借りぐらしのアリエッティ ★★☆☆☆
「混ぜるな危険」
7/18(金)の放送が初見だった
「借りぐらしのアリエッティ」の感想。
原作は児童文学の「床下の小人たち」というものらしい。
CMや公開当時の特番などは見ていたので
なんとなくの内容だけは知っていた。
人が住む家に人知れず生活している小人の話。
妖精やら小人という題材は全くの空想というわけでもなく、
現代でも見える人には見えるという
霊やUFOといったものに近いと思う。
私はそういった類のものが全く見えないので
見える人の話を聞くのは好きであり、うらやましくさえ思う。
企画と脚本は宮崎駿はで参加。
ファンタジー色の強い題材であるので
幾分の期待をして観たのだが微妙な内容であった。
作画も美術も悪くはなかったと思う。
劇場という大画面にも耐えられるクオリティであった。
そこはジブリブランドといったところであろう
(猫の恩返しは良くなかったが・・・)。
では、いったいどこが面白くなかったのか。
見終わった後で強く訴えかけるものもなく、
とにかく中味がスカスカな気がした。
以前そのことを揶揄したツイートで
「人間に見つかったから引っ越す。じゃあね。」
といったものを目にしたことがあったが、
全くそのままだなと思ってしまったw
では原作が面白くないのか?というと
一概にそうも言えない気がする。
思い浮かんだのは「となりのトトロ」。
話の内容や雰囲気はとても近いと思う。
田舎の古い家の近くの森に
子どもにしか見えない生き物が住みついている。
それを見つけてしまった子ども。
そこから生まれるドラマ。
こちらも話の内容としては特に複雑なものではない。
「田舎に引っ越したら妹が森でお化けダヌキに出会い、
妹が迷子になったときに捜すのを手伝ってくれた。」
しかし、トトロのほうは退屈せずに見れる内容であった。
それは登場人物の感情の変化であったり、
細かい芝居であったり、ドラマの盛り上げ方であったり、
視聴者を退屈させない見せ方が盛り込まれていたと思う。
「アリエッティ」も序盤は悪くなかったと思う。
小人の目から見た世界が細かく描写されていて、
観ていて新鮮で少しわくわくする気分になった。
しかし「転」にあたる部分で少年に見つかり
ドラマが大きく変化するところからか、
なんとなく中途半端であった気がする。
少年は小人に興味を示し接触したいという思いを
探して直接会うという行動に移さず、角砂糖や
ミニチュアハウスで小人の気をひこうとする。
小人のほうも少年に興味があるのに接触しようしない。
そんな2人のモヤモヤした煮えきらない状態が
とても長く退屈に感じた。
しばらくして小人のほうから別れの挨拶をするために
会いに行くのだが、そこで2人が奇妙な会話を交わす。
少年は「ボクたち人間は何十億もいて栄えている。
君たち小人は少ないから滅びるんだぞ」と言い放つ。
非難されたことに怒った小人に対して
自分の弱さから出た言葉だと謝っていたが、
このやり取りも理解できなかった。
素直に自分の弱さを打ち明ければいいだけのところを
分かりにくい歪んだ形で伝えようとする。
コミュ症な現代の若者を表現したかったのだろうか?
だとしたら選んだ題材を間違えている。
温かいファンタジーの世界で表現する内容ではない。
その後、少年が良かれと思ってとった行動から
小人が家政婦に見つかってしまうのだが、
この部分も観ていて気持ちの悪い感じがした。
この家政婦は小人を害虫駆除のように処理しようとする。
リアリティを表現したかったのだろうか?
どこかポイントがずれている気がする。
宮崎と高畑という相反する演出を意識して混ぜた結果
ひどく味の悪いものが出来上がってしまったような感じか。
小人の男の子というカンフル剤にもなり得るキャラも
全くと言っていいほど活躍しないで終わる。
本当に必要だったのかすらよく分からなかった。
物語も小人と少年両者が結果的にどうなったのか
分からないままで終わる。
最後までモヤモヤしたままの作品であった。
もし米林監督をフォローするとすれば、
企画・脚本に宮崎駿が関わったせいで、
自分のやりたいことが存分に出来なかったかもしれない、
という点が可能性としてあげられる。
2作目となる上映中の作品「思い出のマーニー」も
完全にノータッチであるはずの宮崎が
執拗に米林のところに顔を出し、自分のアイディアを
使わせようとしていたようであるw
監督とは誰に何と言われようと自分が正しいと思ったものを
選択する強い意思を持っていなければならない。
今回の「マーニー」では宮崎の案を採用しなかったようなので、
少しは期待できるかもしれない。