Act.14 奈落の底にて
『エミッターシーケンス、完了』
セリオンの頭の中で声が響いた。
『……これで、プロードの件についてはオーダス王に伝わるでしょう』
「そうかよ」
セリオンはブレストプレートの位置を整え、皮ベルトでグリーブをしっかりと固定した。出立の準備をしながら、フィアーネの言葉をそっけなく聞いていた。
フルーデ王国、レイランド城。セリオンの部屋のベッドで、キュートは昏々と眠っている。たまに、思い出したように身悶え、苦しそうに呻く。
『肉体に対する直接的なダメージはすべて回復しましたが……極度の疲労、およびそれに伴う発熱は、キュート自身の力で回復するのを待つほかありません。何よりも、』
「そうかよ」
セリオンはフィアーネに最後まで言わせもせずに聞き捨てた。
理屈ではわかっている。
キュートを確実に助け出すために、フィアーネがあえて遠回りを選択したことも、セリオンに無謀な突撃をさせるわけには行かなかったことも。
キュートを助け出す成功率が最も高い方法を冷徹に選ぶ必要があったのはわかる。しかし、しかし。
セリオンの脳裏に、男の手でもてあそばれていたキュートの姿が浮かび、つい、頭に血が登る。
キュートは、恐怖に、羞恥に、苦痛に、涙を流していた。それでもなお、男達の行為を受け入れ、想像を絶する恥辱に必死に耐えていた。
涙をぽろぽろと零しながらも、汚らしい男のキスを受け入れていたキュートの顔が思い出され、思わず壁をガッと殴りつける。
『セリオン』
「聞きたくねえ。黙っててくれ」
既に議論は尽きていた。理屈ではフィアーネの言うことが正しいのはわかっている。それでも、やりきれなかった。
キュートの状況を知りつつも「生命活動は正常」と、嘘ではない最低限の事実を繰り返したフィアーネ。
――キュートの周囲に十一体の生体反応有り。三体が攻撃可能距離に。うち一体は非武装ですが、ゼロ……やはり至近距離にいます――
――生命活動、正常。呼吸、大。心拍、大。体温分布を通常時と比較……状態、疲労および発熱――
キュートの荒い吐息と、激しく脈打つ鼓動。密着した生体反応と、熱く火照った肢体。もちろん、そのデータが何を意味しているのかを、フィアーネが理解していないはずがなかった。あのとき娯楽室で行われていた行為が、人間にとっていかなる行為なのか。そして、女の子の身であるキュートにとって、彼女を想うセリオンにとって、いったいどんな意味を持つのかを、理解していないはずがなかった。
セリオンに詳細な情報を伝えなかった、その時点で、フィアーネがその意味を理解していることを示している。
フィアーネが、恨めしかった。
理屈ではわかっている。
根本的な部分で、フィアーネにはなんの落ち度もないことを。
恐らく、キュートが性的な拷問を施されたのは、捕らえられた初日からであろう。
キュートが敗北した時点で、何をどうやっても、その運命から逃れる術はなかったのだ。
フィアーネの先延ばしは、言ってみれば七日間のうちの二日にすぎない。例えセリオンがあの基地に辿り着いた時、すぐにキュートを助け出したとしても、キュートを襲った運命を覆すことは出来なかった。
そして、理屈ではわかっている。
自分の行為がどれほどの無謀だったのかを。
あのとき、熱の収まりきっていない身体で、怪我を負いながらもキュートの周囲の男をすべて倒せたこと。
戦闘の間にキュートが人質に取られなかったこと。
セリオンが暴走したキュートの爆発に巻き込まれなかったこと。
爆発が周囲の兵士たちをすべて巻き込んだこと。
兵士達が消滅した時点で、都合よく暴走を止めることができたこと。
何よりも、一連の騒ぎの間、エクスプロードが現れなかったこと。
それらのすべてがあり得ないほどのギリギリの綱渡りの上で行われ、幸運の女神がたった一度でも目を離したら、それだけで最悪の事態になってしまっていたと言うこと。
あの後、補給基地が突然の敵襲と爆発に混乱に陥る中、セリオンは例の陸船を奪って逃走した。意識のないキュートを魔力供給用の座席に座らせ、メインフレームを取り戻したフィアーネが亜空間――イセリアル層と言っていたか――から魔力を汲み出し、エネルギーを供給することができた。
陸船を飛ばすこと丸一日、疲労困憊ながらもキュートが意識を取り戻した。ほとんどフィアーネに強制されるようにエグゼクトしたキュート。その背に掴まり、陸船を捨ててフルーデへと飛んだ。
とにかくキュートをゆっくり休ませたかったが、ハイネスフィルク王国ではアルラ高地に近すぎ、プロードの追っ手がかかる可能性が高かった。結局、数時間かけてフルーデのレイランド城に向かい、到着すると共に力付き、キュートはふたたび昏倒してしまったのだった。
酷い熱だった。セリオンのベッドに寝かせ、何度も何度も額の濡れタオルを取替えること二時間。ようやく、すうすうと寝息を立てはじめた。
そうしてセリオンも一息ついたところで、眠り続けるキュートを横に議論ははじまったのだ。
発端は、ポツリと呟いたセリオンの言葉だった。
――なんでキュートがあんな目にあっていることを黙っていたんだ。
もちろん理由はわかっていたが、聞かずにはいられなかった。あるいは謝罪の言葉を期待していたのかもしれない。
しかしフィアーネは、キュートの状況を隠していたことを謝るどころか、セリオンの無謀な突撃を責めた。貴方には本当にキュートを助け出すつもりがあったのか、と。
それにカチンと来たセリオンは、激しく言い返した。
あの汚らしい兵士達の手にキュートを預けたまま、一ヶ月以上かけてオーダス王の城砦まで歩いて行くのが正しかったのか。
フィアーネも退かなかった。
奇跡の救出劇。あれがすべて成功する確率は、僅か〇.八パーセントしかなかった。九九パーセント以上の確率でセリオンは死んで、キュートを助けることは永遠にできなくなっていた。時間はかかっても、オーダス王に連絡を取れば八七パーセントの確率でキュートを助け出すことができたはずだ。そう、まくしたてた。
確率なんぞ糞っ食らえ、こうして助け出すことができたぞ、と詰めよるセリオンに、そんな分の悪い賭けにキュートの運命を委ねたのか、キュートは賭博の賞品ではない、とフィアーネは言い返した。
もしもフィアーネがセリオンの頭の中ではなく、実体を持って目の前で喋っていたら、間違いなく乱闘騒ぎになっていたことだろう。
結局、どちらも譲らないまま、言うべきことは尽きてしまった。
セリオンにも、フィアーネもフィアーネなりにキュートを真剣に助け出そうとしていたことは理解できる。
しかし、あの男達の手にキュートの身を一ヶ月以上も委ね、その上で助けたとて、それは果たして「助け出した」と言えるのだろうか?
想像もしたくないが、その一ヶ月の間にキュートを襲う運命が、頭に湧き上がってしまう。あの娯楽室で行われていた行為は……断じて拷問などと呼べるものではなかった。言い訳の余地もなく、男と女の行為だった。
一ヶ月もの間、「捕虜」ではなく「女の子」として男達の行為を受け続けたキュートはどうなってしまうのか。
きっと、キュートの身体はもちろん、心までも取り返しの付かないことになってしまっただろう。間違いなく、セリオンとキュートは今までと同じ関係には戻れなくなっていただろう。
あの猫背のオルディア兵の言葉が、頭に焼き付いて離れなかった。
――おいおい兄ちゃん、ずいぶんと残酷なことするじゃねえか? 散々俺達に可愛がられて、ようやく一昨日の夜になにもかも諦める決心をすることができたってのに、振り出しに戻っちまったじゃねえか――
あの言葉を思い出すと一ヶ月はおろか、七日間、いや五日間でも遅すぎたのではないかとさえ思える。
セリオンはそこまで考えて、フィアーネと自分の食い違いの根底にあるものに思い至った。
つまり、世界の理を守ることなど、セリオンにとってはどうでも良いのだ。
フィアーネは世界の理を守ることを目的として、そのために必要な行動を選んでいるのだろう。しかし、セリオンにとっては、世界が救われるも、テイントの海に沈むも、関係ない。ただ、キュートが傷つくのが耐えられなかっただけなのだ。
『セリオン』
「聞きたくねえ、つってんだろ」
『……その件は私も保留中です。トリエルの神殿の位置が判りました。……挑むのでしょう?』
「!」
そればかりは、フィアーネを無視するわけには行かなかった。
キュートさえ傷つかないなら世界がどうなろうが知ったことではないとは思うが、実際にキュートがイリーガル・シードを相手に戦い続ける以上、セリオンもこれ以上傍観を決め込むことはできない。キュートを暴走から引き戻したとき、はっきりとその決心をした。
今まさに出立の準備をしていたのも、エクスプロードに蹂躙され、消え失せた神殿の情報を集めに行くつもりだったのだ。
それにしても、あれだけの諍いをしたフィアーネが、あっさりと協力するのを意外に思う。
しかし考えてみれば、フィアーネのほうにも、ことさら反対する理由はないのだろう。 セリオンがキュートのために剣を振るう以上、その動機はどうあれ、世界の理を守るために戦うことになるのは間違いないからだ。それはフィアーネの目的とも矛盾しないし、むしろ歓迎すべきことですらあるのかもしれない。
激しく言い争いをした後でも、フィアーネは機械じみた気持ちの切り替えを見せ、セリオンのために神殿の情報を集めていた。
「ダオゼントに感染しそうになって脱出したエグゼクターか……。いったい何処にいるんだ?」
『セリオン、驚かないでください。この城の地下です』
「なんだって!?」
驚くなと言うほうが無理だろう。しかし、セリオンには思い当たることがあった。
つい先ほどフィアーネがエミッター機能を使用してオーダス王のエグゼクター・バイエルに連絡をしていたのが思い出される。フィアーネにはエミッターと言う他のエグゼクターにはない機能が搭載されているのだ。
「フィアーネ、お前、もしかしてエミッター機能でトリエルをここに呼んだんじゃあ……」
随分前にフィアーネがエミッターの説明をしたときには、他のエグゼクターに起動を促すことができると言っていた。
『いえ。それも考えましたが、トリエルは脱出してからそれほど時間を経ずにこの城の地下に移動していた模様です。アルラ高地からここに戻る間の範囲で偶然見つかる可能性を考え、移動中に集めていた情報を総チェックしていたのですが……最後にここでヒットしました。私にも驚きです』
「ふーむ……」
セリオンは若干考え込んだが、しかしすぐに顔を上げた。
「なんだか話が美味い気もするが、まあ、都合が良いことには変わりないよな。さっさと行くとするか」
セリオンは苦しそうに眠り続けるキュートの顔を見る。その額にそっと手を当てる。まだかなり熱があった。今も、悪夢にうなされているのだろうか?
「キュート」
熱に浮かされる少女を励ます思いで、耳元で囁いた。
「俺は……お前の剣になる。お前と同じ力を手に入れて、……お前を苦しめるすべてを滅ぼしてやる」
◆
レイランド城の礼拝堂から城下町のロイセフト神殿に続く脱出路。
その途中に、巨大な縦穴が口を開けている。直径二十メートル、底は何メートルあるのか見当も付かない。
天井の穴から落ちる大量の水が飛沫となり霧を作り、セリオンの顔を濡らす。
そんなことは気にも止めず、縦穴の内周の壁に張り付いて備えられた螺旋階段を、セリオンは黙々と降りていた。
『セリオン、聞いて良いですか?』
フィアーネが突然話をふった。セリオンは歩みを止めないまま、面倒くさそうに返事をする。またあの話を蒸し返す気か。
「なんだよ。こないだのことだったら、もうなにもないぞ」
『……その件は私も保留中です。そのことではなく、この遺跡……三英雄の話です』
「……? そんなことに興味があるのか?」
フィアーネがこの世界の伝説や英雄譚に興味を示すとは、思いもよらなかった。別世界からの来訪者であろうフィアーネに、この世界の歴史などなんの意味があるというのだ?
『そう言うわけではありませんが、ある可能性について、思い当たることがあります。良ければ教えてもらえませんか?』
「ふーん……ま、いいけどよ。子供だって知ってる話さ。三英雄ってのは、神官フライヤ・サーライル、魔術師シーガー・ワラトス、それに、騎士ゲルダリオン・レイランド……こいつが俺のご先祖様ってことになるかな」
『その剣の名の由来ですね』
「あー、由来っつーか……この剣な、実はここで見つけたんだ。……どうもゲルダリオン本人が使ってた剣みたいなんだよな。だから剣の名の由来っつーより、持ち物に名前書いておくとか、そんな感じだと思うぜ?」
それが意味することはつまり、セリオンはこの遺跡に忍び込み、英雄の剣を持ち出したと言うことだ。自分の先祖とはいえ、ほとんど盗掘に近いことだ。今更ながら、ばつが悪そうにぽりぽりと頭を掻いた。
「で、三英雄の話だよな。……今からちょうど五百と二年前……うん? 倒されたのが五百二年前だから、もうちょい前になるのかな? まあ、そのくらい昔に屍竜ハーンと名乗るおっそろしいドラゴンが大暴れしたんだとさ」
現在はヴェイ新暦の五百二年。ハーンが討伐された年が元年になっているため、何年前の話なのかは間違えるはずもない。
「そいつは魔人族デビリブに竜の屍骸を依り代として召喚された異世界の邪神だって話だ。……まあ正体は何でもいいんだが、ともかく、手下のアンデッドの軍勢を率いて人間やエルフ達を滅ぼしにかかって来たそうな」
しかし、屍竜ハーンは自分を召喚したデビリブにも牙を剥いて、制御不能に陥ってしまう。もはや誰にも止めることができないと絶望に包まれる中、ゼラン神聖王国の聖ライルベルク騎士団が魔術師や神官を伴って立ち向かった。
だが、どんなに強力な剣を振るおうとも、どんなに強力な魔法を放とうとも、屍竜ハーンには傷一つ付くことはなかった。
「……この世界の力では、屍竜ハーンを倒すことはできない。そう悟った騎士たちは、代表者を神の住む世界へと送り出し、そこで女神さまの試練を経て、一本の剣を授かったんだと」
『女神の剣……女神ラケのことですね』
「そういうことになってるな。どの本にもラケの絵が描いてあるしな。……で、その女神さまの剣を屍竜ハーンの頭に突き刺したら、見事にハーンは滅びましたとさ、めでたし、めでたしってところだ」
『……なるほど、その神の世界で試練を受け、女神の剣を持ち帰ったのが……』
「そ。我がご先祖、ゲルダリオン・レイランド様でござい、ってなもんだ」
セリオンは、自嘲を隠さずに言い捨てた。
『と言うことは、セリオンのその剣こそ、女神の……』
「俺も当時はそう思って無邪気に小躍りしたもんさ。まあ……そのすぐ後に違うことがわかったんだけどな……」
セリオンはそのときのことを思い出した。
サーライル領やワラトス領に比べて冷遇を受けるレイランド領。それに納得が行かない当時十八歳のセリオンは、ゲルダリオン・レイランドの偉業を確かめるべく、この遺跡に潜り込んだのだった。
しかし、そこで知った真実は、
『あなたが期待していたような話ではなかったのですね』
フィアーネがセリオンの心を読み取って言葉にする。が、セリオンにとっては、それは触れられたくない話だった。
「おい、勝手に人の心を読むんじゃねえよ」
『そこまで優れた機能は持っていません。私は貴方の言語野から出力信号を拾っているだけです。セリオンが頭の中で言語化しなければ、伝わることはありません』
「げんごや……? なんだか知らんが、思ってることがわかるのは事実だろう? 気持ちのいいもんじゃないぜ。……ところで……」
セリオンはつい口に出した。あえて避けていた話題ではあるが、自分の脳内にフィアーネがいる以上、一応聞いておかねばなるまい。
「メインなんとか……キュートの中にいるお前はもう正常なんだろう? なんで俺の頭の中にバックアップがまだ残ってるんだ? ……まあ、ちょっと便利だけどよ」
『メインフレームは正常動作していますが……不測の可能性を検討した結果、まだ必要と判断しました』
あいまいな言い方に、セリオンは多少態度を硬くした。鼻息を一つ付く。
「ふん、可能性……ね。要するに、話が美味すぎるってんだろ?」
セリオンが言ってるのは、キュートを救出したときの話だ。この話題になると、自然、語気が荒くなるのを抑えきれない。言いながら、聞いたことを少し後悔した。聞かれた以上、フィアーネも答えざるを得ないだろう。
『単刀直入に言います。セリオン、貴方は救出作戦が成功したと思っている模様ですが、私はそうは考えてはいません』
「罠だって言うのか? キュートをわざと逃がして、いったいなんの得があるんだよ。オーダスに反逆を知られるだけだろう? キュートにスパイをさせるにも、あの有様だぜ」
もちろん、今もキュートはベッドの上で眠ったままだ。
同期を取っているらしいフィアーネにも、キュートの状態は手に取るようにわかっているはずだ。しかし、
『キュートの中の私……メインフレームに感染したテイントは現在も駆除中ですが、不自然な点がいくつか見受けられます。病原菌に例えると、殺傷力が低いわりに、生命力が強すぎるのです』
「つまり、害は少ないけど駆除が難しい……?」
『その通りです。これがプロードの意図だとしたら、その意図がまったく読めません。この状況は極めて危険です』
フィアーネの言葉に、セリオンも思わず熱くなる。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ! まさか、キュートをもう一度あの基地に連れて行って、丁重にお返ししろとでも言うのか!?」
『そこまでは言っていません。しかしプロードの意図がわからない今は、』
「聞きたくねえな! この間と言い、お前の作戦はいつだって血も涙もねえ! 俺は俺のやりたいようにやるぜ!」
『しかしセリオン、』
セリオンは言葉を荒げつつ階段を降りていたため、最下層が近いことに気が付かなかった。
高所から落ちる水がどうどうと音を立てている。その音に負けじと声を張り上げて、フィアーネとやりあっていたが、その言葉が突然遮られた。
「セリオン……フィアーネも……ケンカしちゃ、だめだよ?」
プラチナブロンドが、薄暗い穴の底で煌いた。
「――――っっ!?」
『キュート!?』
あまりにも意外。何故、セリオンの部屋のベッドで寝ていたキュートがここに?
暗闇の中、キュートはパジャマのままで最下層で待っていた。顔はまだ赤く、とても動ける状態とは思えない。意識もハッキリしている様子ではなかった。
そんな状態で、どうやってここまで? いや、そもそも自分たちを追い抜いた気配さえなかった。
「キュート……お前、なんで、ここに……」
「……え?」
セリオンに言われて初めて、キュートは辺りを見渡していた。熱を帯びた目に、戸惑いが浮かんだ。
「あれ……ここ、は……? セリオンの部屋じゃなくて……? ベッドは……、あれ?」
自分の置かれた状況が異常だということを認識したのをきっかけに、途端にキュートの脚がふらふらと頼りなくなる。そのまま、立っているのも限界とばかりに大きく傾く。セリオンは階段を駆け降りて、その身体を抱きとめた。
最下層に降りると、そこには試練の神殿が口を開けていた。しかし、試練の神殿を見つけたことよりも、今はキュートがここにいることの方が重大な問題だ。
「キュート! いったいなんで、いったい何が……。フィアーネ、お前、メインなんとかってのと同期を取ってたんじゃないのかよ!」
『セリオン……それが……、そこにいるキュートは間違いなく本物ですが……。同時にメインフレームからは、キュートは今もベッドで寝ていると言う情報が入っています』
フィアーネの言葉に、セリオンはぞっとした。何か、何かとんでもない思い違いをしていたのではないだろうか?
絶対にあり得ない今の状況。それがあり得ると言うことは。
『メインフレームからの信号が……偽装……されています……。いえ……これは、メイン、フレーム……じゃない……?』
絶望的な声をフィアーネが発した。それが意味することは、
「つまり、感染はとうに完了していたと言うことだ」
轟く水の音に紛れて聞き覚えのある声が響いた。
「プロード!」
セリオンが見上げる。いつからそこにいたのだろうか。禍々しい赤色を纏った超鋼騎兵が、セリオン達を見下ろしていた。
◆
セリオンの腕の中で、キュートはぐっと唇を噛んだ。アルラの仇の姿に、熱に浮かされたまま拳を硬く握る。
「無茶するな! お前の身体はまだ……!」
キュートが変身しようとしているのを察してセリオンが言うが、エクスプロードに対抗できる者は、この場では自分一人しかいないのだ。選択の余地はなかった。熱に浮かされながらも右手を握り締める。
『キュート、いけません! 何か、何かがおかしいです!』
フィアーネが悲痛な声を上げた。しかし、上空のエクスプロードはゆっくりと 二本の右手をセリオン達に向けた。
「変身せぬのなら、二人揃ってここで死ぬだけよ」
それが、はったりだと判断するだけの精神力が、今のキュートには無かった。頭上で放たれるべく炎の塊が膨れ上がるのを見て、キュートはセリオンの腕に抱えられながら、右手を高く掲げた。
「エグゼクト!」
キュートの頭の中で、いつもの言葉が流れる。しかし、
『マスターコマンド、エグゼクト、確認。エクセライズシーケンス、開始』
「――――っ!?」
流れた声に、キュートは凍りついた。今、喋ったのは、誰なのか? そして、どこから聞こえたのか?
地の底から響いてくる禍々しい男の声。断じて、フィアーネの声ではない。そして、響いたのはキュートの頭の中だけではなかった。
頭上のエクスプロードの位置から、同じタイミングで響いていたのだ。それが意味することは、何か。
キュートの身体がふわりと浮いた。
「あ……」
もはや、はじまってしまったエクセライズシーケンスを止めることはできなかった。
パジャマが、弾けとんで魔法力に分解された。インナーも、パンツも。キュートの身に纏っていたすべてのものが剥ぎ取られ、引き裂かれ、魔法力へと分解されていく。
「や……」
分解された魔法力は、いつもの美しい青ではなく、赤みを帯びつつも奈落の黒色を見せる。まるで闇の魔力を凝縮したとしか思えないそれが、形を成した。
キュートの裸身に、構成されたものが絡み付く。腕に、脚に、背中に。まるで宙に開いた穴から這い出してくるがごとく、うぞうぞと這い回る触手じみた組織が、キュートの真っ白な肢体に広がっていった。
「あ……あ……」
――投与したテイント因子は、貴様自身にはなんの影響も与えぬ――
キュートは、自分の身に起きていることを理解した。あの基地で、自分の身体に何をされてしまったのか、その結果、フィアーネがどうなってしまったのか、はっきりと理解した。
あの基地で、油断した兵士がキュートの拘束を解き、キュートは最後の力を振り絞って脱走を試みた。しかしその試みは、あと一歩というところでプロードの妨害にあい失敗し、キュートは追い詰められ、散々抵抗した末に取り押さえられた。そして、当然というべきか、キュートが二度と脱走する気を起こさぬよう、その日からの拷問は、より苛烈なものになった。
その一環として投与された薬物。エルトラムが作ったというそれは、身体に分散インストールされているフィアーネに働きかけ、肉体の最適化を強制的に引き出すというものだった。
それが投与されると、注射された周囲の最適化が暴走し、キュートの神経は限界を超えて敏感になってしまった。鞭の痛みはもちろん、軟膏を塗りたくる男の手の感触も、キュートの受ける感覚はすべて、何倍にも昂ぶらされてしまったのだ。
その薬を使うことで、キュートへの拷問はより濃密になり、参加した男達を大いに充実させ、喜ばせた。
もちろん、それはキュートを徹底的に苦しめ、苛み、遂には脱走はおろか抵抗する意思そのものを打ち砕かれるに至ったのだ。
それは、まさにそれこそが目的の薬物だと思っていた。キュートを苦しめ、兵士たちを喜ばせるための、悪趣味な薬物。そうだと思い込んでいた。
だが、違ったのだ。
――例えエグゼクターが休眠していても、ゆっくりとだが感染は進む。エグゼクター・フィアーネが落ちるのが先か、貴様が協力する気になるのが先か……――
あの薬物は、単に最適化を暴走させ、キュートを苦しめるだけのものではなかった。最適化が暴走するということは、休眠したフィアーネが強制的に活性化させられるということだ。
そう考えれば、そもそもキュートがあの男たちの手に委ねられたこと自体、プロードの計画のうちだったのだ。
無数の男たちによって、ありとあらゆる拷問を施されるたびに。鞭打たれ、いやらしい手で軟膏を塗られ、唇を吸われ、そして。そして、ありとあらゆる行為を、ありえないほどに恥ずかしいことをされるたびに。つまり、キュートの神経がその意思に反して昂ぶってしまうたびに、エルトラムの薬物はしんしんと効力を発揮して、フィアーネを活性化させていたのだ。
セリオンに助け出されたとき、薬物はフィアーネによって中和された。しかし、それで終わりではなかった。むしろ、とっくに終わっていたのだ。薬物の用は済み、フィアーネは眠ったまま活性化し、知らぬうちに完全に侵食されていたのだ。
その結果がたった今、自分の身体を覆いつつあった。
喉が、震えた。恐怖が、絶望が、津波となって襲いかかった。
◆
「いやああああ――――っ!!」
セリオンの耳にキュートの悲痛な声が突き刺さる。まるで基地で拷問を受けていたときと同じに両手両足を伸ばした姿勢で空中に磔にされ、次々と形を成していく肉塊じみた有機物に絡みつかれていく。
次第に、有機物は硬い金属質の装甲を形成し、見覚えのある形へと変化する。
そして、声を上げることさえもできないセリオンの前、それが、立っていた。
女神ラケを模した、麗美な甲冑。しかし、その姿はキュートの見事なプラチナブロンドを反映した白金色ではなく、血の様な赤みを帯びた、どす黒い甲冑だった。
表面は大半が硬い金属質だが、しかし、装甲のいたるところに有機質が入り混じっており、血管じみた組織が醜く浮き出て脈動している。
キュートの姿は。
いつもの超鋼騎兵エグゼキュートと同じ、頭と胴体が剥き出しの状態。必要のないものを再構成する気はないのか、キュートは裸身を晒されたまま、超鋼騎兵の中に捕らわれていた。
両腕と両脚は、その延長となる超鋼騎兵の手足を制御するべく、甲冑に包まれていた。しかしその甲冑は、今はキュートを拘束する機能で働いているのだ。
『エクセライズシーケンス、完了。オーバーテイント、展開』
セリオンにも聞こえる周囲一帯に、禍々しい声が響く。さっきまでフィアーネが懸念していたものの正体は、これだった。キュートの体内でフィアーネに感染し駆除できずにいたテイントは、ダオゼントの分身だったのだ。
いや、そもそも駆除の経過そのものが偽装されていたとしたら。フィアーネの機能はすべてダオゼントに乗っ取られ、その上で、あたかも駆除されているふうを装って、偽装していたとしたら。
その、考えうる限りの最悪の結果が、目の前で顕在化していた。
セリオンは、考えが甘かったことを思い知らされた。
キュートを助け出しさえすれば、それでもう大丈夫だと考えていたのだ。
プロードが何を企もうが、自分も超鋼騎兵の力を入れさえすれば、それで対抗できると考えていたのだ。
もちろん、セリオンとて蒙昧ではない。あっさりとキュートを助け出せたとき、罠の可能性も考えないでもなかった。しかし、罠だとするとプロードの被る代償が大きすぎるのだ。感染のほとんどは駆除されてしまい、しかもプロードの計画はオーダス王へと伝わってしまう。どう考えても、プロードの負うリスクのほうが大きい。だから、その可能性は低いと思っていた。
しかし、既にフィアーネへの感染が充分に進み、プロードの側にオーダスと直接ぶつかるだけの準備が整っていたとしたら?
そしてプロードもまた、逃げたエグゼクター・トリエルを探していたのだ。愛する少女を辱められたセリオンが、次に何を望むか? プロードには、手に取るようにわかっていたのだ。結果、セリオンは、プロードをトリエルの神殿に案内してしまう結果を導いてしまった。その事実に、愕然としていた。
それは、フィアーネもまた同じらしい。
『まさか……。既に感染が完了していたなんて……。私が……私があのとき、セリオンに、伝えていれば……』
もしも、最初に補給基地に侵入したとき、最初にキュートの状態を把握したとき、セリオンにそれを伝えて救出していれば……。あるいは、感染が完了する前に助け出せていたかも知れないのだ。
フィアーネは、時間をかけてでもプロードの計画を暴き、その上でキュートを助け出せば、必ず逆転できると考えていたらしい。だが、テイントの感染に加えて、キュートは投与された薬物によって無理矢理に最適化させられ、キュートの体内のフィアーネは眠ったままに活性化していたのだ。そんな状況で「時間をかける」などという判断は、最悪の一手と言っても良い。
しかし、セリオンにはフィアーネを責めることはできなかった。
なぜならば、感染が完了していない時点でセリオンがのこのこと乗り込んでいっても、プロードがキュートを渡すはずがなかったからだ。仮に体調が万全だったとしても、はたして救出は成功しただろうか?
結局のところ、エグゼキュートがエクスプロードに敗北した瞬間から、この運命は決まっていたのかもしれなかった。
いや、そんなことを悔いている場合ではない。
例えエグゼキュートが制御を離れてしまったとしても、エグゼクトと言うコマンドに応じてダオゼントは変身を開始した。ならば、その逆も可能ではないのか?
変身を解いたとて、そこにエクスプロードがいると言う最悪の状況は変わらないが、とにかくキュートを助け出さねばならなかった。
「キュート! 変身を! 変身を解くんだ!」
その声は、果たしてキュートの耳に届くかどうか。
◆
「ん……っ!」
セリオンの声で我に返ったのか、キュートは意識を全身を取り囲む装甲に傾けている様子だった。
変身解除は口で命じるまでもなく、「解除しよう」と思うだけでフィアーネがそれを受け取り、実行するものだという。
キュートは今、強い意思で変身解除を命じたのだ。その結果、
『おお?』
ダオゼントのうろたえた声が響く。
キュートの四肢を拘束した装甲が内側からバカリと開き、キュートの裸身がずるりと開放されたのだ。
キュートが自由になった脚で、形が崩れた赤黒い甲冑を蹴った。弾け出て、宙に踊り、セリオンのほうへと飛びついてくる。
「キュート!」
それを迎え、セリオンは手を伸ばした。着地も待たずにその手を掴む。しっかりと握る。キュート。キュートを掴まえた。もう、だいじょうぶだ。絶対に、絶対にこの手を離さないでいてやる。
まずはとにかく、このおぞましい甲冑から離れなければ。なんとかしてエクスプロードから逃れなければ。そう、安全な場所に避難して、フィアーネに感染したダオゼントを駆除して……そうだ、オーダス王は味方になってくれるんじゃないか? そこまで考えたとき。
ぞぶり、と嫌な音が聞こえた。
「え……」
キュートの手を握りしめていた力が、急激に失われた。握りしめようにも、指先がしびれて、するりと抜けてしまった。
たった今キュートが離脱した甲冑から、真っ黒に光沢を放つ触手が一直線に伸びていた。その先端は鋭く――キュートのすぐ横をかすめ――自分の腹に突き刺さり、どうやら背中にまで貫通していた。
「キュー……ト……」
「セリ……オン……」
何が起きたのか理解できていないらしい。呆然と呟くキュートもまた、空中で止まっていた。
甲冑から伸びた触手は一本ではなかった。無数の黒い触手が弾け出し、キュートに空中で追いついていた。その両手、両脚にしっかりと絡み付いていた。そして、それが一斉に引き寄せられた。
触手が引き抜かれると、手を伸ばした姿勢のままドサリを音を立ててセリオンの身体が崩れた。瞬く間にセリオンの周囲の地面が真っ赤な水溜りに変わっていく。
「セリオン! セリオンッッ!! やだっ! やだあああっ! セリオン!」
胴体部分を大きく開き、内部に触手を無数に蠢かして待ち受けている装甲。泣き叫ぶキュートの身体が、そのおぞましい有機的な装甲に引きずり込まれていく。
「……や」
やめろ。キュートを、キュートを離せ。キュートに触るな。しかし、その声も、なんだか息がスカスカと抜けてしまい、声にならない。
その間も、キュートは激しい抵抗を見せて、一生懸命に手足をバタつかせて装甲に取り込まれるまいとしている。
『強制解除をしてのけるとは、中々有望な使い手だ……。だが』
ダオゼントの声が響き、赤黒い甲冑の胴体部分、その内部からも無数の触手が伸びた。いや、触手ではなく、黒い腕だ。人間のそれに酷似した真っ黒な腕が、キュートを取り囲んで生えていた。
それが、キュートの身体を捕まえにかかる。しかし、キュートはそんなものにはお構いなしに叫んでいる。その姿が、急激に霞んでくる。瞼が閉じそうになっていた。
「やだっ! 死んじゃやだっ! セリオン! セリオンッ! 目を開けてようっ!」
「く……キュート……げほっ……」
キュートの叫びに、セリオンが力を振り絞って上半身を起こす。口から血が溢れた。その目に、どうにかキュートの姿を映した。
再び甲冑の中に捕らえられ、頭を、肩を、胸を、腹を、黒い腕にしがみ付かれ、胴体部分に押さえ付けられてしまったキュートの姿。それでも全身をくねらせて、なんとか甲冑から逃れようと抵抗を続けていた。
セリオンの目の前で、キュートの周囲から巨大な獣の牙らしきものが生え、肋骨状になってキュートの正面を覆っていく。
かつてキュートの生身を守っていた透明のフィールド。まるでその代わりと言わんばかりに、しかしそれは、キュートを逃がさぬための鉄格子となってキュートの正面を覆っていた。
「やだっ! はなして! はなしてよ! セリオンが、セリオンが死んじゃうっ!」
それでも、周囲を肋骨の鉄格子に阻まれても、キュートはなんとか抜け出そうと激しく抵抗していた。
『今だ抵抗するか。これは少々、躾が必要だな』
ダオゼントの言葉と共に、バリッと音がして肋骨の先端から電撃が走った。
「きゃあああっ!」
キュートの全身で稲妻が跳ね回り、身動きも取れぬまま叫び声を上げて悶絶した。
「……や……め、ろ」
セリオンが、力なく手を伸ばす。呻く声は、届かない。キュートが。キュートの表情に、怯えが走っている。キュートは今、あの補給基地で男達に受けた拷問の数々を思い出してしまっているのだ。
「あ……あぁ……」
キュートの肩がぶるぶると震えている。しかし、ダオゼントは予想外とばかりに言った。
『反応が鈍いな……なるほど、我が毒液は中和されているのか。では、改めて施しをくれてやろうぞ』
「え……や……痛っ!」
キュートが無数の透明の触手に纏わり付かれていた。先端は鋭い針を持ち、それが、キュートの首筋に、胸に、へそに、下腹部に、いたるところに突きたてられている。
その透明の管の中に満たされているのは、毒々しい赤い液体。
――薬物によって全感覚を増幅され、パニック状態に陥っているのです――
キュートを助けだしたとき、フィアーネは確かそう言っていた。キュートの感覚を増幅する薬物。キュートを苦しめ、心をへし折った薬物。それが、今ふたたびキュートの身体に投与されるというのか。
「……ぐ」
喉が痺れて声が出ない。それでも、懸命に訴えた。やめろ。やめてくれ。キュートはさっきまで熱を出して寝込んでいたんだ。身体だけじゃない。あの補給基地でされていたことが、キュートの心にダメージを与えていないはずがないじゃないか。
しかし、セリオンの声なき叫びも虚しく、触手の根元の方から管の内径がキューッと狭まる。まるで注射器だった。管を満たしていた赤い液体は、あっさりとキュートの体内へと押し込まれてしまった。
「ぅ……ぁ……」
キュートが、自らの身体に怯える様子を見せ、肩を震わせる。キュートの全身の感覚が、今まさに鋭敏化させられているのだ。あたかもフィアーネがキュートの肉体を最適化して、あらゆる方面の気配に敏感に反応できるよう強化するのと同じに。
『貴様には、服従してもらわねばならぬのでな。なに、あの兵卒共に屈服したのと同じことよ。……そら』
バリリッ!と再び音がして、肋骨から電撃が放たれた。
「やあああああっ!!」
キュートの全身が仰け反る。苦痛に肩をくねらせ身悶えるのをを、周囲の豪腕が力づくで抑え込む。何倍にも高まった神経で受けた電撃は、どれほどキュートを苦しめているのだろう。想像すら追いつかない。
それでも、キュートは。
「いやぁ……セリオン……セリオンを……助けるの……」
ぐったりとなったまま、それでもキュートはセリオンを案じて抵抗していた。
しかし、セリオンの身体は既に血を失いすぎている。もはや口を聞くことさえ叶わず、ただ、装甲に捕らわれて苦しめられるキュートの姿を視界に留めるのみ。
「きゃあああっ! セリオン、おねがいだから、セリオンを、ふえええんっ!」
なにも出来ぬセリオンの前、キュートは立て続けに電撃を浴び、そのたびに悲痛な声を上げて泣き叫んでいた。それでも、セリオンの名を呼ぶのを止めなかった。
『エグゼクターに認められただけあって、中々しぶとい奴よ。……だが、我とていたずらにお前の身を兵卒共に預けた訳ではないぞ』
声とともに、キュートの身体を押さえつける腕の動きに、変化が起きた。
キュートを拘束する無数の腕のうち、キュートの胸を包み、押さえ込んでいる二本が、ギリリッと乱暴な動きを見せたのだ。
「あ……っ!」
途端に、キュートの表情に怯えと緊張が走った。すぐさま、全身の力が抜け、へなへなと抵抗を弱めてしまう。紛れもなく、あの基地で兵士達に叩きこまれた条件反射だった。あのとき、キュートが唇を奪われた際に、抵抗をやめさせるために大男がしていたのと、同じ行為。その恐怖は、間違いなくキュートを縛り付けているのだ。
『中々どうして、兵卒共の仕込みも大したものだ。……だが、すべてはこのときのため』
言いながら、再び乱暴に力をこめられる。
「ん……っ!」
キュートは肩を震わせ、辛そうに顔を背けるが、頭を押さえている腕が、それを許さない。強引に正面を向かせられ、セリオンと目があった。
セリオンを見るキュートの目から、涙が溢れた。その目から、戦う意思が消えていくのが見て取れる。
「がい……お願いだから……言うこと、きくから……」
ついに、キュートの口から懇願の言葉が漏れた。
『ふむ。他愛のないものよ』
しかし、続いてキュートの口から零れたのは、苦痛から逃れるために許しを乞う言葉ではなかった。
「言うこと、聞くから……だから、だから……セリオンを、たすけて……」
◆
「キュ……ト……」
セリオンの胸を、キリキリと痛みが襲う。全身が痺れて感覚もろくにないのに、しかしキュートのこんな姿だけは、耐えられない。失われていく体温以上に、キュートの苦しむ姿が耐えられない。
目の前で、あの兵士達にもてあそばれていたときの恐怖を呼び起こされ、心をへし折られていくキュートの様子が、ギリギリとセリオンを苦しめた。
しかし、それでもなおキュートはセリオンの身を案じている。自分が受けている苦痛も恐怖も超えて、セリオンの命を助けたいと願っていた。
しかし、
『まだそのようなことを言うか。ならば、毒液を直接注いでくれよう。男への想いなど蕩けさせてくれるわ』
薄れ行くセリオンの視界の中で、キュートを押さえ込んでいる腕が力を込め、掴んだ腰を持ち上げて浮かせる。有機的な触手の塊にどっぷりと浸かっていたキュートのお尻や太ももが引き上げられ、ぬちゃりと糸を引いた。そのままキュートは角度を何かに合わせて仰け反らされ、腰を前に突き出す姿勢を取らされる。
「あ……やぁ……セリオン……セリオン……」
もはや視界は霧に包まれて霞み、キュートの姿を見ることも難しい。腰を浮かされたキュートの白い肌がぼんやりと見えるだけだった。
腰を浮かされてできた股下のスペースで蠢く黒い触手。それがセリオンを貫いた槍と同じにそそり立って行くのが、辛うじて目に映る。
もはや輪郭もろくに捕らえられない視界の中、白い素肌が必死に身悶えるのが見えた。 再び、ぬちゃり、と糸を引く音が響いた。
「んっ! セリオン……セリオン……ごめん……ごめんなさい……」
キュートが何かを謝っている。セリオンを助けられなかったことを謝っているのだろうか? ほとんど視界の聞かないセリオンには、響き渡る音でしか状況がわからなかった。
次の瞬間――、ぞぶんっ! と肉を裂く音が聞こえた。
「ん……っ! くうううううっ……っ!!」
「……っ! キュート、……キュー、ト」
槍で刺し貫かれるたのだろうか。キュートが苦悶の声を上げている。ほとんど見えない視界の中で、身体をいっぱいに仰け反らせ、全身に群がる腕に押さえ込まれていた。頭を押さえられたまま、浮かせていた腰を再び下方向に降ろされ、元の状態に戻されていく。
「ん……、ふ……あ……」
キュートの口から、呼吸が止まったみたいな苦しげな吐息が漏れていた。
ぞぶ、ぞぶり、と肉を割る音が、そして、ぬちゃり、ぬちゃり、と糸を引く音が続く。
「ふぅっ……くぅ……んっ……!」
キュートが必死に耐えている。何か、酷い目にあっている。今の音。肉を裂かれているのか、それともセリオンを襲った槍の触手で貫かれているのか。
そして、キュートの身体をえぐる音は、ぞぶり、ぞぶり、と何度も繰り返され、キュートの呼吸もその苦しさを増して荒くなっていた。
「ふあ……、はあ、はあ、んっ! くううっ! セリオン……セリオン……ふあうっ!」
これだけ酷い目に会いながらも、キュートの声がセリオンを呼んでいた。それに応えたいと思い、セリオンは腕を動かす。しかし腹に開いた穴から血と一緒に力が抜けていってしまったのか、腕の反応は鈍かった。
『なおも男の名を呼ぶか。では、そろそろとどめを刺してくれる』
やめろ、やめろ! キュートを殺さないでくれ。やめてくれ!
セリオンの懇願にも近い思いは、しかし言葉にはならない。唇を震わせる力さえも、もはや失われている。
断続的に続いていた肉をえぐり掻き回す音が、ぞぶん、と一段と大きく響き、止まった。まるで、これ以上はないと言うところまで、一際強く槍を突き入れられたのだろうか。
「んぁ……ぅぁ……」
苦しげに掠れるキュートの声。そして。
『食らうが良い』
ダオゼントの声と共に、
「~~~~~~~~っ!!」
キュートの声にならない声が地下世界に響いた。セリオンに心配をかけまいとしているのか、必死に叫び声を押し殺しているのがわかる。
ごぽっ、ごぽっ、と水が溢れる音がして、セリオンのすぐ近くに液体がビシャビシャと落ちる気配が伝わった。まさか、まさか、キュートの血か!?
最後の力を振り絞り、セリオンの腕が地面を掻く。自分の腹から流れ出した血溜りでずるりと滑った。こんなところで寝ている場合ではない。キュートが、キュートが殺されてしまう。しかし、身体が動かない。
『どうだ。これほど大量に注がれては、もはや意識を保つこともできまい』
「んぁ……っ! ふぁぁ……、はぁっ、はぁっ、……セリ……オン、わたし……ごめんなひゃい……」
キュートの荒い息遣いが聞こえた。息も絶え絶えに、セリオンへの謝罪の言葉が混じる。まだ、キュートは生きている。いや、槍で貫かれ、ボロボロに傷つけられながらも、無理やりに生かされているとでも言うのか?
もはやなにも見えない。腕の感覚も感じない。耳の奥もじんじんと痺れ、激しい耳鳴りに埋め尽くされていく。
ああ、これが死の感覚か。あらゆる感覚を失い、妙に現実感が失せた中でそんなことを考えていた。
――フィアーネ、フィアーネ。そこにいるのか?――
セリオンは既に唇が動かないため、頭の中でフィアーネに呼びかけていた。フィアーネの返事は沈痛だった。
『セリオン……もう、私にも……どうすれば良いのか……』
――キュートは無事なのか? 殺されたんじゃないのか?――
『……キュートは……無事です。……生命活動は……正常です……』
その言葉に、セリオンの心がズキンと痛んだ。フィアーネのこの言い回し。つまりキュートは、生命だけは危険に晒されてはいないものの、とてもセリオンに伝えられないような酷いことをされていると言うことを意味している。しかし、
――生きて、生きていてくれさえすれば……。いつか――
同時に、俺はここで終わりらしいが、と実感していた。
『……セリオン。貴方に謝らなければなりません。貴方の行動の是非がどうあれ、私の判断は間違いでした。貴方に正確な情報を伝えず、キュートの苦しみを引き伸ばした結果……最悪の事態を招いてしまいました』
――……お互い様さ。俺も、奴を甘く見すぎてた。……フィアーネ?――
『なんですか?』
――もしもキュートが助かったら……ことづけを……約束を守れなくて、済まないと――
『……』
悲痛な沈黙。血も涙もないと思っていたが、エグゼクターにもちゃんと感情はあるのだと今更ながら思い出す。
そう言えば、キュートがイリーガル・オークに苦戦したときなどは、すごい怒り様だったな、などと懐かしい記憶が巡っていた。
『セリオン……申し訳ありません……今の私では、貴方を助けることができません』
――奇跡でも起きりゃ、いいんだがな――
『……せめて、最後まで共にいさせてください』
言葉通り、フィアーネの気配はなくならなかった。ただ、死に行くセリオンの傍らに留まり、その場で黙っていた。
◆
「ダオゼントよ、そろそろ先へ進むべきではないか? フィアーネのエミッターまでは偽装できなかったのであろう?」
絶望の中で、ほとんど呆然とするキュートの耳に、プロードとダオゼントの会話が虚ろに響いていた。
ああ、フィアーネはどうにかオーダスにことの次第を伝えることが出来たのだ。だとしたら、オーダス王はプロードの反逆を知ったはずだ。オーダスはどうするだろう。いつかのアルラ高地でしたのと同じく補給基地の兵士たちを粛清するのだろうか。そこにプロードがいないとなれば、手がかりを求めてフルーデに来るだろうか。
『エミッターはフィアーネ独自の機能なのでな。だが、なに、エグゾーダスめがここを突き止めるまで猶予はあろう。それに、あと一息でエグゼキュートも落ちようぞ』
手応えを確認するつもりか、キュートを捕まえる両手を、キリリッと搾り上げた。
「くうううっ!! ……はぁ……っ、はぁ……っ」
条件反射が身体を支配し、キュートは一連の責めで強張っていた全身の力を抜く。一生懸命深呼吸して、抵抗の意思がないことを身体で示す。
しかし、それでもなお、キュートは必死に訴えた。
「……おねがい……何でも、言うこと、聞きますから、おねがいですから……セリオンを、セリオンを……」
『うぬ、既に身体の方は限界を超えていように、良く粘るものよ。……だが』
乱暴に掴み上げられた場所を、クンッと上にねじり上げられた。その先端に向けて、肋骨の先から電撃を叩きつけられた!
「んっ!! ひうう――――――っっ!!」
何度目になるか、キュートの全身が跳ねる。痛い。痛い。心臓が、破ける。ただでさえ弱い場所なのに、薬物で何倍も敏感にされてしまったのだ。そんな場所に強烈な攻撃を受けると、胸の先っぽが弾けてしまった錯覚さえ覚える。為す術もなく、涙をはらはらと散らしながら、仰け反って悶絶していた。
しかし、ダオゼントは容赦しない。二度、三度、立て続けに電撃が放たれる!
「ひいいいいんっ! ふえええっ! ふえええんっ!」
たまらずに、キュートが泣き叫んでしまった。実際のところ、電撃は大したダメージにはならない程度の弱いものなのだろう。しかし、微弱な電撃でダメージはなくとも、信じられないほどに敏感なこの体では、落雷にも等しく感じられてしまう。
「ぐすっ……ひっく、ひっく、そこ……いたいの……もう、いじめないで……おねがい、ですから」
泣きじゃくりながらキュートは哀願の声を漏らす。もはや、補給基地で鞭で打ち据えられて泣き叫んでいたときと、なに一つ変わらなかった。
ようやく電撃の波が去った。しかし、プロードが言葉を挟んでいた。
「甘いぞダオゼント。目の前にこの小僧がいる限り、エグゼキュートは落ちんよ」
『ふむ……それも道理か。では、トリエルの元へと向かいつつ、躾を施すとしよう。プロードよ、お主にエグゼキュートの制御を渡すぞ。我はトリエルの探知を偽装するのに専念せねばならぬのでな』
ダオゼントの言葉と共に、キュートを拘束している感覚が一瞬ぎこちなくなり、異質なものへと変化した。装甲の内側で両手両足に絡みついている触手が、そして身体中を押さえつけている腕が、生々しい気配を帯びた。
「おお……これは、素晴らしい」
キュートの頭上でプロードの感嘆の声が響く。プロードは今、エクスプロードに繋がっていた感覚をエグゼキュートへと切り替えられたのだ。異形を操るのは、いったいいかなる感覚なのか。しかし、キュートを拘束する触手のすべてに、そしてキュートを押さえつける腕のすべてにプロードの意識が根を張り、思いのままに動かしているのは間違いなかった。
『では、エグゼキュートの躾はお主に任せるぞ。今のうちに支配するのに慣れておくと良い』
「うむ。試して見るかの。……よもや、これほどの感覚を得られようとは」
キュートの脚にまとわりつく触手が、強引に動いた。逆らうこともできず、キュートは無理矢理に神殿の方を向かされ、一歩、一歩、歩かされる。
「やだ……やだ……。そっち、いきたくないよぉ……セリオンの、セリオンの傍にいるの……」
プロードが操るエグゼキュートに捕らわれたまま、キュートは必死にその名を呼ぶ。倒れたセリオンの方を見ることもできず、エグゼキュートはセリオンに背を向けて神殿に向かっていた。
キュートは脚に力を込めて、歩くまいとする。が、脚に絡みついている触手はキリキリとつま先から太ももまで締め上げ、抵抗を許さない。更に、胸を押さえつけていた腕が二本、キュートの眼前でわきわきと動いた。まるで準備運動をしているみたいに見える。それが、一息にキュートの胸を捕らえた。
「ん……っ!」
乱暴な感覚に、キュートが萎縮してビクンと震える。途端に抵抗が収まり、神殿内へとスムーズに歩きはじめてしまう。
「なるほど、これは面白い。そら、大人しくせぬと、こうだ」
掴み上げる両手の力が、容赦のないものになった。骨の髄まで叩き込まれた条件反射が、キュートが抵抗するのを止めさせてしまう。為す術もなく、泣きながらセリオンの名を呼んだ。
「ふえええんっ! セリオン、セリオン、たすけて」
「なに、小僧のことなどすぐに忘れさせてくれる。私に忠誠を誓う気になるまで、たっぷリと可愛がってやるぞ」
キュートを押さえつける手が、ウエストのくびれから腰までのラインをさわさわと撫でる。キュートの下半身を飲み込んでいる触手の塊にも、プロードの意識が向かうのを感じた。ずるり、ぬちゃり、と音が響く。
「ほほう……これはこれは……。あの兵卒共が夢中になるのも、道理というものだ」
「んぅっ! ……もう、もういやぁ……たすけて……たすけてよぅ、セリオン……」
いつしかキュートの声はセリオンの命乞いではなく、セリオンに助けを求めている声へと変化していた。
しかし、キュートはセリオンの姿さえ見ることが出来なかった。懇願はまったく聞き入れられず、セリオンに背を向けたまま、一歩、一歩、神殿の奥へと歩かされる。
キュートを助けられるものは、どこにもいない。
◆
夢を、見ていた。
「おい、セリオン。いつまでも寝てるんじゃねえぞ」
――やかましい。もう、すべて終わったんだ。ゆっくり死なせてくれ――
「馬鹿野郎、まだ終わっちゃいねえよ! 奇跡はこれから起きるんだ」
――うるさいな。誰だか知らんが、もう、放って置いてくれ――
「いいのかい? 嬢ちゃんは最後の最後で、お前に助けを求めていたんだぜ? ここで立たないで、一体いつ立ち上がるってんだ?」
――……っ!――
「そら、脚に気合いれろや。そうだ、立ち上がれ! お待ちかねの奇跡がはじまるぜ?」
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