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【社説】

地下鉄サリン20年 凶行の中に人間の弱さ

 オウム真理教による地下鉄サリン事件からきょうで二十年。薄れがちな記憶を手繰り寄せ、あらためて教訓を刻みたい。悲劇の再来を招かないために。

 「残念ながら人間社会は不完全だし、学歴が高かろうが低かろうが、人間は非常に弱い存在だ。そういう人間の集合体がまた何かをしでかすことは、かなりの確度で起こりうる」  

 先週、東京都内で開かれた事件を考える集会で、弁護士の山室恵さんが述べた言葉がずしりと響いた。サリンをまいた元幹部の林郁夫受刑者に、無期懲役刑を告げたかつての東京地裁の裁判長だ。

◆「また起こりうる」

 いくつもの罪と罰に向き合ってきた経験から鳴らされた警鐘は重い。この“予言”が現実のものとならないよう一人一人が事件を見つめ直さねばならないだろう。

 一九九五年三月二十日。化学テロは十三人の命を奪い、六千人超を負傷させる大惨事を招いた。

 被害者や遺族は、いまだに心身に残された深い爪痕に苦しめられている。過去の事件ではない。

 そして、オウム真理教もまた生き延びた。宗教法人格を失ったのに解散せず、跡を継いだアレフと分裂したひかりの輪が公安調査庁の監視下で活動を続けている。

 双方とも、元代表の麻原彰晃死刑囚の影響を受けているとされる。にもかかわらず、若者らの入信は後を絶たない。今や信者は合わせて千六百人を上回る。

 アレフの内実は麻原死刑囚への帰依だ。オウムの後継団体であることを伏せ、インターネットや書店、街角でヨガや料理のサークルなどを装って勧誘している。

 どの宗教を選び、信じるかで人の一生は左右されかねない。正体を隠しての活動は看過できない。

◆成長と苦悩と宗教と

 振り返ってみたい。

 麻原死刑囚がオウムの母体となるヨガ道場をつくり、宗教団体に衣替えして勢力を広げだしたのは一九八〇年代だった。日本はバブル景気に沸いていた。

 二度の石油危機に見舞われた七〇年代を境に、人々の求めるものは物の豊かさから心の豊かさに向くようになった。

 内閣府の最新調査でも、物志向の31%に対して心志向は63・1%と二倍に上る。

 しかし、政治も、経済も、社会も成長を追い求めることをやめなかった。あくせく働き、あくせく消費する。その循環を永遠に繰り返す閉塞(へいそく)社会にも映る。

 なぜ生きるのか。それで幸福になれるのか。重い病にかかったときにどう向き合うか。そうした素朴な疑問や問いに直面し、苦悩する人々が増えたとしても当然だ。

 統計数理研究所の二年前の調査では、七割近くは宗教心は大切だと答えている。多くの人が理屈では割り切れない課題と不安を抱えている証左ではないか。

 生きがいや居場所を見つけられない。切り捨てられた。そうやって隘路(あいろ)に迷い込んでしまうと、どんな宗教であれ、すがりたくなっても不思議ではない。

 「生きとし生けるものの救済という理念に引かれた」と、入信の動機を打ち明けた元オウム信者もいる。幸せや生きる意味を実感できず、変身願望を募らせて門をたたく人もいるという。

 事件に関わった元幹部らには理系エリートが目立った。頭脳明晰(めいせき)で真面目だからこそ、悩みも人一倍深かったのかもしれない。

 しかし、マインドコントロールであれ、思考停止であれ、どんな事情があったにせよ、凶行に手を染めたことは絶対に許されない。

 若い世代へ向け、山室さんは林受刑者に言い渡した判決の一部をゆっくりと読み上げて紹介した。

 「なまじ純粋な気持ちと善意の心を持っていただけに、かえって『真理』や『救済』の美名に惑わされ、視野狭窄(きょうさく)に陥って、麻原(死刑囚)の欺瞞(ぎまん)性、虚偽性を見抜けなかった」

 美しいものを正面から見てものめり込まない。引いて見る。斜めから見る。いわば裏側を疑ってみる姿勢の大切さを説いた。

 人の純真さが美しいものを介し、凶器へと豹変(ひょうへん)した事例を幾度も見聞きしてきたのだろう。世代を問わず肝に銘じたい。

◆美しいものの裏側を

 前代未聞の事件の風化を防ぎ、再発を食い止める努力をしなくてはならない。もちろん、警察や行政、司法、報道といったそれぞれの役割と責務があるはずだ。

 破壊的カルトへと人々を追い込まないような手だても、私たちは地域や学校、企業、家庭などで考えられないか。

 疎外されたり、孤立したりしていないか見守る努力は欠かせまい。弱い人間を見つめることが風化を防ぐ一つではないか。

 

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