宮城を応援する番組「宮城!やっぺぇTV」。
今回は南三陸町にやって来ました。
雪の降る朝やって来たあのビブスをつけた方たちが今回の主役です。
そう今回の主役はボランティアの皆さんです。
おはようございます。
おはようございます。
先週土曜日震災で大きな被害を受けた南三陸町に東京や大阪などからボランティアが訪れていました。
この日は町の特産品ワカメの出荷作業。
私も一日ボランティアに参加しました。
いい香り。
今日どこから来られたんですか?群馬から?ボランティア何回目ですか?え〜と…やっぱり何度も行ってるとその現地の人とのつながりが出来てくからそれでまた会いに行くねという事が多くなる。
いいですか?南三陸。
ではおはようございます。
(一同)おはようございます。
南三陸に来るボランティアは以前の3/3に減っていますがリピーターは健在です。
その力を町の活性化につなげようとする動きが広がり始めています。
外部からの支援の方々をこれからもずっと継続的に南三陸のファンクラブになってほしいなと。
ボランティアと一緒に町を元気に。
震災後育まれてきた新たな関係を取材しました。
今ボランティアの力が町の産業の復興を後押ししています。
特産品のかきの加工処理施設です。
震災前作業に携わっていた住民たちが他の仕事に就くなどして人手が足りずボランティアが欠かせません。
埼玉県から一週間おきに来ている野秀男さんです。
妻のしげ代さんと参加しています。
地元の漁師とも軽口をたたき合う仲になっています。
自宅から7時間かけて来ている野さん。
お金を節約しようと車で寝泊まりしています。
(野)来る時はお布団をここにひいてここに着いたら寝るだけにしてくる。
ビブスに貼ってあったのを何気に貼り始めたの。
ボランティアの時に名札代わりにしているテープ。
来る度に車に貼りその数は50枚を超えました。
野さんが南三陸を初めて訪れたのは震災の次の年の5月。
まだ町の中にがれきが残っていました。
変わっていきますよね。
もうほんとに変わりました。
あのころの悲惨さを思うと。
だからそれはやっぱり来てずっと続けて来ていないと分からない事で。
30年にわたって自動車整備工場を営んでいる野さん。
仕事では一人で黙々と作業する事がほとんどでした。
しかしボランティアを始めてみるとみんなで力を合わせる事にやりがいを感じるようになり繰り返し訪れるようになったのです。
石拾いでもみんなで集めてそこがきれいになって喜んで頂けるというのがここで仕事してるのとまた違うものがありますよね。
だから続ける。
結局続けるしかないんだという。
行きますだから。
世代を超えて仲間が出来リピーターになっている人がいます。
東京で造園業を営んでいます。
仕事一筋だった生田さん。
まだ2011年だけど仕事の…。
これまでボランティアとは全く無縁の生活でした。
しかし…。
(生田)最初に南三陸に行ったのはここ。
7日に最初に入ったのかな。
震災直後の5月。
何か力になりたいと南三陸を初めて訪れました。
(生田)そっからず〜っと南三陸だ週末は。
ず〜っと南三陸。
最初の半年は毎週末通いました。
まあ「ありがとうございます」みたいな事ですよね。
大変な状況に置かれている住民から感謝の手紙をもらうなど思いがけない事もありました。
そうした事がボランティアを続ける力になってきました。
ボランティア入ってても特に見返りを求めてやってるわけじゃないんだけどやっぱりこういうふうにお礼言われたりなんか手紙もらったりすると何かうれしいですよねこれね。
やってよかったなとかねやりがいが出るというか。
作業的にはきつくてもねこういうのもらうとよしまた頑張ろうと。
次も頑張ろうかなとか。
今も月に一度は南三陸を訪れている生田さん。
ボランティアを通じこれまでなら知り合わなかったような仲間が出来ました。
2〜3か月に一度神奈川から来ている23歳の大谷広夢さんもその一人です。
もう会いたくないんだけどまた来ちゃうから来たらしょうがないから。
(大谷)…とか言いつつも本心では「俺が来た時来てくれないかな」って多分きっと思ってるんですよね。
なんてずうずうしいやつなんだろうなほんとな。
僕思うんですけど相当僕の事好きなんだなって。
(笑い声)今では地元の漁師と釣りを楽しむなどボランティア活動以外の時間も生田さんの毎日に欠かせなくなっています。
そんな生田さんを家族はどう見ているのでしょうか。
前よりうるさくなったよ。
しゃべるようになった。
そんなでもないと思うんだけどな。
仕事しか楽しみないっていうかそういう人だったのに向こう行ってから普通になったっていうか。
今本当にお友達が出来て南三陸にも知り合いが出来て楽しそうにしてるからよかったですね。
まさか本当にこんなに行き続けると思わなかったよ最初入った時はね。
何回か行ったら終わるかなと思ったけどなんで続いてるのかねえ。
まあそれだけ魅力がある知れば。
そうやって関わったから町の魅力が多分分かったんだと思って。
そういうふうに…それだけ魅力ある町なんだろうけどね。
ボランティアに行きたいと思っている皆さん。
南三陸町では個人の場合ボランティアセンターの窓口を直接訪れれば大丈夫。
事前の申し込みは必要ありません。
ただボランティア保険には入っておきましょう。
ボランティアに参加する人は夏休みがある8月と震災があった3月が多く冬は少ない傾向があります。
1年目には延べ6万人余りだった参加者。
年々その数は減っています。
今年度は1年目の3/3です。
そんな中震災後から継続して参加している企業もあります。
大阪に本社がある大手機械メーカーです。
年に2回管理職10人ずつが訪れています。
よし気合い入れていこう気合い入れて。
関西では震災への関心が急激に薄れてきていると言います。
だからこそ被災地のありのままの姿を見てそれぞれ何かを感じ取ってほしいと継続して来ています。
具体的な仕事のノウハウなんかはどこでも学校でも行けば身につくんですけどそういう心の分野っていうのは自分が感じるという事がないと駄目なんでね是非ここでという事で来させて頂きました。
南三陸町では継続してやって来るボランティアの力を今後の町の活性化に生かしていきたいと考えています。
町の人口が震災前より2割減る中訪れてもらう人をどう増やしたらいいのか。
期待しているのがこれまでボランティアに来た延べ14万2,000人の人たち。
今後も町とつながりを持ち続けてほしいと考えているのです。
南三陸町のファンになってもらって南三陸町の復興を我々と一緒に見守っていって頂きたいっていうのが我々の気持ちなので。
リピーターを増やそうと工夫して情報発信しています。
毎日活動の様子を写真に撮ってブログに載せます。
そこに「また南三陸に来たいな」と思ってもらう工夫が。
地元の人の感謝の声は丁寧に伝えます。
時には方言も交え離れた場所にいても南三陸らしさを感じてもらいます。
復興がどう進んでいるのか姿を変える町の様子もこまめに載せています。
南三陸町が好きで…好きになったとかね第2のふるさとだって思ってくれてる方もいるので。
町の移り変わりも見て頂けると親しみを感じて頂けるんじゃないかなあっていう気持ちがあります。
団体で来るボランティアを中心に講演会を開いています。
復興がどう進んでいるか今後どんな町を目指しているのか説明しています。
人口減ですから当然交付税も下がるという。
基本町の財政はひっ迫していくという事なのでですからそういった意味でも観光か将来はシフトしていかないといけないと思います。
これ全部都道府県になってる?ボランティアに感謝の気持ちを表す事も欠かしません。
毎年その一年間に来てくれた人たちに年賀状を出しています。
今年の正月はおよそ1000組。
(猪又)たまたまのご縁をきちっとつなげるという事があるとやっぱりリピーターとして何回も来てもらえるし。
外部からの支援の方々をこれからもずっと継続的に南三陸のファンクラブになってほしいなと。
ボランティアの支援を受ける漁師たちも町に継続的に足を運んでもらうためさまざまな工夫をするようになりました。
あそこで今説明するんで。
はい。
町の特産品の「かき」についてより深く知ってもらおうと心掛けています。
こうやってたたいたらここ壊れちゃう。
これも駄目。
持って。
はい。
こういう感じで。
こういうふうな感じで。
店で買うと安いもんばっかり選ぶじゃないですか。
でもやってるとやっぱり手間がかかると値段もそれなりなんだって分かるんで。
では皆さ〜ん集まって下さ〜い。
作業のあとはお楽しみの時間。
さっき取ってもらったムール貝と赤皿貝。
酒蒸しにしましたので。
かきの殻についている貝はふだんその多くを捨てています。
しかしボランティアに好評だったため毎回食べてもらうようにしました。
あっおいしい。
めっちゃおいしいね。
こうしたおもてなしで今後観光客を呼び込む事につなげようとしています。
漁業体験をしたいっていうふうに来る人もいるじゃないですか。
そういった形でボランティア活動を通してそういう体験をするというのも一つの手かなというふうにも思ってますので。
南三陸に来たい人はですねどんどん来て頂ければ漁業体験できますよという事にもなるかなっていう。
南三陸がすっかり好きになりボランティアのニーズが将来なくなったあとも来続けたいという人がいます。
(笑い声)東京からひとつきに少なくとも1回来ています。
(スタッフ)ふだんも使うんですか?地元の漁師ともすっかり仲良くなりました。
(工藤)「のみこべ」って分かんねえ?もう何年も来てるのにまだその言葉知らなかった?初めて聞きましたよ。
何ですか?ちょうどいい温度だよ。
東京のアパレル会社で商品開発に携わっている柳田さん。
都会とは全く違う南三陸での時間が掛けがえのないものになりました。
フェイスブックにはおいしいメカブの写真を載せそれを友達にPR。
町の特産品を使った料理も楽しんでいます。
コメントを寄せてくれた人には南三陸行きを勧めています。
地元の方もそうですしおいしいものにも出会えたそういう場所ですよね南三陸は。
ご飯を食べに来たよとか人に会いに行ったりとかはこれからも続けていきたいですね。
家族からボランティアを始めて変わったと言われている…仲間と出かける行きつけの店が出来ました。
(高橋)はい真ダコです。
(生田)タコ?今年何かタコあんまり取れなかったって?あんまりね。
タコとアワビ駄目でした。
そうアワビも駄目だったらしい。
全然駄目でした。
地元の人も今手に入んないとか言ってアワビ。
タコも。
これ真ダコやね?
(高橋)そうです真ダコです。
廣美さんめっちゃうめえ。
あっまだ食ってなかった。
(笑い声)ありがとうございます。
(生田)娘さんの旦那さんが釣り船やられててね。
その釣り船にみんなでボランティアで釣り船乗って釣り船も震災後ですよねやったのね。
(高橋)そうですね。
震災きっかけに釣り船始めてそれで釣ったやつをここに持ってくるとさばいてくれて食べさせてくれるっていうかね。
ここまできたら他人事と思えないもんね。
こんだけ関わったから今更手引けないし。
生田さんはボランティア同士で自主的に南三陸の物産展を企画した事もあります。
これからも自分なりにできる方法で南三陸を元気にしていければと考えています。
例えばこういうお店に来て話できるじゃないですか。
これは何回も来てるからそうなるわけであって。
来てない人は知らないから。
そういう人に伝えるっちゅうか。
来てそういう人がこうなんだよと教えてあげるわな。
ここにおいしいものあるとこだよと教えてあげるとまた違うし。
それが町のためにもなると思う。
それもただ言われた活動するだけじゃなくてそれ以外も町のために多分なると思うから。
来る事で支援つながっていくから。
私が今回ボランティアに参加して気付いた事がありました。
支援する側される側の関係を超えて一緒にいる時間を楽しんでいるんです。
女性を包み込むように優しい手でやればいいんだからって。
ああ包み…包み込む。
そうそうそう。
どういう会話だ。
いや勉強になります。
そうなんですか?冗談で言っているようですが実際にここで知り合い結婚した人が2組いるそうです。
ああきれい広がったうわ〜。
えっ広がるんだ大きくなった。
もう海の香り。
いやうまいの。
南三陸での時間を心から楽しんでいるリピーター。
その姿が強く印象に残った今回の取材でした。
南三陸のワカメをこうして触れて生で見て体験してそしていろんな話をしてそうするとほんとにもう一回来るっていう事を感じながらボランティアの皆さんはその場所を離れていくんだなっていうのがほんとに深く実感できました。
いや「必ず来いよ」って言われたらそりゃ来ないとねいけないですよね。
ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
2015/03/14(土) 09:30〜09:55
NHK総合1・神戸
宮城!やっぺぇTV「ボランティアは町のサポーター〜南三陸町〜」[字]
南三陸町には都会からボランティアのリピーターがやってきている。町の人々との交流が深まるうちに南三陸の「サポーター」になって通い続けているのだ。その姿を伝える。
詳細情報
番組内容
宮城県南三陸町には震災から4年近くたつ今も都会からボランティアがやってきている。多くがリピーターで、定期的に通い続ける中で復興への強い思いを抱くようになり、町の人々との交流が深まるうちに南三陸の「サポーター」になって通い続けているのだ。震災後、人口が大幅に減っている南三陸にとって、交流人口を増やすことは活性化のために欠かせないが、ボランティアたちがその役割を担い始めている。その姿を伝える。
出演者
【キャスター】塚原泰介
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ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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