あんな事件は二度と起きない。そう言える社会になっただろうか。

 20年前のきょう、オウム真理教の教団幹部らが都内の地下鉄内に猛毒のサリンをまいた。13人が死亡し、6千人以上が負傷する無差別テロだった。

 その前年には長野県松本市で8人が死に至るサリン事件があった。地下鉄事件後も、都庁あての爆発物で職員が大けがをするなど、不穏な日々が続いた。

 教団に怒りが向いたのは当然だが、翻って、戦後50年間築いてきた社会はこれでいいのか、と考えさせる事件でもあった。

■安易な答えの危うさ

 20年といえば、事件を直接知らない世代が、あの犯罪に加担した信徒の当時の年齢にたどりつこうかという歳月だ。

 過去のものとせず、折にふれ問い直していきたい。

 事件の根が深いのは、信徒たちが犯罪をするため教団に入ったわけではなく、生きる意味に悩んだり、社会に矛盾を感じたりしていたことだ。だれにでもある感情である。

 それでも、救いを求めた先が、思考することを許さず、人心を支配し、服従させる集団だったとき、あんな事件は起こりうる。そう考えた方がいい。

 身勝手な主張で人命も顧みない過激派組織「イスラム国(IS)」にひかれる若者がいる現代にもつながる問題である。

 宗教や自己啓発をうたうカルトの誘惑は絶えていない。集団名を言わず友達として近づくなど、手段も巧妙になっている。

 教団の事件の被告たちを心理鑑定した西田公昭・立正大教授は「人生の悩みはそう簡単に解決しない。すぐに答えを出そうとして『カリスマ』に依存する危険を意識すべきだ」と話す。

 社会になじめない人を孤立に追い込んではいないか。多様さも、異質さも受け入れ、包みこむ社会は、一人ひとりが意識することなしにはつくれない。

■検証はまだ間に合う

 逃亡していた被告の、最後のオウム裁判が続いている。

 捜査・裁判の長期化を懸念し、教団の犯罪は一部しか訴追されなかった。信徒に「神秘体験」をもたらした違法薬物や、マインドコントロールがどう用いられたかは未解明だ。

 松本智津夫(麻原彰晃)元教団代表が裁判で語らなかった責任は重い。ただし個人の刑事責任を問う場で分かるのは、一断面でしかない。

 なぜどのように一宗教団体が暴走したのか。食い止めることはできなかったのか。政府や国会が総括することはなかった。

 研究者やメディアが個別に掘り下げてはきたが、同じ根をもつ事件の再発を防ぐには、得た知見を共有し、全体像をつかむしくみが必要ではないか。

 地下鉄サリン事件の裁判長だった山室恵弁護士は、捜査・司法当局やメディアの責任に触れ、「失敗の理由を検証し直すべきだ」と指摘している。

 注目すべきは、米国のシンクタンクの関係者や研究者が、サリン事件の被告・死刑囚への聞き取りを重ねてきたことだ。

 重大な被害をもたらす生物・化学兵器を、都が認可した宗教法人が製造し使ったという事実が国際的に与えた衝撃からすれば、むしろ当然だろう。

 家族以外の面会を制限している法務省が面会を許したのは異例の対応にみえるが、再発防止や学術研究に役立つと判断すれば認めることもあるという。

 教団の犯罪によって死刑を言い渡されたのは13人で、いずれも執行されていない。裁判が終わりつつある今なら話せることも、あるのではないか。

 真実に近づく努力は、まだ間に合う。

■終わっていない被害

 人命を奪い、深刻な後遺症を残した教団の犯罪の被害者救済は、常に後手に回ってきた。

 国による給付金の特例法ができたのは、地下鉄サリン事件から13年後のことだ。

 それまでに教団の資産を押さえるため被害者自ら破産手続きを進め、今も教団の派生団体から取り立てを続けている負担は半端なものではなく、司法の無力さも感じさせる。

 支援団体の調査によると、今も被害者の7割前後が目の不調を感じ、3割に心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状があるという。何か症状が出るたび事件のせいではという不安にかられる人たちは多い。

 事件当時救急医療にかかわった医師などでつくるNPOが年1回無料検診をしているが、連絡先がわかる被害者は一部でしかない。聖路加国際病院の石松伸一副院長は「被害者にみられる症状をすべて分かっている人は誰もいない」と指摘する。

 サリン中毒について、すべての被害者を把握している政府には、その実像を解明し、真の救済をはたす責任がある。

 あの教団の犯罪は、現代の人間と社会の何に起因し、今なお何が問題なのか。闇に包まれている事件の問いかけは重い。