桂米朝さん死去:ネタ数130は当代一

毎日新聞 2015年03月20日 00時24分(最終更新 03月20日 01時07分)

高座を務める桂米朝さん=大阪市北区で2002年1月2日、三村政司撮影
高座を務める桂米朝さん=大阪市北区で2002年1月2日、三村政司撮影

 19日に89歳で死去した落語界の重鎮、桂米朝さんは、戦後間もない時期に「滅亡間違いなし」と言われた上方落語を今日の隆盛に導いた人だった。芸人性と知性を兼ね備え、約130に上るネタ数は当代一とも言われた。現在、上方落語で演じられている作品には、米朝さんが先輩から口伝を受けたり、文献を調べたりして復活させた噺(はなし)も多い。

 長年の努力で培った高度な技術を持ちながら、常に観客への心遣いを忘れなかった。その落語は何よりも分かりやすく、多くの有望な若手を一門に引きつけた。ホールでの落語会を定着させ、全国を回って上方落語を全国区に押し上げた。

 現在、上方落語で演じられる作品には、米朝さんが先輩から口伝を受けたり、文献を調べたりして復活させたものや、事実上創作した噺も多い。1時間を超える名作「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」も、場面場面がバラバラに演じられていたものを米朝さんがまとめ上げた。また、夢をめぐってひと騒動起きる噺「天狗(てんぐ)裁き」も、明治期に上方から東京に渡って古今亭志ん生さんらが演じた噺を基に、米朝さんが復活させた。

 「落語とは、おしゃべりによって、お客さんを“違う世界”へご案内する芸であって、メーキャップも、大道具も、小道具も、衣装も、全部、お客の想像力にたよって、頭のなかに聴き手が作り出してもらう、ドラマである」。米朝さんは、2004〜05年に刊行された「桂米朝集成」(岩波書店)で落語への思いをこう吐露した。

 同じ正岡容(いるる)門下の小沢昭一さん、永六輔さんと親交を深め、故立川談志さんとは生涯の盟友だった。かつては「ハイ!土曜日です」(関西テレビ)などテレビワイドショーの司会や、ラジオのディスクジョッキーで活躍。晩年は後進の活躍が何よりの喜びだった。11年7月に現六代目桂文枝さんの襲名が決まった時は「上方の大きな名前が継承されるのは誠に喜ばしいかぎりです」、12年4月の二代目桂南天さんの襲名では「この名前を復活させてくれてありがたいこと」と語った。

 13年8月には肺炎で入院し、その後も入退院を繰り返した。14年新春の一門会では楽屋までは姿を見せたが、舞台に立つことはなかった。昨年6月の妻絹子さんの葬儀には参列した。【最上聡】

 ◇稽古をつけていただいた

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