日本語のために(1)

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日本語のなかで生まれて、日本語のなかで死ぬのは、むかしなら悪いことではなかった。
英語でふざけて言えばThanks to Murasakiで、一人称単数の主語のない、まるで春の陽に温められた大地から立ち上る陽炎のような、美しい日本語の文章を、むかしは日本ではそこだけが文明の土地で、門から一歩を出れば「化外」で、官から地方に荘園をもらっても娘があれば、化外の地に出ては野蛮に染まって、一流の門地のある男と結婚ができなくなるというのでためらった、洛中にいて、小さな文机に向かった女のひとたちが、綿綿と、日記や物語を書き付けた、偉大な文学の数々があって、和歌というすぐれた詩の伝統があり、近世に至れば、芭蕉のような偉大な詩人がでて、国そのものの文明を根底から破壊するような、明治の「開化」のあとでも、透谷があらわれ、その友人の藤村が散文日本語を、詩人としての強い意識で詩から分離して、「千曲川のスケッチ」という普通なら近代国語初期にはありえないような、完成した、均整のとれた姿の文章を書いて範をなした。
枕水漱石の故事から名をとったので判るとおり、漢籍への深い理解に満ちて、専攻は英文学、出自は牛込の、江戸時代を色濃く残した下町の出身という、理想的と呼ぶのもためらわれるくらいの、言語的背景をもった夏目漱石は、必要であるのに存在しなかった語彙は、ためらわずにどんどん造語したが、その旺盛な造語の能力は、漢文、江戸言葉、英語のみっつの言語が、必要とあれば躊躇なく語彙を製造して、寿命を延ばしてきたのを、目撃して知っていたからだった。

日本語は、ずっと運がよかった。
「若き日の詩人たちの肖像」という、堀田善衛が書いた、新宿のバーナルシスに集う戦中の、若い「荒地」の詩人たち、牧野虚太郎や森川義信、戦争を生き抜いた鮎川信夫、田村隆一、北村太郎たちの若い日の姿が、陰翳を惜しむように描かれているが、そこには軍部による日本語の積極的な破壊もそこここに書かれていて、堀田の兄は、野球用語のアウトやセーフ、ストライク、ボールに至るまで、カタカナは日本語であるという極く簡単なことが判らない軍部によって「敵性語」の英語であるから日本語になおせ、と命令されて、セーフは「よし」、アウトは「さがれ」、と翻訳して、弟を暗然とさせる。
共産主義者小林多喜二が特高の拷問によって殺される頃になると、日本語の組織的な虐殺とでも言うべきものが始められて日本語は社会の表面では瀕死になるが、最も意外な場所、というべきか、前線の兵士の手で、あるいは故郷への手紙、あるいは、誰も読む人はいないだろう、と戦死を覚悟した兵卒の震える手によって、正統な日本語が書き継がれていった。
その初等教育しか受けていない教養のないはずの兵士たちが、戦場を歩きまわって屍体の山から、ポケットを探り、半ばは炭化した手のひらによって固く握りしめられた日記を集めて英語から日本語に翻訳したアメリカ軍の情報将校たちをいかに感動させたかは、ドナルド・キーンがあちこちに書き残している。
故郷をおもい、恋人が自分をまだ愛してくれているかどうかを、婉曲なやりかたで心配するのは連合軍の兵士と同じでも、この極東の、人間を神を崇めて戦場に赴いてきた兵士たちは、驚くべきことに、自分の死の意味、生の価値、歴史のなかで、ちっぽけな自分の死がはたす役割、彼らが連合軍の強さの根源と信じた「自由」の力の強烈さについて、マルクス・アウレリウスが戦場で書き残したのと哲学的次元においてさして変わらない観念の高度で書き記していた。
自分の同胞が、降伏ということを知らない非文明的な戦いにうんざりして、憎悪し、手榴弾を放り込んでまとめて殺し、火炎放射器で生きながら虫けらのように焼き殺していった5フィートそこそこの背丈の敵兵たちが残した、日記の言葉の深みをのぞき込んで、昨日まではただの憎い敵にしかすぎなかった若者たちのために、どれほどの涙を流したか、どの情報将校も、一様に証言している。

空疎な言葉で頭のなかの空虚を反響させながら国を破滅させた軍部と政府の一方で、日本語は、だから、自分達の滅亡の運命に絶望した底辺の国民のなかで生きていた。

草書のやわらかさとしなやかさは、また日本語自体のしなやかさでもあって、日本語の最大の特徴である詩の言葉としての言語の身体能力とでもいうべきものの高さを使って、戦前からすぐれた日本語表現を書き残していた西脇順三郎や瀧口修造、ナルシスの詩人たちが日本文学の中核をつくっていったのは、だいたい50年代と60年代で、70年代になると小説側の同人誌の時代を反映して、「凶区」や「ドラムカン」の詩人たちが活躍をはじめる。

外から日本語を眺める目には、戦後の日本文学の価値は詩だが、日本国内では詩はたいして見向きもされなくて、より読み手の側に言語的訓練がいらない小説ばかりが取り上げられたのは、残念なことだが、当時は「純文学」「大衆文学」という区別がやかましく言われたようで、「純文学」の登竜門である芥川賞をとって、わかりやすい小説を書いている作家の場合には分類に困って「中間小説」と呼ぶようなマンガ染みたことも、普通に習慣として行われていた。

最大のスターは長い間三島由紀夫だったろう。
この死語を巧みに使う小説家は、いま全集を端から端まで読んでみると、当時は純文学作家の極みのように言われていたが本質的に「大衆作家」で「宴のあと」「美しい星」のような物語に傑作が多いわりに、文学的な極北をめざしたものは、どれも、動脈硬化的な言語感覚の悪さが災いして、生命のない骨董品めいた作品になってしまっている。

トーマスマン的な北杜夫の「楡家の人々」、ギリシャ的な独白に満ちた「悲の器」、日本では珍しい物語としての頚い骨格をもった「邪宗門」を書いた高橋和巳、長い通勤時間の電車のなか狭い家ではかなえられない「自分だけの時間を過ごせる部屋」の代用としての「喫茶店」で、文庫を広げて読みふける日本の人の国民的習慣は、人口から考えても膨大な数の書籍をうみだし、書き手を育てていった。
ぼくの世代でも、先生が、「きみたちはバカだから、アジア人というと生来目が弱くて眼鏡をかけているものだと思っているが、日本人がどいつもこいつも眼鏡をかけているのは、あれは本をたくさん読むからだ。
イギリス人は文盲と同じ生活でテレビ以上の知的活動を行わないからいつまで立っても文明の段階が低い狩猟民族なみに目がいいだけだ」と言って笑わせたのをおぼえているが、日本にいたときのことを思い出して、たたずまいのよい本屋の数や手に本を持った人の数の多さを考えて、ほんとだなあーと思ったのをおぼえている。
「近代文学」同人たち、大岡昇平、大江健三郎、日本ではすぐれた作家がびっくりするほどたくさんいた。
日本の人はさほど意識していないように見えるが、それは、世界の歴史のなかでも奇観といってよいほど風変わりな光景だったと思う。

日本の小説家の特徴は、詩人たちとの距離の近さで、小林秀雄や大岡昇平は若いときの間近な付き合いで、天才詩人中原中也の強烈な影響を受けているし、ずっとあとになっても、たとえば大江健三郎はこのひとの一生で数少ない殴り合いの乱闘の相手は二回とも田村隆一であると記されている。
北杜夫は国民的な詩の形式である短歌の巨人斎藤茂吉の次男であるし、まずなりよりも第一に、明治初期にびっくりするような完成された散文を書いた島崎藤村は詩人としてしか自分を考えられない人だった。
ただ生活のために、ちょうど集団生活を好まない大学生が不承不承企業に就職するようにして、嫌がる自分の魂に義務を課して、散文の訓練をして小説家になった。

この詩と密着した傾向が剥がれ落ちてくるのは「第三の新人」世代くらいからで「第三の新人」のなかでは最も文章がうまかった吉行淳之介は父親が詩人の吉行エイスケで妹も詩人の吉行理恵だが、精神は不思議なほど精神的な高みのある定型が嫌いで、分散した、記録的な散文を愛した。
多分、興味の対象が情緒なので、かえって散文のもっとも散文的な機能である「記録」を主体にしたがったのだろう。
世評とは異なって詩的なところが微塵もない作家だが、散文家としてはもちろんこれは良いことで、ドイツ文学的な意味でマイナー作家としてすぐれた仕事をのこせたのは、詩から意識して距離をとっていたからだという感じがする。

だが一方では、この頃から「言語感覚の悪さ」という問題が日本語作家にめだってくる。
具体例はここでは遠慮するが、大江健三郎が激賞した筒井康隆などは、読むたびに、もう少し日本語がよければなああ、と良く読むたびに考えた。

文学と政治はダサイということになって、80年代になると日本特有のコピーライター文化が花開いてゆく。
「反米帝」「世界同時革命」「立てプロレタリア」というようなキャンパスに立ち並ぶ手書きの、中進国的な反体制観念の幼稚さと「暗さ」にうんざりして、だいたい1957年生まれあたりの人びとが、もっと「軽い」「明るい」世界を指向しだしたからだった。

渡辺和博という人の「面白主義」が典型だが、この人は「月刊漫画ガロ」の出身で、このガロや東京アンデパンダン展でオノ・ヨーコの世代にあたる赤瀬川原平というようなあたりの人たちの「面白さ優先」が、ようやく豊かになりはじめた日本社会の嗜好にあって、簡単に言えば「わるふざけ文化」が始まった。

よく見ると判るが、この「面白主義」は、一方では、陰険な学歴主義を中心とした受験で人間をピラミッド型に仕分けしてきた社会への、日本語の歴史で初めての反逆という性格をもっている。
渡辺和博は広島の高校が最終学歴、南伸坊は工芸高校、糸井重里はたしか法政大学かどこかを出ているが、反体制といいながら、機動隊に向かって「落ちこぼれのくせに」「てめえが大学に落ちて入れなかったからと言って、おれたちを捕まえてうさばらしすんじゃねーよ」という罵声を浴びせるのを常習として、就職が迫れば、昨日までのヘルメットを捨てて、今日はさっさと髪を切って就職面接に臨み、ためらうことなく企業戦士となっていった先行者たちをみて、全共闘学生たちの一種いいがたい「嫌らしさ」への反発があったようにみえる。
その反発は「面白主義」で、あらわれは反知性主義となって、表現は完全に商業主義の、マーケティングの道具になり、同じ人間が発注者の意向しだいで、反戦キャッチコピーも書けば、戦争へ駆り立てるキャッチコピーも書ける、言葉を空洞化して良い音がなる空虚をつくることが日本語における言語的才能になり、文学が占めていた地位をおしのけて、商業的なコピーが日本社会の「文学」になってゆくという異様な事態がおきてゆく。

谷川俊太郎は「鉄腕アトム」の歌詞を書いている。
それだけではなくて17歳のときにはすでに「職業的詩人」だったこのひとは、無数の校歌の歌詞を引き受けて書いてもいる。
「自分は詩で生きていくのだ」と決意して一生をはじめた詩人は、どんな世界でも多くはないが、日本語では、谷川俊太郎と田村隆一と吉増剛造の3人だけだろう。

田村隆一は広告人的なセンスがあって雑誌のヌードモデルをやってみせるような雅気があった。
吉増剛造はおおげさではなくて餓死を覚悟して「詩人」である自分を仮構した。
谷川俊太郎は、言語的才能をオカネに換えるためには、うまく的を探してマーケティングをすればよいと考えていた。
その結果は元祖コピーライター語のような「虚しく輝く言葉」の創始者になってしまった。
ひどい言い方をすれば才能のあるコピーライター糸井重里は谷川俊太郎の模倣者にすぎない。
谷川俊太郎に、なぜコピーライター語をはじめることにしたのかと聞けば、「だって日本人は真にすぐれた言語表現にはカネを払わなかったじゃないか」と答えるだろう。
そして、それは日本語の側からの、歴史を通じて常に功利に最大の価値をおいて、功利に溺れる日本社会への正統な抗議であると思う。

いつか日本語はなくなって実際上の公用語が(ちょうどインドにおけるように)英語になる日がくるだろう、と述べたら、
何人か、おまえは志賀直哉が日本語をやめてフランス語にしたらいいと述べたり、いくつもあった戦後の日本語廃止論の運命をしらないからそんなことを言うというひとが何人も来たが、自分の知的水準に他人もあると考えるのは日本人の悪いくせで、このブログのずっと前のほうにいけば志賀直哉、桑原武夫、ほかの日本語廃止論者とその結末が出てくる。

第一、日本語を廃止すれば、と言っているのではなくて、廃止の意志がなくても自然消滅するのではないか、と言っている。
ちょうどインド諸語に似て、家庭内でも英語が話せない人とは日本語で話すが英語が主になる、あるいは、知的に複雑な内容は英語で読んで話して書くようになる、ということを述べている。

日本語でいろいろなことを考えると、すでに「日本語の語彙や表現では届かなくなっている場所」があちこちにあるからで、うまく例が浮かばないが、たとえば卑近な感情表現でも、人が死んだときに過去の日本語であれば
「ご愁傷さまでした」ということが出来ただろうが、趣味の悪い冗談で述べるのならともかく、家族が亡くなって人に「ご愁傷さまでした」と述べるかどうか。
もう表現として死語なのではないか。

英語なら「I’m sorry for your loss」と言うが、これほど頻用する表現が日本では該当表現がない。
「たいへんでしたね」しか言えないのでは生活言語としても使いものにならないだろう。
日本語は言葉を次から次に消費して死語を大量生産した結果、やせ衰えて口当たりのいい同調的なことしか言えない言語になっているのではないか。

日本語の観念内容やレトリックの衰弱は、また今度にしたいが、子供詭弁図鑑というか、日本語の世界で横行して、政治家という言語表現技術に100%依存している職業人さえ、目もあてられないような論理を恥じらいもせずに堂々と述べる。
言語は意識して維持しなければ滅びるのは常識だが日本の人は、その努力をおこたってきたのではないかと疑うたくさんの理由がある。
しかし、いまの世界では言語は常に競争にさらされているので「劣った」言語はあっというまに淘汰される。
日本語の消滅は、そうして、そのまま日本人の頭に糢糊として存在する「日本」の消滅を意味する。

瀕死の日本語について、これから、だいたい5回くらいにわけて、みんなで考えていこうと思っています。
うまく考えられるといいけど。

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