斎藤徹
2015年3月19日10時19分
東日本大震災から立ち直ろうとする街をカメラに収め続ける男性が岩手県にいる。震災で家族を失い、ひとりぼっちになったが、写真仲間に励まされて再びカメラを持つようになった。敗戦からの復興を果たしたふるさとは、震災からもよみがえると信じ、4月に震災後初の写真展を開く。
■家族失い一人に
岩手県釜石市の小川誠也さん(86)。4年前の3月11日、自宅で妻の静子さん(当時79)と地震の片付けをしているところを津波に襲われた。波は「ドォーン」という轟音(ごうおん)とともに窓をぶち破り、1階にいた妻をさらった。妻は3日後、近くの遺体安置所で見つかった。2階にいた自分は難を逃れた。
悲しみは続いた。がんの闘病を続けていた長男の行洋(こうよう)さんがその年の9月、53歳で逝った。長女の恵子さんは病気で32歳で亡くなっていた。ひとりぼっちになり、「何のために生きているんだ」と思った。
同じ釜石に住む写真仲間の遠藤顕一さん(72)は震災の数カ月後、自宅跡のがれきの中にたたずむ小川さんを見かけた。ひげぼうぼうで、こけたほお。40年以上前からの仲間。だが、声をかけるのをためらった。
がれきの中には、20代のころから撮りためてきたフィルムが埋まっていた。
■「あんたには写真しかねえべ」
「もういい」という小川さんを説得し、遠藤さんはがれきをかき分け、3カ月かけてフィルムを掘り出した。自宅に持ち帰り、丁寧に洗った。写っていたのは、戦争から復興し、高度成長期を迎え活気あふれる鉄の街。震災後の一変した街を見ると、なおさら貴重なものに思えた。
「写真集作るべ」。遠藤さんは小川さんに言った。「あんたには写真しかねえべ」
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