芸術文化の都として知られる…20世紀を代表する思想が生まれ時代を切り開く人材を輩出してきました。
そしてパリには世界各地からさまざまな分野の学問を学びに留学生たちが集まってきます。
そんなパリの一角に2006年に創立された新しい学校があります。
新時代のエコノミストを養成するため国と民間企業が資金を出し合って運営している新しいタイプの高等教育機関です。
創立僅か8年で数々の名門大学と肩を並べ経済学部の国際ランキングで7位に浮上しました。
その創立に関わり初代校長を務めたのが気鋭の経済学者トマ・ピケティ教授です。
ピケティ教授は研究仲間たちと15年以上の歳月を費やし300年にわたる世界各国の税務記録を収集してきました。
これらの膨大なデータを基にピケティ教授は所得と富の格差や資本主義の法則を明らかにしようとしたのです。
「アメリカでは所得の最上位層1%が国全体の総所得の3/3を占有している」。
ピケティ教授のこのリポートが「ウォール街抗議運動」の理論的な支えとなりました。
ピケティ教授の研究の集大成「21世紀の資本」はアメリカで50万部を超えるベストセラーを記録。
今世界15か国以上で翻訳され経済学の本としては異例の反響を呼んでいます。
世界各国に招かれ多忙なピケティ教授。
その合間を縫って学生たちに講義を行っています。
富が富を生み格差が格差を生む現代の資本主義。
不平等の問題にピケティ教授が切り込みます。
経済の事はよく分からないと済ませてしまうのは安易すぎます。
自分の意見を持つべきだし経済の問題を他人任せにしてはいけないのです。
日本は国際的な視点からすると極めて興味深いケースです。
所得や富の分配の問題は日本で将来もっと深刻になるでしょう。
将来のために自分の考えを深め多少の時間を費やしてもこの講義に耳を傾けてもらう価値はあると思います。
第3回のテーマは「労働所得の不平等はなぜ起きるのか」という問題についてです。
講義の前半では教育格差を考えます。
近代以降社会の技術革新は目覚ましい進歩を遂げてきました。
技術革新が進むと働く側にもそれに対応する高い技能が必要となります。
優れた技能を持つ労働者を育成する教育が所得の格差を考える上で重要だと指摘するピケティ教授。
進む技術革新に高い技能を持つ労働者の育成は追いつくのか。
その競争について考えます。
講義の後半は一部企業の高額報酬の問題やさまざまな国の最低賃金の制度についてのレクチャーです。
「CEO」最高経営責任者が決める高額報酬。
その一方で低迷を続ける労働者の賃金。
技能と賃金の格差について考えていきます。
今日は「教育と技術革新との追いかけっこの理論」を取り上げていこう。
「教育」とは言いかえれば「技能の供給」でありどれだけの人がどの程度の教育を受けて新たな労働市場に参入するかという事だ。
社会の技術革新はそれに応じて必要となる技能の需要に変化をもたらす。
技術の進歩が早いとコンピューターのエンジニアや医師など高度な技能を持つ労働者への需要が高まる。
基本的な理論は極めて単純なものだ。
まず技能の高い労働者と技能の低い労働者の2つの労働者のタイプを想定してみよう。
現実には2つ以上の無数の労働のタイプがあるがここでは2つの労働のモデルで基本的なイメージを捉えていこう。
賃金の不平等の原因は2つの労働のタイプの技能の差にありそれは教育への投資に左右されている。
このモデルを「教育と技術革新の追いかけっこの理論」と私たちは呼んでいる。
つまり技術革新による高い技能の需要の変化に教育が追いつけるかどうかその速さが問題だ。
例えばコンピューターや医療の分野で高い技能の需要が増えた場合そうしたエンジニアや医師をどれだけ供給できるかといった事だ。
高い技能の労働者例えばコンピューターのエンジニアの供給がその需要に追いつけば高技能労働者の価値は低下して不平等は縮小する。
逆に高い技能の供給が需要の増加に追いつかないと不平等が拡大する事になる。
教育や技能だけで所得不平等の全てが説明できるわけではない。
賃金について考える上では技能を高める事だけでなく賃金に関わる制度も重要だ。
しかしこの「教育と技術革新の追いかけっこの理論」はかなりの部分を説明できる有力な仮説だと言える。
詳しい事はハーバード大学のゴーディンとカッツの「教育と技術の追いかけっこ理論」という本に興味深いデータが収められている。
ゴーディンはハーバード大学の労働経済学および歴史学の優れた研究者でカッツはクリントン政権時代労働省のチーフ・エコノミストだった。
特に彼らの研究で興味深いのは20世紀を通じて労働者の技能の差がどのように変化しそれがどう賃金の格差と結び付いたかを10年ごとに区切って比較した点だ。
彼らは技能の高い労働者の増加率を大学教育修了者がどれだけ増えたかで計っている。
アメリカの場合学部3年まで修了した学生を「大学教育修了者」と見なしている。
世代ごとの大学教育修了者の比率は戦後ずっと増え続け1950年代から70年代は増加率がとても高い。
しかし80年代以降技能労働者の増加率は停滞しむしろ落ちてきている。
特に所得の低い層において大学進学者の停滞傾向が明らかで下位所得層50%の両親を持つ子供の大学進学率はこの30年間増えていない。
逆に上位所得層ではほぼ全ての子供が大学に進学している状況だ。
これはとても衝撃的なリポートだね。
つまり大学教育を受ける人の数が頭打ちになりその中で所得不平等と教育格差が共に拡大しているという事だ。
ゴーディンとカッツをはじめこの現象に着目したおおかたの研究者の意見は一致している。
こうした教育の格差による「スキル・プレミアム」つまり高い技能による割増賃金の上昇が賃金格差の主な原因だという事だ。
これはあくまで部分的にのみ正しい説明にすぎないと考えている。
アメリカの所得格差はヨーロッパや日本よりもはるかに大きい。
原因の一部は教育と技能労働の格差にある。
賃金格差を是正するには教育への投資や高等教育を受ける機会均等を広げる事が重要だ。
アメリカの大学ではその高い授業料がよく話題になるよね。
ハーバード大学で学ぶ費用は年間5万ドルにもなる。
こんなに学費が高いという事は大学に進学するのは難しいという事を意味する。
北欧やドイツの大学を見ると授業料は無償だしフランスは無償ではないがほぼゼロに近い。
このように経済発展を遂げた先進国でも国ごとに違いがある。
ここで世界の代表的な大学について年間どのくらいの授業料がかかるのか見てみましょう。
例えばアメリカのハーバード大学の学部学生の場合教科書代や学生寮の費用などを含めた年間の学費はおよそ5万ドルに上ります。
高等教育を受けるために学費がゼロか5万ドルも払うかでは大違いだ。
もちろんその違いで全てが説明できるわけではないが少なくともアメリカがヨーロッパや日本に比べて賃金格差が大きい理由の一部である事に異論はないだろう。
例えばフランスでは賃金の格差が比較的少なかった。
それは技能のレベルが技術革新による需要とほぼ同じ早さで上昇した事を意味する。
100年前のフランスでは高校に行く人はほとんどいなかった。
行ったのはごく僅かな人たちで大学に行く人などごくまれだった。
今は大学院に行って博士号を取る人も大勢いる。
昔なら高校までだった人も今は大学へ行き中学校までだった人が高校へ行く。
スキルつまり技能の分布は上にシフトし技能への需要も上にシフトした。
この両方がバランスよく上昇した事が賃金の格差が拡大しなかった事の説明になる。
不平等が是正されないのは教育制度の失敗からだと言う人がいるがそれは不平等の構造が全体として上にシフトしただけだ。
みんなが同じ比率で持ち上がっているのであなたの上には相変わらず同じだけの人たちが居座っているというわけだ。
しかし少なくとも不平等の拡大を抑えたという事自体が教育の成果だとも言える。
100年前のフランスのように中学校へも行かない人たちが人口の半分であるとすると労働市場の格差は今よりはるかに大きかっただろうし下位所得層の賃金は今よりはるかに低かっただろう。
そこで無理に賃金を引き上げると企業は低い技能の労働にも高い賃金を払う事になるので採用をためらい失業率が高まったかもしれない。
政策的優先順位を間違うと格差を広げる事にもなるという事だ。
いずれにせよ「教育と技術の追いかけっこ」の理論によれば重視すべきは高い技能を習得するための教育を誰もが平等に受けられないという問題だ。
世界的な規模で行われる「PISA」という学習到達度調査をご存じかと思う。
経済協力開発機構が加盟国の教育達成レベルを比較するために行っている大規模な試験の事だ。
その結果が報道される度に数学や文章力そして問題解決能力など国同士の比較が話題になる。
フランスがドイツに負けたとかあるいは日本と韓国がいい成績の場合もあればそうでない場合もあるというので毎年各国で大騒ぎだ。
この調査報告が大変注目されるのはそれなりに理由があると思う。
教育というもののブラックボックスを開けるようでとても興味深いからだ。
教育が成果を上げているか「数学力」や「問題解決力」の成績にどのような意味があるのか。
クラスを少人数にする事と教師の能力を高める事のどちらを優先すべきか。
あるいはその両方とも行うべきか。
教育政策ごとの費用対効果はどうか。
成績のよい生徒と悪い生徒の混合クラスは効果的かどうかなどいろんな事を考える上でとても重要な試みだと思う。
この調査の結果から見るとアメリカの教育における達成度の格差は明確に強いとは言えない。
15歳の生徒の数学の成績結果を見るとむしろフランスの方が成績の格差は大きい。
15歳だけを見るとフランスは成績の上位と下位のばらつきがとても大きいのだ。
それに対してアメリカはさほどばらつきが大きくない。
という事はアメリカではその次の段階つまり高等教育へのアクセスの格差がかなり強いと思われる。
例えば…もちろん上位2%に入らない学生もいるがそれはごく僅かだ。
上位2%内といってももっと所得層の高い世帯の学生も大勢いる。
場合によっては年収40万ドルどころか100万ドル200万ドルだ。
試しに学生に豆粒を投げてみればほとんど上位2%以内に当たるというわけだ。
しかし能力主義という建て前や理念からするとこれは大きな問題だ。
能力主義をうたいながらそれがうわべだけだという事はみんな薄々感じているがそれにしても現実とのギャップが甚だしいと言わざるをえない。
パリ政治学院の学生について同じ計算をしたらどうなるか。
パリ政治学院を取り上げる事に特に意味はない。
別にこの学校に恨みがあるわけではないからね。
高等師範学校でも経営大学院でもかまわないがパリ政治学院を例にとるのは親の年収に応じて学費を支払う数少ない大学の一つでその学費算定のために提出する親の所得の記録があるからだ。
親の年収によって授業料を設定している。
親の所得が1万2,000ユーロまでなら学費は無料だ。
君たちの方が詳しいと思うけど…。
1万5千か。
なんといっても君たちは当事者だからね。
(笑い)では上位区分の所得はどれぐらい?いや両親の所得だよ。
およそ年収20万から25万ユーロが上位区分だ。
パリ政治学院の学生はみんながではないが大半が上位10%以上の所得層だ。
私がこの数字を発表したあとパリ政治学院で講義をしたら担当者がえらく怒っているので私は「これはあなた方自身が出したデータですよ。
私はただそれを使っただけです」と答えたところその担当者は「我々だって努力してる。
貧しい家庭の学生も受け入れている」と言ってきた。
だから私は「確かにそうかもしれませんが貧困な学生は多くないじゃないですか。
大半は上位10%どころか上位1%2%の家庭からですよ」と言い返したよ。
どうぞ。
ハーバードとパリ政治学院についてですがそのデータには留学生は含まれているのでしょうか?両方の大学とも留学生の比率が大きいと思うのですが彼らはとても裕福な家庭の出身である場合が多いので彼らを含めた数字だと事態はもっと深刻ではないでしょうか?そのとおり。
この数字には留学生は含まれていない。
留学生は裕福な家庭の出身である場合が多いので彼らを含めると学生は全体として上位7%から8%の所得層から来ているという事になるだろう。
しかし留学生については親の所得が必ずしも分からない。
EU域内からの学生はフランスと同じシステムで親の収入を大学に申告する。
しかしEU域外の留学生の親の収入は分からない。
大半の留学生が所得上位層なのでそれを計算に入れると上位10%より上がるだろうがハーバードの2%まではいかないだろう。
アメリカの大学については他にも面白い研究がある。
例えば出身大学への寄付について調べた興味深い研究だ。
それによると大学に寄付をするタイミングは自分の子供が大学に入学する頃だという。
これは所得上位2%の家庭の進学率の高さを説明するもう一つのメカニズムかもしれない。
だが概してこうした問題については不透明だ。
情報公開や成績重視と一般には言われるがハーバードやイエール大学あるいはカリフォルニア大学バークレー校に学生選考のデータを請求してみたとしても彼らは出したがらないだろう。
大学入学の問題を簡単に見てきた。
しかし物事を単純化して説明すると具体的な情報が失われてしまう。
フランスでもアメリカでも多くの学生が所得上位1%の家庭から来ているが上位10%以下の層から来る学生がいる事も事実だ。
しかし単純化する事には有意義な面もありフランスの大学もアメリカの大学も共通性がある事が分かる。
教育の機会均等についてはどの国も偽善的な面が多々あるという事だ。
どの国も自らの教育制度や能力主義を誇りたがるが外向きのうたい文句と現実がとてつもなくかけ離れている事がある。
特にフランスでは授業料こそないが経済的に恵まれた学生が進学するエリート大学の公的予算は一般の公立大学より高い。
3倍もの税金が注ぎ込まれる事もある。
これはまさに教育の機会均等の理念と矛盾するものだ。
「教育と技術革新の追いかけっこの理論」を基に検討してきたが基本となるのは教育の問題だ。
教育と技能における需要と供給の関係は所得格差を考える上で重要だ。
長期的に見ると技術革新に応じて必要な技能を得る教育の普及こそが不平等を是正する最も重要な要素だ。
しかし問題はそれだけではない。
不平等を考えるには他にもさまざまな重要な要素がある。
給与体系や最低賃金制度経営者の高額報酬の問題など労働市場における制度的要因と呼ばれているものだ。
高い技能を身につけるためには教育の普及が欠かせません。
しかし教育による技能のレベルの違いが更に所得の格差を生むという不平等の実態を見てきました。
講義の後半では最低賃金と高額報酬の問題について考えていきます。
最低賃金制度や経営者の高額報酬はどのように決まっていくのだろうか。
一般的には賃金は労働者の限界生産性に等しくなる。
つまり個々の労働者が生産物に付け加えた付加価値の大きさで決まると考えられてきた。
これを「限界生産力理論」と呼ぶ。
労働を高い技能と低い技能の2種類に分け技能の高い労働者はその熟練の分高い報酬を得る。
技能の低い労働者の賃金はその分低くなるという考え方だ。
しかしこれは現実離れした甘い想定だ。
なぜなら往々にして個人の生産性というものを正確に測定する事は難しいからだ。
正当な理由もなく生産性が低いと言われて賃金が削られるのは誰でも嫌だろう。
上司が秘書に対して「お前は態度悪いから明日から賃金半分だ。
とっととコーヒー持ってこい!」などと言われたらたまらない。
なぜこの事が重要なのか。
これは経済学でいう「ホールドアップ問題」に関わるからだ。
「ホールドアップ問題」とは…私の秘書の例で言うと我がパリ経済学校でよき秘書であるためにはこの学校独特の細かい事をわんさか覚えなければならない。
高等師範学校にしろ社会科学高等研究院にしろほらお家の事情というものがあるからね。
だから秘書がうちの学校についてたくさんの事を身につけたのに「明日から賃金半分」と言われたからといってそう簡単に別のところに移るわけにはいかない。
そんな事ならそもそもその秘書は身を入れて仕事を覚えようとはしないだろう。
いつそんな事を言われるのか分からないのだから技能を身につける意味がないわけだ。
技能には一般的なものもあれば個々の職場に応じた特殊なものもある。
他の職場では通用しないその職場独特の技能のニーズが高いとホールドアップ問題の可能性も高くなる。
だから雇用契約ではあらかじめ賃金だけでなく労働条件を細部まで取り交わしておく事が大切だ。
ホールドアップ問題の極端なケースは雇用主が労働者を雇う場合「買い手独占」にある状態だ。
「買い手独占」とはある商品の売り手は多数いるのに買い手はただ1社だけで買い手が好きに買いたたける状態の事だ。
労働市場の場合地域によっては人を雇う会社が1社だけという事がある。
ある地域で労働者が他の地域に簡単には移住できない状況にあるとしよう。
そうすると職場を変える事が難しくなるので一つのところで我慢して働かなければならない。
そうなると企業は賃金を抑えにかかって場合によっては賃金が競争的な水準を下回るという事が起きてしまう。
こうしたケースに対処する政策として法律によって最低賃金を引き上げるという方法がある。
1990年代の初めアメリカで最低賃金がとても低い事が問題となり大きな論争となった。
デイビッド・カードとアラン・クルーガーという2人の労働経済学者が提起した。
それまで最低賃金が引き上げられると企業は人を雇う意欲を失い失業が増えるといって最低賃金の引き上げに反対していた。
カードとクルーガーは最低賃金の引き上げはむしろ労働供給を高め雇用を拡大する可能性があると主張した。
アメリカには連邦が定める最低賃金と州が独自に定めた最低賃金の2つがある。
彼らはニュージャージー州とニューヨーク州を比較し最低賃金を引き上げたニュージャージー州で雇用が増えた事実を指摘した。
彼らが提起した解釈は最低賃金を引き上げると雇用が減るという通説とは全く異なっていた。
最低賃金が低く買い手独占の状態では最低賃金の引き上げがむしろ労働供給を高める積極的な効果があるというものだ。
最低賃金を例えば3倍にするなどの法外な引き上げやもともとの最低賃金が既に高いのに更に引き上げるというのであれば逆に失業率は増えたかもしれない。
しかしこの事によってある程度の水準の最低賃金やある程度固定的な給与体系が有効であるという事が彼らの議論によって示されたというわけだ。
少し詳しく見てみると最低賃金の歴史は国によって大きく異なる事が分かる。
この点でアメリカは大変興味深い。
アメリカは1933年に世界で初めて最低賃金を導入した国だ。
しかしその後の最低賃金の上げ幅は僅かだった。
現在でも最低賃金は僅か時給7.2ドルでフランスと比べてかなり低い。
オバマ大統領は2015年から16年までに9ドルまで引き上げたいと言っているがそのように引き上げられる可能性は低い。
フランスは1950年に最低賃金制度を導入したが現在9.5ユーロほどだ。
このグラフを見てみよう。
最低賃金の推移だが黄色がフランス青がアメリカだ。
左の縦軸はユーロ。
右の縦軸はドル。
いずれも時給だ。
これは「購買力平価」といってアメリカとフランスそれぞれの物価に換算しておよその貨幣価値が等しくなるように計算してある。
それによると長期の為替レートの換算率はおよそ1ユーロ1.2ドルだ。
為替レートは2014年11月現在1ユーロ1.3ドルから1.35ドルだが購買力平価では1.2ドルだ。
1.2ドルで計算するとフランスの9.5ユーロは11ドルになる。
アメリカが7ドルなのに対してフランスは11ドルだからフランスの最低賃金の方が圧倒的に高い事が分かる。
注意すべきはフランスでは雇用主が高い社会保障税を従業員のために支払っていて従業員も給与税という社会保障税を支払う。
それが総賃金の40%にも及ぶ。
低所得者の社会保障税は税率が軽減され20%以下だがもしも社会保障税を計算に入れたとするとアメリカの実質的な最低賃金はフランスよりもっと低くなる。
なぜならアメリカの低所得者に対する社会保障税の割合は10%ほどだからだ。
両国の最低賃金の伸びを比較して驚く事はアメリカの方がフランスを大きく上回っていた事だ。
1950年代60年代にはフランスよりもアメリカの格差が小さかった。
歴史的に見ると変化はとても大きい。
よく人々はフランスは常に平等な国でアメリカは不平等な国だと思いがちだがそれは大きな間違いだ。
どの国も常に同じ状態という事はない。
歴史的文化的経済的理由からそれぞれに変化する。
アメリカの最低賃金が長らく他の国に比べて高い水準だった事はとても印象的だ。
なぜこのように変わったのか。
一つにはフランスが法律上の義務から毎年最低賃金のインフレ調整をして物価が上昇する度に少しずつ最低賃金を引き上げていった事と関連している。
アメリカには同じような法律がない。
1980年代アメリカはレーガン政権の時代だった。
彼の経済政策いわゆる「レーガノミクス」の下で最低賃金は抑えられインフレでその実質価値はどんどん目減りした。
この図は2013年の値だがインフレの効果が最低賃金の購買力をむしばんでいる事が分かる。
現在アメリカの最低賃金の購買力はなんと1960年代の水準をも下回っている。
つまり半世紀の間最低賃金は実質的に低下し続けてきた。
60年代は失業率も今より低く最低賃金は高かった。
今は逆で失業率は高く最低賃金は低い。
この事はアメリカの不平等の拡大について一つの見方を与えてくれる。
つまり所得上位層がますます豊かになっているだけではなく所得下位層が沈み込んだという事だ。
下位層の所得が増えていれば格差があっても大きな問題ではなかったかもしれない。
アメリカでは貧しい人々がいろんな意味で落ち込んでいる。
賃金は実質的に下がり最低賃金が50年前と同水準かそれ以下であるというのは驚くべき事だ。
最低賃金で暮らしている人はその他の人々と比べてもとても貧しい。
だからといって「最低賃金を3倍にせよ」などと言っているのではない。
最低賃金を20ドルにすると失業が増えるだろう。
それは間違った解決策だ。
だがさしあたり最低賃金を9ドルから10ドルに引き上げるというのは実行可能な政策だと思う。
その程度の引き上げであれば失業が増えるという事もないだろう。
大事な事は最低賃金を上げるのと同時に所得下位50%の人々が高い技能の職業に従事し高い賃金で働けるよう教育に投資する事だ。
ただ単に最低賃金だけを上げるだけでは失業が増えるので高い技能の労働に就けるだけの技能を磨かないと駄目だ。
最低賃金の引き上げと教育や職業訓練を同時に推し進める政策が必要だと私は思う。
フランスはだいぶ様子が違っている。
最低賃金は社会保障税も考え合わせるとフランス経済の生産性から見てアメリカよりかなり高い。
だからフランスでは最低賃金を引き上げるべきか否かという問題への答えも当然ながら違ってくる。
引き上げる水準にもよるが最低賃金を引き上げるべきだとは必ずしも言えない状況にある。
ヨーロッパではいくつかの国で現在最低賃金の導入が検討されていてそれに関する議論が高まりつつある。
実は興味深い事にイギリスでは1999年まで全国的な最低賃金制度がなかった。
ドイツでは全国的制度が今でも存在せず現在メルケル政権は新たな法律を作り最低賃金制度を導入する計画を進めている。
時給8.5ユーロで2015年から16年にかけて段階的に導入されるそうだ。
いずれにしても現在は全国的な最低賃金制度がない。
北欧諸国は全国的な最低賃金制度はないが労働組合と経営者団体との交渉で決まった労働協約による給与体系を守る義務がある。
この20年間イギリスやドイツで全国的な最低賃金の導入が議論されるようになった一つの理由は70年代80年代までは組合が賃金や給与体系の交渉を行っていたのに対して今は組合が担っていた役割の一部を最低賃金制度が代替するという動きなのかもしれない。
特にサービス業では労働者の組織力が弱いため全国的な最低賃金制度の役割が求められる。
ドイツやイギリスの導入の理由もこの辺りにあるのではないだろうか。
最低賃金制度には適切な水準がどこかという問題がありそれは税制や教育システムによっても異なる事について述べてきた。
フランスのように低所得者に対する税率が高く職業訓練の制度も貧弱であれば高い最低賃金が失業をもたらす可能性は高くなる。
逆に低所得者に対する社会保障税を軽減し職業訓練制度を改善できれば最低賃金の引き上げは容易になる。
最低賃金について何か質問は?どうぞ。
「最低賃金制度のない国」と言われましたが非公式の制度はどうでしょうか?非公式のものも含めて全くないのでしょうか?それは業種によりけりだ。
製造業などでは事実上の最低賃金制度がある国が多い。
しかしサービス業では非公式な制度すらなくドイツでも非常に低い賃金だ。
特に家内サービス労働や小売業飲食業などは低賃金だ。
全国的な最低賃金制度が出来ればあらゆる業種を網羅するようになるのでその点が違ってくるだろう。
北欧諸国では労働協約制度があり事実上の最低賃金制度の機能を果たしていて一部の例外を除いてほぼ全ての労働者をカバーしている。
所得下位層の賃金について見てきたが次に所得上位層の賃金に目を向けよう。
所得上位層内部の不平等の推移は限界生産力理論や市場競争モデルでは説明がつかない。
また「教育と技術の追いかけっこの理論」でもなぜ平等だった分配が極めて上位への所得集中によって不平等になったのかまたそれがなぜ特定の国に集中して起こっているのかが理解できない。
グローバリゼーションや情報技術の普及といった要因で不平等化を説明する方法もあるがそれらの要因はアメリカやイギリスだけでなく日本やドイツスウェーデンフランスでも起きている共通の現象だ。
なぜある国では不平等が急速に強まり他の国ではそうでないのかという事の理由にならない。
アメリカを見ると教育による要因では説明できない最大の問題は所得格差のほとんどが最上位層1%やその上の0.1%への所得集中によって起きているという事だ。
彼らの中では特に教育に大きな差があるわけではないのになぜか格差が拡大している。
この事は教育や技能の需要と供給という要因では到底説明できない。
所得上位層への所得の集中を説明するには完全競争のモデルではなく不完全競争のモデルで考える必要がある。
不完全競争モデルではCEOつまり最高経営責任者の交渉力がものを言う。
もしもあなたが10万人の従業員を抱える大企業のトップだとするとあなたの限界生産力つまりあなたがその企業にもたらした価値がどれほどかを推し量るのは困難だ。
あなたは部下の支えなしには経営をやっていけなかったかもしれない。
あなたが付け加えた価値あるいは追加的生産物がどれだけかは正確には分からない。
企業の規模が大きい場合は特に限界生産力理論は通用しない。
大企業で多くの従業員が働いている状況では成果が誰のものか分からなくなるからだ。
逆に小企業や零細企業の単純な業務などでは限界生産力理論がある程度妥当する場合がある。
工場のラインにもう一人加えるかどうかハンバーガーショップでもう一人フロアの担当を増やすかといった時にはそれでどれだけ客や儲けが増えるか計測も可能だ。
人を増やした事とその効果とのおよその結び付きは分かる。
しかし大企業のCEOの限界生産性は全く不透明だ。
あるCEOの年収が100万ドルではなく1,000万ドルである時その1,000万ドルの限界生産物を彼が付け加えたからだとするのはあまりにも短絡的だ。
経済学の標準的なモデルが想定してきた限界生産性という理論は非常に短絡的だと思う。
CEOは放っておくと限界生産物つまり自分が付け加えた価値以上の報酬を引き出そうとするだろう。
特に高額所得に対する税率が低い場合にはその誘惑に駆られる傾向がある。
これはとても重要なポイントだ。
1970年代80年代以降高額所得に対する税率を最も大幅に引き下げた国はアメリカであり次にイギリスだ。
日本やドイツフランスではそれほどではなかった。
アメリカやイギリスに最上位層への所得集中が強まった理由の多くはこれらの国が最高税率を引き下げた事で説明できるだろう。
この問題について詳しくはサエズとスタンチェヴァとそして私が書いた論文がある。
この論文で私たちはまず企業重役の交渉力と彼らが重役報酬を引き上げるインセンティブを単純な理論モデルにした。
そしてアメリカヨーロッパ日本の上場企業のデータを当てはめて実証研究をやってみた。
更に経営トップの報酬とその企業の実際の収益の変化の相関関係を推計してみたのだ。
まず私たちは個々の企業の努力とは無関係に業界全体が潤うたなぼた利益を「幸運による利益」。
その企業独自の努力で得た利益を「幸運によらない利益」という2つの区分を用いた。
例えば石油業界が石油価格の上昇によって業界全体が儲かるようなケースは「幸運による利益」だ。
このような業界共通の要因で上がった収益に対しては重役報酬は「幸運によらない利益」の場合と比べてさほど上がらなくてもいいはずだ。
しかし実際は「幸運による利益」に対しても大幅な報酬の引き上げが見られた。
つまり報酬と重役の働きとは必ずしも結び付いていない。
私たちのもう一つの結論は重役報酬の極端な引き上げが起こっているのは特に高額所得に対する最高税率を引き下げた国だという事だ。
言いかえれば1,000万ドル受け取っても1970年代までのアメリカのように税率が80%だとその8割つまり800万ドルが税金で取られる事になる。
CEOも部下も報酬を引き上げてくれなくてもいいと言うようになる。
しかしレーガン政権時代に最高税率が大幅に引き下げられ状況は一変した。
企業のトップが自分の都合のいい部下を重役に選び高い報酬を決めさせるという誘惑が一気に強まった。
私たちの実証研究やデータは不十分ながらも高額報酬がその重役の能力で決まるとする限界生産力理論の説明よりもはるかに妥当な解釈を与えていると思う。
「コーポレート・ガバナンス」つまり企業経営の問題かそれとも教育の問題かという二者択一ではなくどちらの要因も相まっているところが重要だ。
所得最上位層にとっては教育の違いはさほど重要ではない。
しかし所得中位層や所得下位層にとって教育は重要なカギとなる。
最下位の貧しい人々にとっては最低賃金という制度的要因が重要になってくる。
まとめるとアメリカの賃金格差の拡大は技能の格差と労働市場の制度的要因の両方が関連していて更にコーポレート・ガバナンスの問題も大きく影響しているという事になる。
ではこのスライドを見てみよう。
ご覧のように格差はアメリカとイギリスで大きくそれにカナダが続いている。
フランスやドイツスウェーデンそして日本の推移はよく似ている。
格差は維持されているか若干拡大の兆しがあるという程度だ。
私がフランスとアメリカを対比するのはフランスがこれら同じような動きをしている国々を代表しているからだ。
それに対してアメリカはアングロサクソン諸国を代表している。
しかし同じアングロサクソンでもアメリカとイギリスは極端でカナダやオーストラリアはそれほどでもない。
アメリカでは能力主義が行き渡っているために経済制度や社会的規範がそれを許しているのだろうか。
アメリカはどの国よりも大きな格差を受け入れやすいのかもしれない。
続いて「世界所得上位データベース」で途上国の動向を見てみよう。
途上国については残念ながら先進国ほど歴史的な研究はないしデータも極めて不完全だ。
しかし長期的な変化の新しいパターンをどうにか見て取る事ができる。
特に興味深いのは格差の規模が先進国とよく似ている国があるという事だ。
インドインドネシア南アフリカなどでは上位1%が所得の15から20%を占めているがそれは先進国の中位レベルの水準と同じだ。
でもアメリカほどではない。
ここにはインド南アフリカインドネシアアルゼンチン中国コロンビアといった国々が挙げられている。
いずれの国も近年になるにしたがって先進国レベルの格差に近づきつつある。
しかしコロンビアを除いてはその格差はアメリカほどではない。
旧植民地の不平等の問題についてはさまざまな研究が現在進行中だ。
特にアフリカの旧イギリス植民地のデータ東南アジアの旧フランス領ベトナムラオスカンボジアのデータそして北アフリカや西アフリカのデータが集められている。
一つの問題は植民地時代に不平等がどの程度の水準であったかという事だ。
それは今日の比ではなかった。
ごく僅かな植民地のエリートが信じられないほどの所得と資産を所有していたという事だ。
進行中の研究ではあるが有望な研究領域である事は確かだ。
中国は特殊で公にされた数値から見ると不平等の値は信じられないほど低い。
中国では税務統計がほとんど公表されていない。
極端に不透明だ。
この点を突破する人が皆さんの中から現れる事を期待したいと思う。
中国のいくつかの大学が集めた国の資産についての新しい調査がありそれによると不平等は公式統計よりかなり高くしかも上昇しつつあるという結果が出ている。
次回資産格差の話をする時にこの事にまた触れよう。
では今日はこれまで。
2015/03/16(月) 01:10〜02:05
NHKEテレ1大阪
パリ白熱教室・選 第3回「不平等と教育格差〜なぜ所得格差は生まれるのか〜」[二][字]
ピケティ教授が語る「21世紀の資本」。第3回は労働所得の不平等はなぜ生まれるのか。スキルを身に着けるため欠かせない教育そのものの格差が不平等を生む構図を考える。
詳細情報
番組内容
ピケティ教授がひも解く「21世紀の資本」。第3回のテーマは労働所得の不平等はなぜ生まれるのか。社会の技術革新が進む中、労働者が高いスキルを身に着けるために最も基本となるのは教育だ。しかし教育制度の充実や能力主義の徹底を誇る先進国ほどその現実はかけ離れていると説くピケティ教授。教育と技術革新をめぐる競争の問題を考えながら、教育そのものの格差がさらに不平等を拡大させるという現代資本主義の構図を見ていく
出演者
【出演】パリ経済学校教授…トマ・ピケティ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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英語
サンプリングレート : 48kHz
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