(田中穂積)
テレビの仕事をして30年
私は初めて自分の家族を取材しようと考えました
まずは妻の許可を取らなければ…
意味分かんないもん。
もうちょっと近づいて…。
もういいこれで。
文句しか言えないかもしれない私は最初は。
いいよ別に俺が出したやつだがね。
これが日テレで企画書出して通ってやつ。
今日初めて見さしてもらったし。
だからそこからじゃないの…。
企画のタイトルは「息子の就活取材します!」
何書いてんの?いや…。
息子の佑季は18歳
重い知的障がいのある自閉症です
この春養護学校を卒業したら息子には働いて自立への道を歩んでほしい
私は障がい者の就労活動の実情を知ってもらおうとカメラを回し始めたのです
ダメだよ立って食べたら。
座って食べる。
アウト。
ところが障がい者を待ち受ける社会のことも肝心な息子のことさえも正直知らないことばかり
そんなんじゃもう帰るよ今からほら!
18年間息子のことは全て妻任せ
そのツケが思わぬ形で回って来たのです
・盛大な拍手をお願いいたします・
20年前私は妻の悦子と結婚しました
・うれしいの?・あ〜。
その翌年息子の佑季が生まれたのです
・佑ちゃん・
息子は成長して行く中で少しずつ様子が変わって行きました
(泣き叫ぶ声)
1歳半で自閉症だと分かりその後重い知的障がいがあることを知りました
(泣き叫ぶ声)
幼い頃から佑季君のこだわりは水
何時間でも水遊びをしているといいます
養護学校の高等部を卒業したらほとんどの障がい児は事業所と呼ばれる福祉施設へ入ります
当然息子もどこかの事業所で働けるだろうとのんきに考えていました
ところが…
去年3月電話口の妻の言葉に私は耳を疑いました
(悦子さん)…とか言って。
卒業生のお母さんに話したら「えっ何だっけ…」。
みんなに言われて「そうよ」って。
「え〜!」って言われて。
事業所を決めるのは3年生になってからと聞いていました
それがまだ2年生だというのに同級生達の行く先がもう決まったというのです
これはいかん!夫婦で慌てました
今日頑張るんだよ3時半までだから。
分かった?頑張るね。
手当てて。
いよいよ私と息子の就労活動就活が始まりました
養護学校から案内のあった事業所へ私はカメラを持って付き添いです
まずは実習をさせていただきました
ここは木工製品作りが中心でおよそ30人が通っています
事業所での…
ハハ〜ハハハ…!アハ〜!座る!もういいかげんにしなさい!
初めて見た事業所での息子は全く落ち着きがありません
ただただぼうぜんです
(職員)危ない危ない走ったら危ない。
これはうろうろと動き回る多動といわれる行動
自閉症の子供に多いといわれました
電気ドリルなどの機械があるので息子が動き回ったら非常に危険です
職員1人が6人の障がい者を受け持つここではつきっきりは難しいと断られてしまいました
ありがとうございますって。
迎えに来た妻に息子の多動を伝えると…
(悦子さん)何?
(悦子さん)それで何で?
そうだったのか…
私は息子のことを何も分かっていなかった
休みの日でも自分の部屋にいることが多い私
息子のことは妻に任せっきり
息子との距離はどんどん離れて行きました
ある日妻からこんなことを言われました
寝ないからあの子が寝ないから部屋を別にしようよって言ってんのに「いいよ同じ部屋で」って言っては夜寝ないからあの子が。
自分も寝れなくていっつも怒ってたよ。
1人でモワモワして怒ってたよ毎日。
どういうふうに?はぁ?外に出て行ったと思ったら外のガードレール蹴ってみたりさ。
私はあなたのほうがおかしくなってんじゃないと思って。
子供はもう慣れたけどそっちのほうが逆に手が掛かったじゃないけど。
どう言ったらこの人は理解してくれんだろうって。
仕事が忙しかったとはいえ今となっては言葉もありません
息子の就活
次に訪ねたのは障がい者がお弁当を調理して配達する事業所です
その売り上げで自立した生活を支援しています
ビシビシとちょっと。
(職員)はい分かりました。
佑季君お父さん帰るからね。
やや!頑張るんだよ。
(佑季君)や。
頑張るんだよ。
(佑季君)やや。
今回は事業所から「お父さんがそばにいると本来の佑季君の姿を見ることができない」と言われていました
そこで別のカメラマンに撮影を頼んで私は外で待つことにしました
すると…
そこ座らないここ靴替えるとこ。
はい戻って。
やや。
ヤダここヤダ。
あれだけ落ち着きがなかった多動の息子が一転して不動に
(職員)田中君もう出ようか。
出ようか。
(佑季君)ウワッハッハ〜!
(職員)お座りしてお椅子にお座りしてハンカチピッピッてのばすのできる?
(佑季君)はい。
(職員)「はい」じゃない。
できる?できない?どっち?
(職員)さようなら!佑季君さようなら!
(佑季君)さようなら。
(職員)お〜上手じゃん。
はいお疲れさまでした。
じゃすみません失礼します。
ここも息子には向いていないそれがこの時の私の判断でした
山吹さん楽しかったはい。
ホントに?学校!学校行きたかったの?学校。
学校行ったほうがよかったか。
学校。
学校って言われてももう終わっちゃったんだよ学校。
学校。
息子は学校が大好きで皆勤賞
しかしいつまでも学校にいられるわけではありません
うふふ〜!うぅ〜!
(佑季君)い〜!うるさい佑。
行くとこないなあんた行くとこないぞもう。
(佑季君)い〜!
(悦子さん)どうしよう。
夏までに決めろとか言ってんのに。
はぁ?あぁ…。
妻がお母さん仲間から情報を仕入れて来ました
重い障がいのある人も受け入れてくれる事業所です
訪ねてみるとレクリエーションを取り入れ障がい者にとって居心地の良さそうな場所でした
ふと気が付くと息子の姿がありません
聞けば散歩に出掛けてしまったというのです
学校を休んでまでわざわざ体験実習をさせてもらっているのに…
ついに私は堪忍袋の緒が切れてしまいました
ねぇ!学校だったら実習やってるでしょ今ちゃんとしっかり!そんなんじゃもう帰るよ今からほら!
その夜散歩のことを妻に話すと…
だからね勝手にね散歩っていうところに私達がこだわり過ぎてねそれはコミュニケーションのね…だったんだと思うよ。
だからもうそれ言われたら俺はもう何も言えんだから。
そこにさ私達が勝手に散歩だよ散歩って。
でも散歩もねああいう人達にとっては長い目で見たら大事だからさ。
妻はコミュニケーションを優先する事業所に理解を示しました
でも私がこだわりたいのはあくまでも作業
このまま遊んでばかりいたら息子はどこへも行けなくなってしまう
あっうまいね。
佑ちゃんのがうまい。
直接妻に言いたいのですが…
回しました。
作業をこだわるんだったらどこか他の作業所を探したほうがいいということでした。
私はやっぱりどうなんでしょうね…。
やっぱり作業働く就労。
何かそこにやっぱりこだわってるんですね。
お部屋はこちらでよろしいでしょうか?はい。
18歳の誕生日を迎える前に障がい児は今後生活して行くための認定調査を受けます
(職員)こんにちは。
こんにちは。
佑季さん。
指何本に見えますか?マネしてもらっていいです?
(悦子さん)座って。
この判定により自治体から受けることができるサービスの内容や量が決まります
息子は区分6の判定を受けました
正直ショックでした
1人で自立して生活することは難しいということなのです
随時あれなんですか?あの体験というのは受け入れて…。
あっ夏休みは埋まって…。
なかなか受け入れてくれる事業所は見つかりません
重い知的障がいと多動
就活の理想と現実のギャップを突き付けられもはや打つ手がなくなってしまったのです
はぁ…。
ちょっとうちがわがまま人間になっちゃってんじゃないかな…って気がしちゃうの逆に佑を思うがためにね。
やっぱりそれで周りが動いてくれてるわけだからさ。
私も妻もすでに50歳を超えました
息子が年を取った時どうなるのか私はカメラを持ってある事業所を訪ねました
ここは45年前に日本で初めて出来た事業所です
家は桜本町。
あっ本町。
野並のほう。
知ってます?知ってます。
62歳になる磯部和明さんは事業所が出来た時から働いています
軽い知的障がいがあるものの日常生活や作業に支障はありません
週5日働いて…
住まいはグループホームと呼ばれる施設
これ僕の部屋なんですけど大きいでしょう。
はぁ〜。
和明さんの場合は…
それでも何とか生活できていると聞いて私は少しだけ安心しました
週末になると実家へ帰るという和明さん
待っているのは96歳の母親です
(磯部ぎんさん)ありがたいわ。
あんたはあそこがお家だでねぇ。
お母さんがおらんでもあの…あそこがお家だで。
将来のこと思うとどうですか?うんねぇまぁ…死にゃ分からへんでええわと思うけどそんでもね…。
できることなら…
障がいを持つ子供の親の共通の思いです
7か月で回った事業所は全部で8か所
秋になってもまだ行き先が決まりません
そんな時以前息子が体験実習で不動となってしまった事業所から声を掛けてもらいました
ほら…待ってるから行こう。
はいはい大丈夫頑張れ頑張れ。
(悦子さん)おはようございますお願いします。
前回と違う作業でもう一度やってみないかというのです
え〜っと今回の実習は衛生管理が厳しい所で職員の方が撮影してくれているということなのでその映像をちょっと楽しみにしていたいなと思います。
実習の後事業所から受け取った1枚のDVD
そこにあった息子の姿に私は驚きました
佑ちゃん楽しそうにやってるじゃん。
何かじっと座ってるよりいいかもね。
いや立ってるからいいって言われた。
そうでしょ多分。
事業所から与えられたのは洗い場の作業
水に強いこだわりを持つ息子にはもってこいです
生き生きと作業をする息子の姿に私は驚きました
一生懸命やってるね。
俺これ見た時さもう涙出て来そうになってホントに。
(悦子さん)こんなことまでやらせてくれるとこって他ないもんね。
こんな…ちゃんと仕事じゃん見れば。
事業所は息子の個性を見極めてくれていたのです
しかし思いも寄らぬ言葉を掛けられました
「もう行くとこないからお願いしますっていうのはそういう思いで来られるのはダメだ」って言われたのね。
うん。
「もしうちに来てもらうということになって…っていう話を進めるにしてもまぁ信頼関係のことがまずありますから」って言って。
前回の体験実習でここは息子に合わないと私が勝手に決め付けてしまったことが事業所との信頼関係を損ねていたのです
なぜもっと長い目で見てやれなかったのか…
こっちこっちこっち。
こっち。
こっちこっち…ゴミこっち。
それでも一縷の望みを託して妻はこの事業所に申し込みました
それから数日して職場の私のもとに妻からメッセージが
「ギリギリ間に合った内定もらえたよ」
8か月にわたる息子の就活がやっと終わりました
後で知ったことですがそこには母としての必死な思いがあったのです
実は悦子さん夫に内緒で事業所に手紙を出していました
「ちょっと信頼関係を失ってしまったみたいだ」…って言って落ち込んでしまって。
…と思って私はもうどうしてもお願いしたいと思うのみだったので私が動くことにしました。
それは行く所がないとかそういうことではなくって…。
よ〜く考えたら1回2回でさ何で私達はそうやって判断しちゃったんだろうって。
そんなやらせてみないことにはさ部屋に入んなかったってただそれだけであ〜この子には向いてないって…。
それがちょっと親として浅はかだったんじゃない?って。
お疲れさまでした。
息子のためと努力したつもりが私の自己満足だったのです
しかし息子と真剣に向き合った月日は障がい者の就労の現場を知るだけでなく父と子そして家族の関係を見詰め直す貴重な体験を私に残してくれました
タッチ!
焼け跡の日本に12万もの戦争孤児がいた
たった1人生き残った彼らの戦後
お前は野良犬だって。
日本人がいかに戦争孤児に冷たく扱ったか。
2015/03/16(月) 01:20〜01:50
読売テレビ1
NNNドキュメント「息子の就活取材します!報道記者の父と自閉症児」[字]
子育ては妻任せ…そんな報道記者が、重い知的障がいのある自閉症の息子の就労活動に奔走する。障がい者が働く現場から、そして息子の就活から見えたのは意外なことだった。
詳細情報
番組内容
子育ては妻に任せて、仕事に没頭。そんな報道記者がある日、重い知的障がいのある自閉症の息子の就労活動に奔走することになった。そこで目にしたのは障がい者が働くことの厳しさ。福祉施設での作業は労働と見なされないため「最低賃金」が適用されず、朝から夕方まで作業しても平均月1万数千円にしかならない。果たして息子は自立できるのか…。自閉症の息子と向き合った8か月間。そこから見えてきたものは、意外なことだった。
出演者
【ナレーター】
杉山裕子
田中穂積記者
制作
中京テレビ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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