちに補償もしないし、追悼施設も作ってくれない。戦争で親を亡くし人生を狂わされた孤児たちに、ただ謝ってほしい」と話す。
金田さんもまた、海老名さんの思いに賛同し、慰霊祭に参加する。
番組で証言を集めた孤児は11名。ほとんどの孤児が、怒りと悲しみを湛えながら
同じ思いを口にする。70年を経て集結した孤児たちの言葉は、戦争を知らない世代への遺言として、強く、激しく、訴えかけている。

70年前、焼け野原に12万人もの子どもが放り出された。終戦は地獄の始まりだった。晩年を迎えた今、孤児たちが重い口を開いた。その言葉には哀しみと怒りが満ちていた。

出演者

  • ナレーター
  • 余貴美子

番組内容

「戦争孤児」ー70年前、焼け野原に12万人もの子どもが放り出された。戦争孤児には国の援助はなく、過酷な生活を強いられた。終戦は、生きるための戦争の始まりだった。自らも孤児である金田茉莉さん(79)は、同じ境遇にさらされた孤児たちがその後どんな人生を送ったのか、約30年調査を続けている。戦後70年を迎える今、多くの孤児たちが重い口を開いた。あの時代の暗部を生きたその言葉は、哀しみと怒りに満ちていた。

制作

日本テレビ

その他

人物情報

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番組概要

NNNドキュメント

レギュラー放送:月曜 0時50分~1時20分

公式サイト(外部サイト)

番組公式サイト

動画情報(外部サイト)

「戦争孤児」…70年前、焼け野原に12万人もの子どもが放り出された。終戦は地獄の始まりだった。晩年を迎えた今、かつての孤児たちが重い口を開いた。あの時代の暗部を生きた言葉は、哀しみと怒りに満ちていた。

動画情報(外部サイト)

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