開運!なんでも鑑定団【最強お宝大集合SP!!後編】 2015.03.15


悪い人ですね。
そんなことは…。
おもしろいやりとりしてますね全国で。
なんとも味のある絵ですね。
お伺いしたのは岡山県勝田郡のこちらのご自宅。
ごめんください
あっよう来んさったな。
さっさと行ってしまいました。
とりあえずついていきましょう
うわぁ所狭しと骨董が。
これはいったい?
20代の頃から全国各地を巡り集めてきたそうです。
とはいえ骨董店で買ったわけではなく…
というわけで今回のお宝も物々交換で手に入れたもの。
それはなんと…
桃山時代に誕生した幻の焼物です。
大昔に一度訪ねたことがある方から連絡があり…
と言われ…
その焼物がずっと前から欲しかったので飛んでいきました。
待ち合わせ場所はなんと車の中でそれぞれのお宝を見せ合うことにしたそうです。
事情を知らない人が見たらいかがわしい取り引きと勘違いし思わず警察に通報してしまいそう。
でそのお宝を確認したところ…
以来趣味の茶道で用い楽しんできたのですがいずれは双子の孫も茶道をたしなむ人間になってほしいと願っているためこのお宝をあげると言ったところ…
と言われがっかり
このままだといつか捨てられるんじゃないかと心配でなりません。
よいものだと信じているんですけど孫に大事なものだとわかってもらいたいと思います。
どうか鑑定のほど…。
(3人)よろしくお願いします。
依頼人の登場です。
岡山県からお越しのどうぞこちらのほうへ。
どうぞお願いします。
集めましたねしかし。
いえいえ。
あの取り引きの方法変えてくださいね。
あれ通報されますよ。
拝見しましょうこちらです。
元の持ち主の方からはなんか聞いてらっしゃいますか?いえあんまり…勘だけです。
やっぱり私は私で自信があるし。
いやこの番組出た人全員そうですよ。
それはわかりますけど。
特にどこに惹かれたんです?上から見て吸い込まれそうな気がして。
そこでもうこれはすごいもんやと。
交換した掛軸はどうやって手に入れたんですか?20代頃旅してたときに山形のバス停でおばあさんに道を聞いたんですね。
ほんならおばあさんがお茶飲んでいきなさい言うて家入ってほんなら蔵にええもんがあるな思うて3日通いました。
そこからおばあさんの家に3日通って…怪しい人やな。
そんなことはないですよ。
やっと口説いて渡辺崋山とそれから谷文晁の掛軸…。
超有名人ばかり。
そのときたまたま50万持っとったから。
で手に入れた?はい。
ほんでねおばあさんの前はほんとの欲しいのはぽんっとぶち投げるような格好で。
これはそんなに価値ないんやこの人にとってはと思わせて。
そう。
悪い人ですね。
そんなことはない。
おもしろいやり取りしてますね全国で。
骨董仲間のなかでは有名人ちゃいます?いやいやそんなことはない。
来たあのくくったメガネみたいな。
そんなことない!家族には骨董探しに行くんやって言ってるんですか?いやもう黙って行く。
私の娘が生まれたときに行かなんだですよ1週間。
行っとって旅。
娘生まれたとき行ってないんですか?1週間目に行ったらひどい怒られて。
当たり前じゃないですか!昔話の登場人物でいったら絶対偽物ですよこれ。
長きにわたり中国の模倣に終始していた日本の陶工が安土桃山時代純白の白磁に憧れ試行錯誤の末ようやく作り上げた日本初の白い焼物それが志野焼である。
志野は長らく瀬戸で焼かれたと考えられていたが昭和5年荒川豊蔵が岐阜の大萱古窯跡で志野の陶片を発見。
これによりこの独特の白は美濃の土に長石釉をかけなければ生まれないことが判明したのであった。
その姿は大ぶりで豪快そのもの。
ろくろで成形するがほんのわずか歪んでいる。
これは侘茶の基本精神すなわち不完全なものの中に美を見いだすという世界観を受けてのことであった
初期の作は絵や彫文様がなく無地志野と呼ばれる。
硬く澄んだ中国の白磁と比べるとやや素朴だが厚くかけられた釉薬はやわらかな質感を生みまるで降り積もったばかりの淡雪のごとくである。
しかし白い焼物を生み出した最大の功績は初めて焼物に絵付けができるようになったことであろう。
鉄絵の具で下絵を描きその上から長石釉をかけるものでこれを絵志野という。
その筆運びは奔放で変化に富み釉薬のムラによりところどころかすれて見えるがそれがかえって水墨画のごとき深い味わいを生んでいる。
更には表面を鬼板と呼ばれる鉄分の多い土で化粧したのちへらでかき落としその上に長石釉をかけ文様を浮かび上がらせる鼠志野や白い土に赤い土を練りあわせてろくろびきをし偶然生まれる色の対比を楽しむ練込志野などが誕生するとその斬新な美しさはたちまち名だたる茶人たちを魅了したのであった。
しかし江戸時代に入り織部焼が登場すると人々の好みが変わり志野はわずか20年ほどで姿を消してしまう。
そのため現存するものは極めて少ない。
改めて依頼品を見てみよう。
志野茶碗である。
胴には奔放な筆致で日本三景の一つ松島が描かれておりどっぷりと厚くかけられた長石釉がやわらかな質感を生み出している
箱には…
とある。
この南部伯爵家とは旧盛岡藩主南部家のことで…
詳しく調べたところ南部家第43代当主利淳の妻巖子は玉枝の開いた私塾の門下生で絵の指導も受けていたことが判明した
評価額ですけども。
500万。
500万!さぁまいりましょうオープンザプライス!さぁどうだ!?え〜!?5,000万?ウソ〜!?ウソやん。
桃山時代に作られた志野のお茶碗間違いございませんね。
腰高の茶碗でね極端な勾配。
一気にすぼんでおりますね。
極めて珍しい形なんですね。
口作りは山道状のわずかの高低を与えて穏やかにしてある。
厚くかけられた長石釉がね実によくとけてる。
ですから下に描かれた松島の文様がほのかに浮かんでいる。
高台の中に片仮名の「オ」という字がへらで刻まれている。
この窯印が刻まれてる茶碗はね東京国立博物館に所蔵されている銘が振袖という茶碗にあるのみなんです。
これは岐阜県可児市の大萱にある志野の古窯址群で作られたものの一つの証明になっておりますね。
この箱もまたいいんです。
南部伯爵家は利久っていう方がね茶の湯に精進をして著名なんですよ。
おそらくこの茶碗は利久さんのときに南部家に入ったものだろうと思う。
そして跡見玉枝ね。
南部家からお礼とか記念の意味で跡見家に入ったんだろうという流れが見える。
ぜひ大切に後世に伝えていただきたいとお願いいたします。
ずっと40年骨董を求め。
ねぇ?いやほんま。
まさかの!これはちょっと思ってなかったですよね。
はいそれは思ってませんでした。
いや本当おめでとうございました。
ありがとうございました。
いやすごいな。
お待たせしました
続いてはこの方
どうもこう見えて社長やってます。
国民的アイドルグループAKB48の初期メンバー
その翌日資本金40万円でメンズアパレルブランドANTIMINSSを立ち上げました
しかも洋服のデザインだけでなく布の選定や商品チェックなどもすべて自分で行うそうです。
しかし始めの1か月は収入ゼロ。
なぜかというと…
WEBショップだったんですけど…。
しかしイベントに出店したところ
たちまち大人気に。
現在では…
で気になる年商は?
しかしつい最近…
ということはかなり儲かってそう
儲かってるじゃない。
そんなことないボチボチ…。
家とかも一括でしょ?大変なんでしょ社長さんになるには。
AKBにいるときは結構空き時間とかに本にカバーをつけて経営者が書いた本とかを読んで勉強してました。
渡されたときに自分は何も持ってないのでそのときに名刺くらい持たないとダメですよって相手から言われましたね。
お宝は…
8歳のとき母と一緒にデパートで行われた展示即売会に行った際セル画を買うとおまけでバッジがついてくるとわかり
この絵…お母さんに買ったほうがいいよってお勧めして。
10万円もしたが何度もねだるとしぶしぶ買ってくれた。
以来…
お家の玄関に飾ったりとか
実は去年結婚したミュージシャンの夫はほとんど収入がないためこのお宝をお金に換えようとしきりに勧める。
こちらが夫のアレクサンダーさん
全国ツアー。
全国ツアーね。
そう。
といきまいているが今のところまったく人気がなく
本人評価額は期待をこめて300万円。
ずっと大事にしてきたお宝を手放すのは忍びないが愛する夫のために役立てるなら母もきっと許してくれるはず。
しかしこのあと
8歳のとき母に買ってもらった思い出の品。
しかし去年結婚したミュージシャンの夫はほとんど収入がないにもかかわらず全国ツアーをしたいというのでもし高ければこの際思い切って売り払いその費用にあてたい果たして結果は!?
ジャカジャン!
う〜ん残念
3万円?マジで〜!え〜!?実際に映画で使われたものじゃまずありません。
裏のほうに1998年に5,000枚作りましたっていうのが簡単に書いてあるんですね。
こういう復刻版とか限定セル画っていうんですけどとしては枚数としては多すぎるんです。
背景がプリントなんですね。
セルのほうも機械で作られたもの。
ミッキーの映画としてはこれが最初にできたものなんです。
もしそのセル画が1枚ものの本当に映画で使われたものであるとすれば12億円以上はします。
続いてはこの方
いらっしゃい寒いっしょ?
タレントの
高校卒業後
その資金作りのためにタレント活動を始め
最初に取り組んだのは乳牛を育てチーズを販売すること。
しかしとても手間がかかるため量産できず借金は膨らむばかり。
一時は
起死回生となったのは…
熟成に時間がかかるチーズに比べ量産しやすく更に今までにない食感だったためこれは絶対流行ると確信したそうです。
その予感どおり発売と同時に空前の大ヒットを記録。
店には長蛇の列ができ
しかし正直言って最近はあまり見かけませんよね?
いやいや…。
今のお勧めは見てみましょう。
それがこちら!ポップコーンにアツアツのキャラメルをかけすごい勢いでかき混ぜています
手でやると
確かにとってもおいしそう。
で気になる現在の年商は?
とっても儲かっている
生キャラメルのときって大ブームで。
きたきた。
空港しか買えないとかいってやかましいわ!
今日はそのポップコーンを持ってきてくれた
あっあああ!!何?悔しいうまい!
お宝はこちら
え?これ何ですかこれ?農家の片隅にそっと置かれてたんですよね。
前世が見えるっていう方いるじゃないですか?いますよ。
その方に見てもらったら絶対嘘!これ見た瞬間にここにここ見てここ!このすれ具合。
この鋲。
これないんですねこういうのって。
でこの照り。
微妙なこのライン。
あぁこれね。
20年ほど前東京の骨董店でひと目ぼれし購入したもの。
値段は…
えぇ!?美木さん…。
家族の方なんかはどうだったんですかじゃあ?うちのかみさんはそうでしょ。
しかし本人評価額は自信満々の100万円!皆ただのガラクタと大笑いするが自分ではこういう古いもののよさがわかるからこそビジネスでも成功したと確信している。
果たしてどうなるのか?
これを目にした瞬間おばあさんが座っているイメージが目に浮かび迷わず買ってしまった。
値段は?
えぇ!?
果たして結果は!?
ジャカジャン!
う〜ん残念!
この微妙な感じ…。
いい椅子ですよね。
100年近くは経ってると思いますね。
鉄の鋲がこれが特徴的ですよね。
今は釘で打ってそれを隠すための飾り鋲のようなものはありますけれどもこれはしっかりした鋲で中まで通って材質はたぶんフランスでよく使われているボルドーパインこれは非常に乾燥とか紫外線に強いと言われているんですね。
年数が経つと飴色になってきて味が出てきますよね。
ソファーとかねゆったりかける椅子とは違いますけれどもひなたぼっこしながら休むのにすごく最適な椅子なんじゃないかなと。
最後はこの方
これは私がデザインしたドレスなんですよ。
すてきでしょ。
タレントの
2001年からデザイナーとしても大活躍。
当時CMキャラクターを務めていたストッキングのアドバイスを求められた際プロ顔負けの知識を披露したため驚いたメーカーからデザインを依頼されたことがきっかけでした。
その後斬新な柄のストッキングを発表するとたった1年でなんと1200万足が飛ぶように売れ空前の大ヒットを記録しました。
以来デザイナーとしてさまざまなメーカーから引っ張りだこに!中でもウェディングドレスブランド固定概念にとらわれない自由なデザインが評判となり今や業界トップといわれるまでに成長しました
素材ですとかそういったものを
ところで気になる年商は?
一番最初に作ったウェディングドレスどういう感じだったんですか?
それがこちら
メーカーさんとか周りの方には「何を考えているんだ」と「こんなのはありえない」って言われたんですけども…。
ヒョウ柄はちょっとね。
でもこれがすてきなのよって私の感性はそこにいってましたので…。
おぉ負けなかった。
うん。
それがいちばん大ヒットして売れたんです。
えぇ!?それからですよ。
「先生次回の作品はどんなのですか?」って。
お宝は12年前にとあるご夫婦からいただいたんですね。
たまたま一緒にスペインを旅行したことがきっかけでとても親しくなり帰国後自分の誕生日のお祝いとしてこの鉢をいただいた。
そのご夫婦はこれに料理を盛っていたとのことだがあまりにもきれいなので…
時々出して飾ってますけれどもさすがにこちらにお料理をのせたりはしてません。
特に気に入っているところは…
もうまずこのバタフライデザインもそうですしあと色が紫がなんとも品のある。
紫はいはい。
いや〜俺の椅子の上に置いたらちょうど合う。
本人評価額はあてずっぽうで100万円。
正直言ってどのくらいするものなのか見当もつかないがもしもあまりにも高ければ大急ぎでお返しをするつもり。
果たして結果は!?
ジャカジャンはい!
これはすごい!
名工二代目川瀬竹春の作に間違いございませんね。
外側は瑠璃の釉抜きでもって瑞果文。
いわゆる吉祥のおめでたい果物がぐるりと描いてあるんですね。
内側が白磁釉抜きでもって見込みに金彩で宝相華を描いてそして釉抜きの蝶が無数にそこから飛び立っていく。
これは夢の多いいい作品ですね。
これは昭和55年にアメリカのオハイオ州のデイトンという街で展覧会をやったときの出品作なんですよ。
おそらく生涯の名作だと思いますね。
ビジネスで大成功した芸能人のお宝鑑定大会はこれにて無事閉幕
お伺いしたのは静岡県藤枝市のこちらのご自宅。
ごめんください
はいこんにちはいらっしゃいませ。
川久保さんは長年強行犯捜査を担当した元刑事で50代の頃は警察署の署長も務めたそうです
逮捕の現場で危険なことがたびたびありました。
夭折の天才画家が遺した傑作です。
15年くらい前に安いと思うでしょ?でも私…。
絵が無造作に土間に置かれていましたしねそんなことからかえって本物じゃないかなというように思いました。
更に
同じような絵があって怪しいと思うでしょ。
その1点が私のじゃないかと思ってますよ。
元刑事の面目にかけても偽物をつかまされたというわけにはいきません。
どうか鑑定をよろしくお願いいたします。
スタジオで拝見しましょう
依頼人デカの登場です。
静岡県からお越しのさあこちらのほうへどうぞ。
やはりここは恥かくわけにはいきません。
そうですね。
さあ拝見しましょう。
おぉなんとも味のある絵ですね。
どういう方なんですかこの人は。
この人は22歳で亡くなった夭折の天才画家ですね。
え〜!このお宝見つけたときっていうのはどう思われました?その前にちょっと小説を読んでましたのでね村山槐多の。
退職した直後でちょっとお金あったもんで。
これ何なんですかね?不良のような男の人が描いてありますしね。
きれいな絵ではありませんしね。
偽物描くんでしたらもっときれいな絵を真似たほうがいいと。
でも確かにこんな偽物ってね。
同系の絵が数点あるというようなことがちょっとね。
じゃあ最初のデッサンかスケッチか…。
そうですね下絵かね。
額はこれこういう状態であったんですか?額はねこのままです。
私の知り合いの表具屋さんに聞きましたらね昭和の初期の額だと。
そこはやっぱりデカ魂で調べて。
詩人高村光太郎はその画家をこう呼んだ
村山槐多は大正時代すい星のごとく現れるもわずか22歳でこの世を去った天才画家である
父は小学校教師母は森鴎外宅の女中で槐多と命名してくれたのは誰あろう鴎外であった。
9歳のとき父から絵の具を与えられるとイメージが頭のなかに次から次へと浮かびところかまわず描きなぐるようになった。
またほどなく文学にも目覚め谷崎潤一郎永井荷風ボードレールランボーなどを読みふけった。
そして1911年中学の友人とともに自作の絵や文章を載せた回覧雑誌強盗を発行。
ここに掲載した詩は室生犀星芥川龍之介に高く評価され槐多の死後詩文集槐多の歌へるとして刊行されるとたちまち大きな反響を呼んだ。
槐多はまたたぐいまれな詩人でもあった
中学卒業後早くからその画才を見出していた12歳年上のいとこ山本鼎に勧められ画家になるべく上京。
1914年7月鼎の紹介で東京田端の小杉放庵宅に寄宿すると日本美術院の研究所に通い始めた。
庭園の少女はそのわずか3か月後第1回二科展に出品したデビュー作である。
小杉放庵の娘を描いたものだが青赤緑の原色を用いた明るい色彩と太い筆致は従来の水彩画にはまったく例がなく新鮮で無垢な息吹が感じられると絶賛された
またこのとき他に3点を出品したがそのうち1点はなんとかの横山大観が買い上げた。
尿する裸僧はデビューの翌年に描いた入魂の一作である。
裸の僧が合掌しながら托鉢する鉢に向かい小便をしている。
この僧はおそらく槐多自身の姿でありその体を包む赤い炎は激しく燃えたぎる槐多の情熱を表しているのであろう。
異色の画家として注目された槐多はその後さまざまな展覧会で受賞を重ねたが1918年突如かっ血…
それは画家仲間数名と代々木ユートピアなる共同生活を始めようやく制作に没頭できる環境が整った矢先のことであった。
迫りくる病魔と闘うなかやがて死を意識するようになったのか槐多はノートにこう書き記した
しかしその願いむなしく
そして雪の夜。
発作的に外に飛び出しやがて草むらで発見されたが…
との謎めいた言葉を残し絶命。
22年5か月の短い生涯を閉じたのであった。
改めて依頼品を見てみよう。
村山槐多のコンテ画である。
詳しく調べたところ神奈川県の横須賀美術館に依頼品とよく似た作品が収蔵されていた。
昼間からブラブラしているのらくら者を描いたもので資料には確かに同系の絵がいくつか残されているとある。
槐多の作品は現存数が少なくもし本物なら大発見だが…
評価額おいくらでしょう?700万円。
700万!そりゃいくでしょう。
いや下手したらもっとという。
まいりましょうオープンザプライス!来い!え〜!?やられた!!探しましょうこの真犯人を。
真っ赤な偽物。
人物デッサン数多く描いてます。
横須賀美術館にのらくら者っていう作品がある。
まさにそれを写した。
写したんですね。
槐多のコンテデッサンというのは紙に食い込むような筆圧というか強いです。
これはやっぱり写してますからねどうしてもそのへんの弱さ全然伝わるものがない。
一般的には油絵とこういうコンテデッサンって値段がずいぶん幅があるんですけど槐多の場合には変わらないです。
もしこのくらいの大きさでこうしたコンテの絵が出てくれば2,000万は下らないですね。
もっと高くなると思います。
今後どうしましょう?いやもうこのまま処分しちゃいます。
そらそうですよね。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
お伺いしたのは…
ごめんくださ〜い!
(2人)こんにちは。
あまり似てませんがなんと性格も全然違って私は好きな歌手も全然違って私は全然好みも違うよね。
(2人)日本を代表する有名女流画家の掛軸です。
そのお宝は3年前祖母鑛美さんが亡くなったため遺品を整理していた際発見したもの
初めて見たんですけどおばあちゃんが昔家には有名な人が描いた絵があるのよって言ってたのを思い出しました。
ひと目でこれのことだなってわかるくらいきれいな絵でした。
両親によるとそれは曾祖父が昭和20年代に大枚をはたいて買ったものらしく…
すごい期待してます。
将来受け継ぐにしても掛軸は分けれないので
(2人)鑑定よろしくお願いします。
果たしてそのお宝とは?
依頼人の登場です。
兵庫県からお越しのこんな若くて2人で出てくるの珍しいですね。
ねぇかわいい。
妹さんどっちなんですか?はい。
妹さん?化粧の感じも全然ちゃうね。
はい全然。
なぁ?あんまりせえへんタイプやね。
そうですねそんなに濃くは…。
しっかりするタイプや。
さぁそれではまず拝見しましょうか。
お宝こちらです。
うわっきれいな…すごいこれ誰の作品なんですか?
(2人)上村松園の掛軸です。
これ見たときはどう思いました?きれいだなって思いました。
きれいだなって?思ってないでしょ?思います。
思ってないでしょ?性格ちゃうから。
なんじゃこれと思ったんでしょ?いやきれいだなって。
ほんと?いろんなひいおじいちゃんの伝説は聞いてるんじゃないの?祖母が小学生のときに参観日とかあるじゃないですか?はいはい参観日。
それにアメリカの車で行ってたとは…。
すごいな。
聞きました。
敵が来たと思われるんじゃないですか?そうなんですそうなんです。
ねぇ!お宝についてはどんなこと聞いてますか?その絵にある紋が三つ扇っていう家の家紋と同じだから曾祖父が購入したと。
これ?いくらくらいで買ったとか言うてました?昭和20年代。
昭和20年代。
当時700円。
違う…。
7万円。
え?7万円?すごい!妹さんちょっと黙ってようか。
恋に身を焦がす少女。
嫉妬に狂い生き霊となった女。
幼子を抱く母。
日本を代表する女流画家
父はすでに他界しており葉茶屋を営む母に育てられた。
幼い頃から絵が得意で
女が絵を習うなどもってのほかと言われていた時代だったが母だけは…
と許してくれた
しかし翌年早くも退学し鈴木松年に師事。
その際松年から松と生家の葉茶屋を連想する園を組み合わせた松園の号を授かった。
この頃描いた自画像は口を一文字に結んでおり男に負けず生きていこうとする強い覚悟がうかがえる
15歳のとき
するとこの絵が来日中の
華々しいデビューを飾った。
その後幸野楳嶺の塾を経て竹内栖鳳に学ぶと天賦の才が一気に開花。
柔らかく繊細な四条派の画法を我がものとした。
人生の花は知人の婚礼に付き添った体験をもとに憧憬を込めて描いたもの。
おそらくこの頃松園は美に生涯を捧げる決意をかため自身の花嫁姿はもはや無縁と考えていたのであろう。
事実
その後は誰が父親か一切語らず黙々と画業に励んだ
出産の2年後に発表した
幕末横浜の遊女が外国人の客をとることを拒み自決した事件に材をとったもの。
松園が好んで描いたのは才に長けた女や激しい気性の女が苦悩や怒りにさいなまれながらもなお強く生きねばならぬと覚悟を決めたときの凛々しい姿であった。
例えば花がたみの恋人との突然の別れに身を焦がし乱心を装いつつ後を追う少女。
また源氏物語に材をとったには嫉妬に狂った六条御息所が葵上を呪い殺さんとするすさまじい情念が見事に表現されている。
しかし59歳のとき最愛の母を失うとこれを機に画風が一変。
母への追慕と賛歌を込め気高く優雅で毅然とした女をひたすら描くようになった。
太平洋戦争真っただ中の1943年に描いた晩秋は晩年の傑作である。
楚々としたしぐさで障子をはりかえる姿はどんな晴れ着を着た女よりも美しくこれを目にした者は改めて日々の暮らしのありがたさを思い知らされるのである。
松園はこう語っている
女性として初めて
その翌年74歳でこの世を去った
改めて依頼品を見てみよう。
上村松園の仕舞之図である。
仕舞とは能の略式の演じ方のひとつでその一部を面や装束をつけず地謡だけで舞うことをいう。
可憐な顔立ち凛としたまなざし扇を持つしなやかな手はいかにも松園を思わせる。
しかし松園の作は人気の高さゆえに偽物も極めて多いが…
評価額でございますけども。
(2人)200万円。
200万。
わけやすい金額言いましたね。
それじゃいきましょうオープンザプライス。
おっ!え〜!ウソだ。
600万ずつやで。
え〜!上村松園の作に間違いありません。
非常に柔らかな線描を使って中腰で仕舞を踊っている。
身のこなしの描き方っていうのは独特なんですね。
松園も実は金剛流の謡曲を余技としてまして自分が体験しているからこそ出てくるリアリティーというものが感じられますね。
家紋が同じ家紋なんでしょうね。
ということはやはり依頼されたと思うんですよ。
依頼画であるということは必ず共箱なんです。
ところが松園自身が書いたものではなくって子息である上村松篁が書かれた箱書き。
ということは最晩年の作品といえるのではないかというふうに思いますね。
非常に貴重な作品だと思います。
ひいおじいちゃんが先祖代々残していこうと思ってね。
そうですね。
頼んだものですから。
この罰当たりども。
どうする?今の田中さんの話聞いて。
やっぱり置いとこうかな。
ねえ。
どう?家にちょっとは置いときたいな。
家にちょっと…。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
また来週お会いしましょう皆さんよいお年を。
あ!来年。
(3人)よいお年を…。
ありがとうございました。
2015/03/15(日) 12:54〜14:00
テレビ大阪1
開運!なんでも鑑定団[再]【最強お宝大集合SP!!後編】[字]

高速道路のパーキングエリアで物々交換し手に入れた幻の焼物に驚きの鑑定結果が!
【出張ゲスト】田中義剛、神田うの、川崎希

詳細情報
番組内容1
【高速道路のパーキングエリアで物々交換し手に入れたお宝!】
依頼人は20代の頃から全国を旅し、各地の旧家を訪ねては物々交換を持ち掛け、名品を手に入れてきた骨董収集家。5年前、昔一度訪ねたことがある方から連絡があり、「自分が持っている焼物と渡辺華山の掛軸を交換してもらえないか」と持ちかけられた。
番組内容2
待ち合わせ場所はなんと高速道路のパーキングエリアで、車の中でお宝を見たところ想像以上に素晴らしかったため大喜び。以来、大切にしてきた。昨年、溺愛する孫に譲るといったが、全く興味を持ってくれないので良い物と証明してもらいたい。
出演者
【司会】石坂浩二、今田耕司
【進行アシスタント】吉田真由子
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
ホームページ

http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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