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アメリカ国防総省はソマリアを拠点に活動する過激派組織幹部を無人機で殺害したと発表するなど最先端のロボットが実際に使われるようになっている。70年前の日本でも旧日本海軍の秘密実験所で最先端の科学を応用して新兵器を開発しようとしていたことが明らかになってきた。 静岡県島田市では旧日本海軍の秘密実験所が置かれており、ここにパラボラアンテナを設置して電波を発してアメリカ軍の爆撃機を撃墜するという「殺人光線」は軍の最高機密だった。海軍が殺人光線の研究に乗り出したのは昭和18年の春で太平洋戦争の勃発から1年半が経過し、日本はアメリカの圧倒的な物量を前に劣勢に追い込まれていた。戦局を打開するための新兵器につながると期待されていたのはマグネトロンで電流を流すとガラスの真空管の中で電波が発生し、これを改良して電波を上空に発射し、爆撃機のエンジン部分に誤作動を起こさせて墜落をさせようと考えた。 開発には科学者の協力が欠かせないと考えた海軍は理化学研究所に接近した。当時、仁科芳雄氏・朝永振一郎氏など優秀な科学者が集まっており、いかにして科学者を軍事研究に参加させるかという役割を担った水間正一郎技師は殺人光線という名称では科学者の協力を得にくいとして名目を大電力マイクロ波の完成とし、精神的な負担を減らした。また地元の裕福な家を訪ねて科学者の下宿とし、快適な生活を保証した。 当時、学生として研究に参加した森永さんは「自由な雰囲気でうらやましがるほど海軍の食事はよかった。」などと話している。当時、大学では思うように研究活動ができない中で島田実験所は科学者にとって恵まれた環境だった。当時、朝永振一郎が使っていた研究ノートが見つかり、科学者はそれぞれの専門性を活かして研究に打ち込んでいたことが伺えた。昭和20年に入ると本土への空襲が激化し、新兵器の開発を急ぐ海軍は砲弾を打ち上げて遠隔操作で爆破させて墜落させる方法へと転換を命じた。 実験所で所長の秘書をしていた梅島みよさんは「開発を急がせる軍に対して科学者達は距離を置くようになった。昭和20年4月以降は戦争の道具というのが強くなって”最後の戦機”みたいに変わった」などと話している。昭和20年8月に戦争は終わり、敗戦と共に島田実験所は解散したが当時の研究者が中心となった新たな企業が立ち上げて軍事技術の民間転用をはかった。電磁波で化学繊維を溶かして接着する高周波ミシンやマグネトロンを利用したレンジなどが開発されて日本の復興を支えていった。 軍事と平和利用の間でゆれた実験所は科学と軍事との在り方を考える上で保存するべきだという声も挙がったが、今年1月に取り壊された。朝永振一郎氏は科学者を志す若者へのメッセージが残されており、内容は「無条件に科学・技術が人間を幸福にするのかということを今一度よく考えなければいけないときが来ていると思う」というものだった。
2015年3月20日放送 7:30 - 7:40 NHK総合
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