今月の特集2

『島の美容室』福岡耕造(ボーダーインク)

 京都オフィスのメンバー・鳥居が、年末に社内で行った「今年の一冊!」座談会に『島の美容室』という本を持ってきました。それは、沖縄の離島で月に10日間だけ開いている美容室に訪れてくる人たちを撮った写真集でした。綺麗な装丁に味のある写真、この本いいなあ......。そう思わず手に取ってしまう雰囲気を纏っています。

 そんな『島の美容室』を作っているのは「ボーダーインク」という沖縄の出版社。奥さんが沖縄出身ということもあり、社内一沖縄に詳しい鳥居曰く「沖縄には『県産本』という言葉があるんですよ」「ボーダーインクはミシマ社と一緒で、書店さんと直取引しているみたいだよ」。
 それからホームページを覗いていたら、どうやら10人に満たない少人数で、社内でみんなでお昼ご飯を作って食べたりしていて、ジャンルを問わずいろんな本を出していて......あれ、なんだかミシマ社に似てる!? それに、県産本っていったいなに?
 気になりすぎて、沖縄は那覇にあるオフィスに伺ってきました! 

(聞き手:平田薫・新居未希、構成・写真:新居未希)

沖縄で出版社をするということ 前編

2015.03.19更新

 突然の訪問、しかも日曜日にも関わらず取材に快くお答えくださったのは、編集部の新城さん、池宮さん、企画営業の金城さんの三人です。
 かわいい看板が下がるオフィスのドアをくぐり、南の陽気に浮かれ調子の編集部二名。
 さっそく、気になっていたことをどんどん伺ってみました。

県産本ってなんだ?

―― 沖縄には、「県産本」という言葉があると耳にしたのですが......。

池宮県産本というのは、20年前に私たちが勝手に作った造語です。そもそもは、「沖縄県産本ネットワーク」というものを作ったのがはじまりなんですね。沖縄の出版社同士の横のつながりがなかったので、みんなで集まって何かしよう! となって、会の名前を決めました。名称も「沖縄本」とかいろいろな候補があったんですが、「沖縄本」という言い方だと県外の出版社から出ているものもそのくくりのなかに入りますよね。そうではなくて、沖縄の出版社が作った沖縄の本、ということで「県産本」としました。

―― 20年前! すごいなあ。

新城県産本ネットワークのなかでも、出版専業となると、少ないですね。コンスタントに新刊書籍を出し続けている出版社が少ないですし、出版社と言っても一人でやっているところや、年に一冊、もしくは2年に一冊新刊を出します、という出版社も多いです。

―― なるほど。ボーダーインクさんは、どういうはじまりだったのでしょうか?

新城僕と、いま社長をしている宮城がもともと他の出版社で編集者をしていたんですね。そしてある日宮城から「出版社を作ろうと思う」と誘ってもらって、僕と池宮と社長の3名で、1990年にスタートしました。そこから人が増えて、いま7人のメンバーで働いています。立ち上げた三人の編集はかわっていないですね。

―― おお、すごい! ホームページの「社内日報」、お昼ご飯の写真なんかも掲載されていて、いつも楽しく見ています。なんだか親近感を感じてしまって...

池宮まさかそんなところに親近感を抱いてくださるとは、嬉しいです。ありがとうございます!

こちらがその「県産本ネットワーク」の皆様で作られているフェア目録の一部。凝り具合が本当にすごい!



1960年代まで出版規制があった

―― さきほどジュンク堂書店の那覇店に行ってきたのですが、まさにその県産本たちがずらーーっと並んでいて、圧巻でした。

新城沖縄は、1972年5月に沖縄返還協定が発行されるまでは、アメリカ合衆国の施政権下にあったんですよね。出版規制も1960年代まではあった。沖縄返還以前は、出版関係も新聞社が主体だったんだけれど、沖縄返還前後くらいから商業出版もより盛んになった。沖縄の文化や歴史をカラービジュアルにした大型本が作られたりして、70年代の中盤ごろは沖縄戦の本がよく売れた。

―― そうか、出版規制があったんですね......。

新城復帰前は、日本からのものは輸入しなければ手に入らなかったんですね。自分たちで作らないと、自分たちの歴史や文化が守れないということで、出版文化というものが密かに沖縄に根付いていったのかなと思います。復帰◯年というのがきっかけになって、「沖縄って何だろう」と考えるようなときに、とくに沖縄関係の本はドッと出ますね。

―― うんうん。

池宮あとは自然風土なんかも本土とは全然違うから、東京の出版社が出してる園芸の本とか見ても、参考にならないんです(笑)。沖縄では1月に桜が咲くし、お彼岸の後に種を植えます、って言われてもそれじゃもう遅いんですよ。歴史も違うし全部違うから、そういう沖縄に特化された本っていうのは県内にニーズがあるんですよね。だから「県産本」が多いのかもしれません。

―― そうか〜、本土の実用書とか、もはや実用ではないわけなんですね。

新城沖縄と北海道は、小出版社が多いんだそうです。それはやっぱり、歴史と風土が違うから。きっと必然的にそうなってくるんですね。
 けれど沖縄の人は、とくに沖縄のことを知りたいと思っているんだなと思います。最近は県外の出版社もたくさん沖縄の本を出しているんですけれど、それも含めて、沖縄の人はよく買いますね。那覇にあるジュンク堂のランキングを見ていると、上位は沖縄の時事問題の本だったり、沖縄関係の本がランクインしていることが本当に多いです。

創立期からのメンバー・編集の新城さん



文化の地産地消

新城けれど「県産本」というのも、20年やってきて県内で「知られているけれど、だから何?」という感じだったりするんです。県産本って、ものすごく作り手の意図が込められた言葉ですよね。でも読者にはそんなの関係ない。読んで面白かったらいいんです。20年目にしていま、「自分たちが作っている本って何だろう?」って、すごく考えているところではあります。

―― うーーーん、なるほど。

新城去年、全国の大学出版会の人たちが沖縄に研修でいらっしゃったんですけど、シンポジウムのときに僕がすこし県産本の話をしたんです。僕は県産本のことを話すとき、「文化の地産地消」っていう偉そうな言い方をするんですけど(笑)、それを出版会の方に「本は普遍を目指すべきだろう、出すときから地域、地域と言うのはいかがなものか」と言われて。けれど沖縄の本って9割方が沖縄で売れるから、県内で完結しているんですね。大学出版会だし、学術書を出すならそりゃ普遍を目指すよな、と思いながらも、なんか納得しない部分があって......。地域ってなんなんだろう、って最近すごく思います。

―― それは私たちもすごく考えます。

新城けれどミシマ社さんが京都にオフィスを作られてされている「地方での出版」というやり方と、僕たちのようにずっと地方でやってきた者の「地域出版」って、けっこう違うと思いますよ。

―― たとえば、どのあたりにそう感じられますか?

新城僕たちは、沖縄出身で沖縄の本を作っている。あえてこの場所を選んだわけではなくて、ここに生まれ育ったからやる、というところでの部分が大きいんです。運命みたいなものじゃないですか。そこには選択の余地はないんですね、はっきり言うと。僕が作る沖縄の県産本って、ボーダーインク立ち上げの90年代のころは「セルフポートレイト」だったんです。「なんかヘンな顔してるな」「面白いな」と自分で自分を見て、描いていく。県外の出版社が作る沖縄の本っていうのはそうではないですよね。けれど2000年以降は、沖縄の読者も県外の読者もそれにあまり差を感じなくなって買う。何だかそういうジレンマを、地方出版社っていうのはずっと持っていたんですよね。
 そのなかでミシマ社さんの、拠点を2箇所に移すというやり方はまったく新しい感じがして、自分たちとは違うなと感じます。それはどちらがいいとか悪いとかでは全然なくて、改めて地域で本を作るってなんだろう? って思うんです。


(後編は明日掲載します!)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

バックナンバー