i padで遊びながら娘が「おかあさんは子供のころ、どんなアプリが好きだったの?」と訊いてくる。そんなもんもそんな言葉もなかったと答えながら、なんかすごく落ち込んだの巻。
— 石井恵梨子 (@Ishiieriko) 2015, 3月 15
@kmyken1 1970年代「汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる」
2010年代「空港の搭乗ゲートの前で君はスマフォ
— 野島高彦 Takahiko NOJIMA (@TakahikoNojima) 2015, 3月 19
あー、時代性を感じさせますね。まさにこんな感じです。RT @TakahikoNojima: 「ダイヤルまわして手を止めた」「ブラウン管じゃわからない景色が見たい」「針が落ちる瞬間の」
— 神谷健一 (@kmyken1) 2015, 3月 19
先日の戦艦武蔵の発見ニュースを思い返してみれば分かる通り、まだ70年ちょっとしか経っていない昔のことでも分からなかった点が多数に及んでいたりする。「三丁目の夕日」症候群でもよく分かるのだけれど、記録が残っていない、さらには記録が残っていても人々の記憶には残らずに、日常生活からも消えてしまう生活習慣や生活用品の数々は多々存在する。とりわけこの数十年、特にインターネットが普及し始めてからの10年位における技術進歩は加速度的なものがあり、まるで別世界に足を踏み入れた感がある。
指摘の通り「テレビのダイヤル」とか「ブラウン管」とか「レコードの針」とかいうキーワードを用いても、首を傾げる人はすでに山ほどいるし、それらを用いた歌や物語を見聞きしても、理解が難しいものとなる。鉄道推理モノの某氏の作品も、今ではほとんど通用しないトリックばかりとなってしまう。
とりわけスマートフォン周りの話はスピード感が強く、時の涙を見る、じゃなくて時代の流れを覚えさせる。そもそも携帯電話(ケータイ)は従来型携帯電話を指していたからね。アプリ云々の話など無い。ショックを受けても当然の話。
「おかあさんは子供のころ、どんなアプリが好きだったの?」このセリフはある程度想定していたけれど、リアルに見ると驚愕。 pic.twitter.com/DyaEXQm8zs
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 19
似たような話としては「どんなスマホを使っていたの」とか「どんなソーシャルゲームで遊んでいたの」ってのがあるんだろうな。そして恐らくはあと10年もすれば、「どんなアプリが好きだったの」って言葉自体も時代遅れなものとなっているに違いない。
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