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【あの日3・20】「ああ言えば上祐」教団の狂気とメディアの合作

2015年3月20日6時0分  スポーツ報知
  • 教団と事件を振り返った上祐史浩氏

    教団と事件を振り返った上祐史浩氏

 オウム真理教による地下鉄サリン事件が、20日で発生から20年を迎える。当時、教団の幹部で広報を担当していた上祐史浩氏(52)がスポーツ報知の取材に応じ、事件とオウムへ傾倒した当時の自分を赤裸々に告白した。上祐氏は現在、仏教哲学サークル「ひかりの輪」の代表を務めている。また、このほど、松本智津夫死刑囚(60)=教祖名・麻原彰晃=の四女(25)が「被害を受けた方々に申し訳ない気持ちでいっぱい」とのコメントを発表した。

 日本中を恐怖に陥れた地下鉄サリン事件。32歳だった上祐氏は当時ロシア支部長だったため、事件には直接関わってはいない。偽証、有印私文書偽造などの罪で懲役3年の刑を受けただけだが、松本死刑囚から事件が教団の仕業と後に聞いたと自著で明かしている。

 「事件について一言で言うのは難しいですが、おわびの言葉もないというか、それに尽きます。(20年という年月は)一つの節目なんだろうと思います。現在行われている高橋(克也被告)の裁判(※注)は1審判決後、上告棄却となるでしょうが、その後は麻原の死刑執行への秒読みの始まり。その最後の段階への節目ではないでしょうか」

 23歳だった1986年に前身団体「オウム神仙の会」に入会。早大大学院に在学中だった。その後、宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構=JAXA)に就職するが、出家のため1か月で退職。急速に活動にのめり込んでいく。

 「自分の場合は、神秘的体験をしたのが大きかった。神を感じたわけではないのですが、知ったような気持ちになった。感性が暴走して、それを知性が抑制できなくなったのです」

 上祐氏も含め、当時の信者には高学歴の者も多かった。

 「社会のためになると思って教団に入ったら『戦うことが社会のため』と教えられ、倒錯した価値観の中に入り込んでいったのだと思います。そして、全体主義的な体制の中では逃げられない。グル(松本死刑囚)を裏切ると自分がポア(殺害)されると思い、自由が利かなくなってしまう。本来なら、その前に踏みとどまらないといけないのでしょうが、当時は若かったから分からない。さまざまな点でウブだったんだと思います」

 さらに、教団の「グルとの1対1の関係」という教義が松本死刑囚のカリスマ性を高め、90年に教団が「真理党」として衆院選に出馬して惨敗したことが、武装化に勢いをつけたとみている。

 「他の信者と輪になって話していたとしても、互いの意見を交わすのではなく、教祖の称賛、独裁者に対する帰依の競争の場になっていました。武装化構想は出馬前からありましたが、『平和と武力』によって日本を支配しようとしていた教団の、平和の部分が選挙によって弱まったことは間違いないでしょう」

 教団内で松本死刑囚に次ぐ「正大師」を務めた。位に就く前も松本死刑囚の“お気に入り”で、教団の広報活動を行っていた。

 「地下鉄サリン事件より5年以上前から、私は広報担当でした。その時は、麻原への帰依の修行と考えていた。だから常識的な考えを捨て、全力で教団が正しいとする広報を行った。当初は抵抗がありましたが、繰り返し指示される中で、だんだん抵抗がなくなっていった。それなので、サリン事件の直後に帰国し、再び広報担当を命じられた時は、何の抵抗もなかった。5年前の『拡大版』という感覚で、二つ返事で引き受けました」

 当時はニュース、ワイドショーなどのテレビ番組に連日出演。何を聞いても巧みに非難をかわし、時には激高したりする上祐氏は「ああ言えば上祐」と呼ばれた。

 「あの言葉は、教団の狂気とメディアの合作だと思います。落ち着いて当時のことを考え直してみると、マスコミは私をテレビ出演させるべきではなかった。出れば私は教団を防御しようとするし、反発する。マスコミ側も、それを承知した上で視聴率が取れるからと出演させる。そのゆがんだ構造の結末が『ああ言えば上祐』に結びついたのでしょう」

 上祐氏は「アレフ」と名前を変えた教団から07年に脱会し、「ひかりの輪」を設立。97年に松本死刑囚に疑念を持ち始め、10年かかって“洗脳”から脱却したという。

 「オウムが心の豊かさを求めたのは間違っていなかったと思うが、その手段がまずかった。人生哲学を求めることに関しては、今も悪いと思っていません。私が麻原への帰依を続けるアレフと戦うのは責任感からです」

 「ひかりの輪」は宗教団体ではなく思想哲学を学ぶ教室と称す。現在、会員は約100人。同団体へは現在も公安調査庁の監視が続いている。(高柳 哲人)

 ※注 高橋克也被告(56)は17年間の逃亡の末、12年6月15日に逮捕。オウム真理教が起こした事件の容疑者のうち、最後の1人だった。現在は運転役を務めた地下鉄サリン事件をはじめ、4つの事件に関与したとして東京地裁で裁判員裁判が行われている。また、同じく逃亡を続けていた平田信被告(49)は上告中、菊地直子被告(43)は控訴中。

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