記事詳細
【戦後70年~大空襲・証言(11)】
壊滅した深川から漂うのは「油の刺激臭、煙でいぶされた臭い、髪の毛が焦げた臭い、遺体の腐敗臭…」松崎静江さん(83)=東京都新宿区在住
目にしたのはいずれもうつぶせの遺体ばかりだったけれど、日に日にふやけて水ぶくれした遺体は、もとの2倍近くの大きさになっていくの。色も黄色く変色していって、人間とは信じがたかったわ。
遺体処理に当たる兵隊さんはみなさん無表情でしたね。次々に運ばれてくる遺体はおそらく下町大空襲で亡くなった人たちだったはず。処理しても処理してもまったく追いつかなくて、感情を無にしなければ処理する側の精神がおかしくなってしまいそうでした。亡くなった人の尊厳なんて言っていられる状況ではなかったのです。
学徒動員先で迎えた終戦の日、「もう空襲はなくなるのだなあ」
下町大空襲の後にも、危ない目にあったことがありました。機銃掃射です。
昭和20年6月から浜松町の国鉄印刷局に学徒動員されていました。切符をつくることが主な仕事だったの。月島-浜松町間を通う国鉄の車内でね、機銃掃射に遭ったのよ。
低空飛行で近づいてきた敵機から「バババババーン」とものすごい爆音がしてね。恐ろしいのと、その威力にあっけにとられるのと半分半分。友達と身体を寄せ合ってひたすら敵機が去るのを待っていたの。そのときにね、パイロットが笑っている顔が見えたの。なんて憎らしいのだろうと思ったわ。
学校では長刀の訓練を行っていたけれど、機銃掃射の威力、際限なく降ってくる焼夷弾を目の当たりにして「長刀や竹やりで対抗しようと考えているようでは日本も終わりだ」と父と話した記憶があります。