裁断橋広場
公園の中心となる、郷土の歴史と人の心を賛える広場です。
桜の広場
入口に近く、湧水が設けられた公園のシンボル。水あそびのできるカナール・段滝へと続きます。
野外ステージ
石の舞台はミュージカルや演芸会などに利用できます。
野点広場
自由に散策し休憩でき る芝生広場です。その名 のとおり、お茶会にも利 用できます。
木橋
明治37年7月に改架された裁断橋の親柱と、その後使用されていた高欄による木橋です。これらは、熱田伝馬町姥堂裁断橋保存会の有志により保管されていたものです。
裁断橋ものがたり
天正18(1590)年2月18日、堀尾金助は、父の方泰が病気のため叔父の泰次に伴われて御供所を出発し、従兄の堀尾吉晴に従い小田原征伐に加わりました。初陣でした。 金助の母は祈願をかねて、当時熱田神宮付近にあった裁断橋まで見送りましたが、その願いもむなしく同じ年の6月、金助は18才で戦死してしまいました。 この戦がもとで泰次を、また病で方泰も亡くし天涯孤独となった母は、金助との別れの場となった裁断橋が古くなっていたことを思い出し、その改修のために私財をなげうつことを決心しました。 人助けにもなり、わが子の供養にもなると考えたのです。天正19年のことでした。 母は元和8(1622)年にも2回目の改修工事に取り組みましたが、その完成を見ることなく永眠しました。 その後、幾度も架け替えが行われた末、川の埋め立てにともなって橋は取り壊されました。昭和28年には3分の1の大きさで復元されましたが、平成4年にはそれも撤去されました。そして平成8年、金助の母が2回目に建立した裁断橋が、母子の出生地・大口に三百年以上を経て忠実に再現されたのです。 ※参考文献1「熱田裁断橋今昔資料展」「熱田裁断橋物語」 裁断橋にまつわる金助と母の物語は、「紙のかぶと」の題名でも親しまれています。
所在地