2015-02-17
誰か風鈴を鳴らさざる
まあラチェットは起動できていないのだけれど。同時に買ったファークライ3ばかりしている。最初は一人称に抵抗があったけれど大分慣れた。
ラチェットだって一度起動したらきっと面白いだろう。懐かしいだろう。楽しいだろう。
でも違うかもしれない。
思い出補正かもしれない。
そう危惧している部分がないと言えば嘘になる。
昔、読書でこうなったことがあって、新刊を読むことが非常に減った。今でも読書スピードは戻らない。
書くこともめっきり減った。
結局ぼくは書くことではなく読んでもらうことが好きだったのだろうとしみじみ思い至る。
書きたいことがないわけではない。
今日みたいに時間がある日だってある。
しかし作品にはならない。
たぶん恵まれているからだろう。
ぼくの知り合いには逆に書くために生まれてきた、という訳でもなかろうが、非常に書くことに積極的な人間が各学年ごとに一人はいて、刺激を受けていたことを思い出す。
そう、刺激。これも書かなくなった大きな要因なのだろう。そもそも執筆なんてのは地味な作業で、刺激とかそういったものがないと軟弱なぼくはひたすらいろいろ肥大させるのみなのだ。
とどのつまりぼくは警鐘を鳴らしている風で実のところ、自ら発するその自称警鐘というノイズにかき消されてしまった別の角度からの警鐘を聞き取れなかった結果、英語的な表現を使えばもっとも敬意を表する友人のひとりを大いに失望させるに至ってしまったらしい、というより先方はもはやぼくを友人としては見てくれまい、と知るに至ったのは昨日のことである。
時間があれば参照するウェッブサイトというのが諸君にもあるようにぼくにもある。
しかしもはやツイッタ的短文宇宙に慣れ親しんだ人間にとっては横文字の羅列を追うのは正直しんどい。それなりの平安がある状態であればいいのだがそういう平安が訪れる機会というのはここのところ実際少ない。
ので、まとめて読むことになる。
せめて都度返事が出来ていたらと思うが、そもそもそれほど安定した状態であればこんなことにはならなかったわけでこれほど不毛なそもそも論もない。それでもマジカルワードであるそもそもを使い続けさせてもらえば、そもそも安定した状態でないのにしてしまったことが多すぎた。安定は大切である。
ぼくのはてなダイアリーには大量の下書き保存があるのだれど、最古のものは2012年2月の日付である。追いコンの日だ。共に送られるもの、送ってくれた人たちへの感謝やらなんやらを書こうとしたはずだったが、いろいろと万感だったもので書けず、その後自動車学校に忙殺される日々に至って書く機会を逃し続けた。
タイトルは「四畳半膨張期の終わり」。
そうであった。終わらなければならなかったのだ。四畳半から、実際はもっと広くてそれゆえ孤独を感じていたけれど、ともかく概念としての四畳半期、学生時代の膨張の終わりとともに、ぼくはあらゆることを縮めなければならなかった。しかし例えば、――はたから見れば失笑もののいびつさであったかもしれないが――所属団体への愛だとかそういったものはどんどん膨張を続け、学生時代にかぶせてもらった化けの皮はパンクした。
自らがここまで醜いとは知ってはいたが改めて驚かされた。というより知っていた時より醜くなって驚いたのかもしれない。人の心はうつくしいところからすり減っていく。
結局のところぼくは、極めて短絡的な激情家である。学生時代はそれを代わりに引き受けてくれる人がいたので道化役が出来た。
でも実際は激情家。昔も今も。言い訳をさせてもらえば、自分のことに対しては今回のようにただ鬱々となるばかりで、ぼくの激情家が顔を出すのは他の誰かがどうにかなっているときだけだな、というのを、今思い返して気づいたので記しておく。
「悪ノリと嫌がらせの分別もないのにお嬢さんに粘着するな」だとか。
「過剰な恋人愛アッピルのダシに俺の友人たちを使うな」や。
「文芸サークルは文芸をする人をこそ尊重してほしい」とか。
「剽窃が発覚した時点でまずは謝罪ではないのか」だったり。
「合評会と集団リンチは違うだろう」みたいなのとか。
「作品を出すのにBOXに来ないと非難する前に、何故BOXに来れなくなってしまったのかではないのか」もあったし。
「そういったデリケートな時期にどうして君ほどの人がデリケートな作品を書いてしまうのか」であったりした。
無論、それが正義などとは露ほどにも思わない。かえって火の粉をばらまいたことのほうが多かっただろう。今回のように。
「好きでやっている」という言葉に文字通り甘やかされすぎていたんだな。
いや、わかっているんだ昔からずっと甘えっぱなしであったことは。けれどぼくにとっての分岐点はここだと思った。
あと少し頑張るぜ、といってくれたとき、ああやっぱりこいつは最高のブラザーだ、最初から全てぶちまけておけばよかった、とぼくが思っていた時。
君はぼくにもしかしたらあったかもしれないぼくのうつくしい部分を必死で探していてくれていたのだね。
言ってくれてよかったんだお前はもうだめだと。期限切れなんてやさしい言葉を使わずに。
メールだって、電話だってあったじゃないか。
怒鳴ってくれてよかったんだ。
ぼくは君にずっと嫉妬していたのだろうという月並みな言葉を用いることをどうか許してほしい。
文才は当然として、西条に家があるのがまずうらやましかったし、先輩方に合評会でぼこぼこにされているのもうらやましかったし、
後輩に慕われているのもうらやましかったし、ぼくのような人間にもやさしいその心性がなによりうらやましかった。
君が望んでいないことを知りながら、いつの間にやら権威になってしまったことに対しても嫉妬をしてしまっていただろう。
君の嫌な「社会人さま」の話になってしまうけれど、こんな時間に帰ってきて、Twitterを開くと君をはじめとするみんなが楽しそうに酒盛りだったりをしているところを伺って涙したのは一度や二度ではなかった。こんな楽しい場所に同い年の君はいて、どうしてぼくはいないのだろう。君と話が出来ていないのだろう。
とどのつまりはぼくはいつの間にかぼくの嫌いだった大人になっていてそれが受け入れがたかったという一言に尽きるのかもしれない。
すぐそばに自分より人生を楽しんでいるように見える同世代がたくさん観測できたから、余計に。
馬鹿だよな。
君は風鈴を鳴らしていた。
後輩を導こうとしていたし、事実導けていたろう。
そうして君は沢山のリスペクトとともにかの地を去った。
美しい風鈴の旋律を残して。
その後、その音色の一部を拡声器で触れ回るようなことがあるように僕は思え、
それは本意でないだろうと――そう過去のあれやこれやと同じく――ぼくは憤慨した。
どんなことがあろうと人間性の否定だけはあってはならないと思ったからだ。
それこそが君の風鈴の音をかき消すおぞましいノイズに他ならなかったのだと今になって考える。
今度家を出るんだ。
いつか遊びに来てくれやしないかと、
風鈴を鳴らして待っているよ。
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