明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災 第39回「福島県郡山市」 2015.03.15


(鳥の鳴き声)あの日未曽有の災害に襲われた人々と町の証言記録。
第39回は福島県郡山市。
郡山市は南東北の物流の要です。
東北新幹線東北本線など鉄道に加え東北自動車道や磐越自動車道などが交差して多くの人と物が行き交います。
2011年3月11日郡山市は震度6弱の地震に襲われました。
この地震で道路や鉄道が寸断され物流がストップ。
すぐに深刻なガソリン不足が起こりました。
通勤や買い物など車なしでは生活しにくい地方都市。
そこに原発事故が追い打ちをかけガソリンを手に入れようとする人々が長蛇の列を作りました。
東北のガソリン不足に対応するため国は関東から郡山に石油を運ぶ臨時石油列車を計画します。
しかしこの計画にはいくつもの難題がありました。
使えるルートは勾配がきつくカーブの多い難所が続きます。
重い石油を大量輸送するのは困難です。
しかも使える機関車は旧式の大型ディーゼルしかありません。
運転するのはこの機関車に乗るのが十数年ぶりという運転士や経験のない若手。
ようやく出発した一番列車。
しかし思わぬトラブルが待っていました。
(ブザー)数々の難題を乗り越え郡山にガソリンを届けた鉄道マンたちの証言です。
南東北の物流を担う…毎日食料品や工業製品石油など500tの貨物が届きます。
貨物列車の運転管理をしているのが郡山総合鉄道部です。
当時運転課長だった椎根幸一さん。
あの日はダイヤ改正の前日で準備に追われていました。
地震は郡山と東京を結ぶ物流の大動脈東北本線の線路を寸断。
もう一つの動脈東北自動車道も通行不能。
東北にガソリンを運ぶ事ができなくなりました。
一方東北一帯のガソリン供給を荷っていた仙台製油所は地震のあと火災に見舞われ機能を停止。
更に津波で多くのタンク車やタンクローリーが被災しガソリンの輸送自体も難しくなりました。
こうした事が重なって東北全域で深刻なガソリン不足となったのです。
郡山駅から近いガソリンスタンドで販売員をしている佐藤拓也さん。
当時朝から100台近くの車が並んでいました。
ガソリンが売り切れ店を閉めようとしたところ数人の客に詰め寄られたと言います。
ガソリン不足が命の危機につながる事態も起きていました。
透析を行うクリニックです。
透析とは腎臓に疾患を抱えた人が血液の中にたまった老廃物を4時間以上かけて除去する治療です。
最低でも週3日は通わないと体に不調を来しその状態が続けば命も危うくなります。
ガソリン不足に悩む患者の切実な訴えを聞きました。
被災地の深刻なガソリン不足に対し鉄道を利用して関東から郡山に石油を輸送する計画が立てられました。
物流の要である郡山にガソリンを届ければ福島県を中心とする南東北一帯に行き渡ります。
しかし東北本線は被災していて使えません。
そこで横浜の製油所からまず新潟まで運びます。
更に磐越西線を利用して郡山に届けるというおよそ570kmの道のりです。
会津若松から郡山までは郡山の運転士が担当します。
しかし磐越西線は旅客用の路線でふだん貨物列車は走っていません。
特に会津若松から郡山の間は急な坂道が続き重い貨物列車が走るのは大変です。
更に磐越西線にはもう一つ問題がありました。
電化されていない区間があるのです。
力の強い電気機関車は使えません。
そこで旧式の大型ディーゼル機関車DD51を2台つなげて使う事になりました。
その運転には熟練した技術が必要です。
郡山総合鉄道部では運転士選びが始まりました。
条件はディーゼル機関車の免許と磐越西線を走った経験がある事です。
最初に白羽の矢が立ったのは遠藤文重運転士。
2004年の新潟県中越地震の際磐越西線で臨時貨物列車を運転した経験があります。
もう一人声がかかったのは定年まであと1年のべテランです。
長年ディーゼル機関車を運転してきましたが磐越西線は18年ぶりです。
それでも渡邉さんが引き受けたのには理由がありました。
ある記事を目にしたからです。
車で夜明かしした人がガソリンを使わずに車内を暖めようとストーブを使い一酸化炭素中毒で亡くなったというのです。
経験のない運転士も選ばれました。
磐越西線の沿線で育ち毎日通学に使っていたためコースを熟知していました。
地震から4日後自宅で待機していた中村さんに上司から打診がありすぐに引き受けます。
ところがその日のうちに上司から再び電話がかかってきました。
3月21日運転士たちは愛知県に向かいました。
ディーゼル機関車DD51の訓練のためです。
行き先は…DD51機関車を実際に運転し訓練する事ができる機関区でした。
施設にはおよそ700mの試運転線があり運転士たちは実際に機関車に乗って訓練します。
普通なら1か月近くかかる訓練を4日間でマスターするという厳しい日程が組まれていました。
今回最も大変なのは大型機関車を2台つなげて運転する事です。
臨時石油列車ではタンク車10両600tを引っ張るため馬力が必要なのです。
DD51が初めての中村さんには特別講習が用意されていました。
当時運転士たちの指導にあたった…中村さんが苦労したのがブレーキコックの設定です。
2台の機関車をつなげて一人で操作するため事前の設定が複雑なのです。
この設定を一つ間違えるとブレーキがきかなくなったり突然非常ブレーキがかかったりして大事故につながります。
夜になっても中村さんの訓練は終わりません。
宿舎の部屋で遅くまで机に向かっていました。
実は中村さんは稲沢へ訓練に行くにあたって不安に感じていた事がありました。
それは家族の事。
原発事故が起きている福島県に家族を残してくる事でした。
当時長男の優佑くんは次々と起こる新たな事態に強い不安を感じていました。
東京電力福島第一原発では3月12日の1号機建屋の爆発以後次々と爆発が発生。
更に燃料プールの水が減り使用済み核燃料がむき出しになって放射性物質が飛び散る危険性が高まっていました。
懸命の冷却作業が続いていましたが何が起きるのか全く予測できない状態が続いていたのです。
この切迫した時期に家族を置いていけない。
躊躇する中村さんの背中を押したのは妻みえさんのひと言でした。
最年長の渡邉さんも家族の負担を気遣いながら稲沢で訓練を続けていました。
渡邉さんが気にしていたのはスーパーに勤める妻の事。
食料が入荷せずいらだつ客に毎日「すみません」と頭を下げ続けていました。
つらい時にそばにいられない申し訳なさがありました。
そこで仙台に住んでいた娘を自宅に呼び戻したのです。
運転士たちが訓練している間もガソリン不足は続いていました。
車を使う事を諦めていた人もいます。
臨時石油列車を走らせるため鉄道マンたちはそれぞれの現場で準備を進めていました。
磐越西線の線路の補修を担当する保線技術センターです。
線路の管理を担当している二瓶信一さん。
東北本線の復旧にあたっていたところ臨時石油列車の運行に向けて磐越西線を補修するように命じられました。
磐越西線では地震で線路にゆがみが出たり路盤が崩れ枕木が浮くなど被害が出ていました。
保線の工事はミリ単位で行われます。
左右のレールの高さが均等であるか幅が一定かなど細かく測りながらゆがみを直していく手間のかかる作業です。
当時現場で指揮を執っていた草野雅光さん。
4日間で仕上げると聞いて驚きました。
もともと磐越西線の補修は10人で行っていました。
そこに東北本線の復旧にあたっていた人員を回し更に福島から応援に来てもらいふだんの7倍の人数総勢70人で作業を進めました。
輸送にあたるDD51も出発地の新潟に集結。
もともと数が少ないため北九州の門司大阪の吹田など全国各地の機関区から一台一台集められました。
中には長い事使われず車庫に入っていた車体もありました。
集まった機関車は全部で6台。
故障を考えるとぎりぎりの数でした。
3月25日。
出発前日。
臨時石油列車の運転士たちは郡山に戻ってきました。
渡邉さんは今回の石油輸送の成功は会津若松から郡山へ向かう急な坂道を越えられるかどうかにかかっていると考えていました。
初日の一番列車を担当する事になった遠藤運転士。
かつて急な坂を登れず列車が止まってしまった事がありました。
列車が止まったのは会津若松から3つ目の駅磐梯町駅から翁島駅の間の区間です。
10km走る間に135m上がる磐越西線で最も急な上り坂です。
いよいよ出発の時。
新潟から来た機関車が午前4時44分に会津若松駅に入ってきました。
天候は前日の晴れとは打って変わって雪。
午前5時8分列車が出発しました。
雪はやみません。
標高が高くなるに従い雪は激しさを増していきます。
磐梯町駅を過ぎ最も勾配がきつい辺りにさしかかりました。
(ブザー)突然のブザー。
「空転」です。
車輪がスリップし空回りを始めました。
遠藤さんは何度も砂をまいてスリップを食い止めようとします。
しかし列車は徐々にスピードが落ちついに止まってしまいました。
その時の映像が残っています。
DD51が動かなくなった場所は過去に遠藤さんの列車が止まってしまったのと同じ場所でした。
地震から2週間列車の運行が止まっていたためレールに「さび」が浮いていました。
その上に雪が積もり極めて滑りやすくなっていたのです。
諦めた遠藤さんは無線で救援を呼ぶ事にしました。
救援を呼んでから機関車の準備や人員の手配をしたら6時間は待つ事になります。
ところが2時間後救援がやって来ました。
小型のディーゼル機関車が駆けつけてきたのです。
救援の機関車を出したのは会津若松の運輸区でした。
雪深い区間をよく知っている会津の鉄道マンたちは最悪の事態に備えて必要な人員を配置しあらゆる手段がとれるよう1週間前から対策を講じていました。
当時輸送担当だった…そこで準備されたのがこの小さなディーゼル機関車です。
列車が止まった時はこの機関車で後ろから押す事を計画していました。
ふだんは使われていないこの車体を車庫から引き出しいつでも出発できるよう整備を済ませていました。
そこにDD51から救援の依頼が来たのです。
救援機に乗り込んだのは当時副区長だった酒井正人さん。
起こりうる事態をいろいろと考えていました。
酒井さんらを乗せた救援機は遠藤さんのDD51が停車している地点へ向かいました。
停止から2時間。
救援作業が始まった瞬間の映像です。
午前8時9分臨時石油列車は動きだしました。
一番列車は3時間遅れで郡山に到着しました。
(男性)レギュラー色よし。
異物なし。
一回の臨時石油列車で運ばれるガソリンはタンクローリーおよそ30台分。
東北本線が復旧するまでの22日間でタンクローリーおよそ1,000台分の石油が届けられました。
走る臨時石油列車を目撃した人がいます。
ガソリンが手に入らず放射能におびえながら歩いて買い物に出ていた高橋曜子さん。
高橋さんは臨時石油列車の写真をカメラに収めていました。
ガソリン不足で透析の回数を減らしてほしいと患者に言われたクリニック。
ガソリンが来た事で患者も安心して定期的に通えるようになりました。
鈴木医師は臨時石油列車が運んだのはガソリンだけではなかったと言います。
渡邉運転士は臨時列車の運行も中盤に入った頃忘れられない経験をしたと言います。
大型ディーゼル機関車を初めて経験した中村運転士。
3月28日から16回にわたって石油を運びました。
震災と原発事故の中で福島県にガソリンを届けた人々。
物流は命と暮らしを支える生命線。
今日も郡山の鉄道マンたちは運び続けます。
燃料を運ぶために懸命の努力をした人たち。
震災当時は全国の皆さんのそうした思いと努力で命が救われたと思われた方も多かったのではないでしょうか。
さて今聞こえています震災復興支援ソング「花は咲く」。
多くの方々に歌って頂いていますがこの曲の作曲編曲を担当している菅野よう子さんにお話を伺いました。
「花は咲く」が出来たのは震災から1年後2012年の3月です。
予想以上にいろんな育ち方いろんな色の花になったりいろんな歌い方になったりいろんな表現になって広まっているのを感じます。
「花は咲く」はさまざまなバージョンが作られてきました。
こちらは氷上の演技とコラボレーションした羽生結弦さんバージョンです。
(菅野)最初は暗い静かな一輪だけの花が壊れたような形で本当に氷の上にあるような世界から…更には英語の歌詞で海外のアーティストも歌いました。
どーもくんとチャロが登場するアニメも去年作られました。
これまでの曲調にはないアップテンポなアレンジをしています。
歌うのは…菅野さんが「花は咲く」に込めた思い前向きになろうというだけではありません。
立ち直るのって一直線ではいかないと思うんですよね。
やっぱりらせんを描きながらやれてたと思った事が次の日やれないとかっていうのを繰り返しながらだんだん少しずつ上がっていくものなのでもう好きに…花が咲くまでの道のりは人によってほんとにさまざまですもんね。
では被災した地域で暮らす方々の今の思いです。
私は二本松市で和紙職人をしています。
原発事故後は人の流れや風景が変わってしまいましたがそれでも来て下さるお客様の励ましが今もとてもうれしいです。
応援して下さる皆様のためにも…二本松でトマトジュースの加工販売をしています。
震災後は作る事へのためらいや諦めはありました。
「おいしいトマトジュースがまた飲みたい」という声援に背中を押され安全を確認し作り続けています。
ここは二本松北支部の空手道場です。
原発事故後のストレスを抱えた子供たちのために心・技・体を鍛える指導をしてきました。
僕は空手を一生懸命頑張ります。
中学生で黒帯を取れるように頑張ります。
(子供たち)お〜!2015/03/15(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災 第39回「福島県郡山市」[字]

震災直後、東北地方で起こった深刻なガソリン不足を救うべく発案された新潟経由郡山行きの臨時石油列車。数々の困難を乗り越え、一番列車が郡山に着くまでを証言でつづる。

詳細情報
番組内容
震災直後、東北は激しいガソリン不足に見舞われた。そこで新潟経由で郡山に石油を運ぶ案が浮上。使うのは旧式の大型ディーゼルカー。担当機関士は定年直前のベテランや旧式機関車に経験の無い若手ら。保線担当は80箇所近い線路の修復を4日間で完了する。ようやく出発した一番列車。しかし雪の急坂で立ち往生してしまう。それを救ったのは…。郡山にガソリンを運ぼうと困難に立ち向かった鉄道マンたちの証言記録。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

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