2015年3月14日土曜日

3.11の責任は重い。復興よりも大事な事。

3.11の責任は、重い
復興よりも大事な事が、あるはずだ。

負の遺産だけを次の世代へ渡していいのか!

それは、
2011年3月11日に起きた。

東京電力福島第一原子力発電所の事故後、現在も廃炉向け作業進行中である。
廃炉終了は2050年ごろとされているが現実には、いつ終わるかわからない。

最終目的は、溶融した核燃料の取出して処理することである。
それだけの為に、多くの人員及び莫大な資金が投入されている。


これは、負の遺産である。
しかし、このまま負の遺産だけにしてしまっていいのか!
この「つけ」は、次の世代へ引き継がれていく。

いい訳なかろう
これに、理由なんて必要ないだろう。
『次世代へ負の遺産を残さない事』、これは、『復興』よりも優先させるべきであると思う。

こんなの、少し考えれば分かることだろう!

原子力発電による恩恵を得て、そして、未来の世代の分を使い込んで『復興」だなんて、
調子よすぎると思わんかね。



しかし、私の実家は福島で野菜は一早く出荷制限で出荷できなくなるわ、甥っ子の仕事は無くなるわで、大変だった。
でも、こんなところに住んでる母でさえも今は、何も文句なんて言っていない。

ただ、一言だけだ
「命あれば、なんだってできる。いい世の中になったよ。住むところ、食べること、着るもの、何も困る事がない」
これは、母は戦争の世代だったから言えることです。
母の思春期は戦争だった。兄が出兵し(この時の様子は、今も忘れられないと言います。)空襲があったのです。

戦争体験した母からしてみれば、衣食住が困らないなら、それで十分なことです。
それ以外に何が必要なのか?




とにかく、我々が作りだした負の遺産は、次の世代へ引き継ぎさせてはいけない。
何としてでも、負の遺産は無くさなければならない。
そう、思わないのだろうか。

母の世代は、戦争により破壊された日本と膨大な借金の負の遺産を、見事に無くしたではないか!

我々の世代は、安易な平和を享受して容易な生活をし得た恵まれた世代だと思う。




そして、今日も
原発の廃炉に向けて作業が行われている。

ロボットが開発されている。放射能除去装置が改良されている。新たな接合技術が生み出されている。
それだけではない、防護服・健康調査方法・製品の素材・労働条件や地域社会の再生についてなど、ありとあらゆるものが改良および開発されている。

これらは、すべて国が資金を出して企業が行っていること。
そして、企業が社の威信を賭けて凌ぎ合って製品の開発を行っている。




以前、ある物で『こんなだったらいいな~。』って思っていたことがあったし、もし出来たら使ったみたいと思っていた物があった。その時は、企業も利益が少ないので製品の開発には力を入れていなかったと思う。

しかし、今その製品は、改良に改良を重ねているので日々進化していることを知った。
企業が本気モードで取組だしている。


そんなの当然だと思う。
この負の遺産は、未来の世代に重くのしかかってくるのだから。

我々の世代は、次世代に対してこの原発事故の負の遺産を渡す事は明確である。
しかし、負の遺産だけ渡していい訳なかろう。


だとしたら、この負の遺産を帳消しにするだけの物を創りださなければならないだろう。
それなら、この負の遺産の中からより良いものを創り出すことだ。

この廃炉作業は、今までにない高度な技術を必要としている。
だから、今までにないより優れたものが創り出される可能性を秘めている。


これは、明らかに皮肉だ。

だとしても、これで良いと思うしここで創り出すことが、最も良いことだと思っている。
この廃炉作業で、より優れたものを創り出して欲しい。


ここで、培われた様々な技術・物やシステムは、日本の未来の次の世代に役に立つ筈だ。

いいえ、必ず次世代に役に立てなければならない責任がある。

何が何でも、負の遺産だけを次世代へ渡してはいけない。

この責任は、重い。


2015年2月26日木曜日

メキシコの漁師の話を知っていますか!

このお話を知っている人や、知らない人の為に!
また、毎日を忙しく仕事されている方へ、

 短い文ですが、読んで見て下さい。



メキシコの海岸近くの小さな漁師の村へ、アメリカのエリートビジネスマンが旅行でやって来た。

小さな小舟に、粋の良い魚がいた。


アメリカ人旅行者 「素晴らし魚だね。どのくらいの時間を漁してるんだい。」

漁師 「気が向いたとき気が向く時間だね。魚が取れたら帰ってくるよ」

アメリカ人旅行者 「もっと漁をしたら、もっと魚が捕れるだろう。惜しいな。」

漁師 「これで、自分と家族が食べて生けるから十分だね」

アメリカ人旅行者 「それじゃ、時間が余って退屈だろう。余った時間で何をするの?」

漁師 陽が高くなるまでゆっくり寝てるんだ。それから、漁に行くよ。
     漁から戻ってきたら子供と遊んで女房と茶して、夜になったら友達と
     一杯やってギターを弾いて歌を歌って、これで1日の終わりだね」





アメリカ人旅行者 「ハーバードビジネススクールでMBAを取得した人間として、
     君にアドバイスをしよう。

     君は、毎日もっと長い時間を漁をしなければならない。
     余った魚は売る。そしてお金が貯まっら大きな漁船を購入する。
     そすると、漁獲高も上がり儲けも増える。その儲けでもう1隻漁船を
      増やして行く。やがて大きな漁船団にする。
     そして、自前の加工工場建てる。

   そしたら、君は経営者としてニューヨークのマンハッタンから企業の指揮を取る。
     
漁師 「そこまで行くのに、どのくらい時間が掛かるの?」

アメリカ人旅行者 「20年か25年もあれば十分だね」

漁師 「それから、どうなるの」

アメリカ人旅行者 「それからは、本当に凄いことになるよ。」
           「作った会社の株をすべて売却して、君は億万長者になるんだ。」

漁師 「それで?」

アメリカ人旅行者 
           「そしたら、引退して海岸近くの小さな村に住むんだ。
          そこでは、陽が高くなるまでゆっくり寝て、起きたら漁に出かけるんだ。

          漁から戻ってきたら子供とあそんで、女房と茶して、夜になったら友達
          と一杯やってギターを弾いて歌を歌って、これで1日を過ごすんだ。」


          「どうだい、素晴らしいだろう。」

漁師 「? 」







     

2014年11月15日土曜日

彼のようになりたいなら、彼の真似をすればいいに!

世界的にトップレベルの資産とプライベートジェット機を持っている投資家のバフェット氏に、ある人が訪ねた。

「あなたのようになるにはどうすればいいのですか」

バフェット氏
「毎日、500ページ読みなさい。~~。」
バフェット氏の一日の仕事の80%は、雑誌や新聞や書物の読書に費やすのです。

多くの人がこう思うだろう。
これなら自分にも出来そうな気がする。たくさん雑誌や書物を読んで考えることなら。』
しかし、多くの人が出来そうと思ってもしない。
もっと簡単な方法を探しているのだろうか?
別な方法を探しているのだろうか?
真似ることが嫌なのだろうか?



読書量は、大変な量だし地味な活動で飽きやすい。
そこに、バフェット氏は活動の原点があると言っている。
『俺のようになりたいなら、俺の真似をしろ』

答えは、出されている。簡単なことだ。

彼のようになりたいなら、彼の真似をすればいいに

2014年11月8日土曜日

この涙、知っていますか

この、知っていますか。

ヴァイオリンには、特に練習用のヴァイオリンにはシミが着いていると言われています。
そして、このシミは、なかなか落ちる事はないのです。
ヴァイオリンに塗られたニスをも融かすものがあるのです。
ヴァイオリニストを目指す者は、自分次に大切なものです。
しかし、このシミだけはどうする事も出来ないのです。

知っていますか。
このシミは、涙なのです。
血の涙なのです。決して『涙は心の汗だ』なんてものではないのです。



ヴァイオリニストとして桧舞台で活躍できる者は、ほんのひと握りです。
その他、大勢は諦めなければならないのです。
自分の才能のなさ、不運を嘆き、または、もう一度挑戦するために涙するのです。
練習に練習を重ねて鍛錬した者にしか、その時に流した涙の意味は分からないでしょう。

物事をやろうとして、出来なくて諦める事は決して悪い事ではないと思う。
しかし、本当にやろうとして諦めたときどんなだったでしょうか!
このヴァイオリニストのようにニスをも融かすほどのを流したのでしょうか!

この、知っていますか!
諦める前に、涙するほどに~~したか。

2014年10月30日木曜日

人生、これでいいのか

こんなことを感じたことはないか!

すべてが上手く行きそうだった。
確かに、普通にしていれば上手くいくと思われた。

こんな時、このように感じたことなないか。
「何かが足りない。せっかくの人生だ。成功だけが人生ではないのではないか。
そもそも成功とは何だ。分からない。」

一般的に成功している人を見た。
人生の表しか知らないような人だった。
それなりに風格もあり教養もある。
しかし、話に興味が湧いてこないし、その人に興味が全然わかない。

その時、私はこのように感じた。
すべては、お膳立てされた成功だし、自分の身を持って人生を切り開いた人では無いだろう。
人生の悲哀も感じることも無いだろう。
そうだとしたら、あまりにも人生が勿体無いと思った。



人生、これでいいのか。」

私は、クリスチャンでは無いが聖書は読んだ事がある。
ゴルゴダの丘の場面でイエスが十字架ではりつけされる場面だ。
そこで、手と足に杭を打たれ腹を槍で刺されるのだ。
苦痛を和らげるために用意された麻酔のアルコールを、イエスは口にしなかったのだ。

それは、こんな理由だった。
人の持つ苦しみ、苦痛、哀れを身を体験しなければ人を救えないと信じていたから、
敢えて麻酔を拒んだのだ。

これを知ってから、自分が優しくなった気がした。

人生、これでいいのか。」

2014年10月12日日曜日

私の信念(人は誰でも英雄として~~)は、こうして出来た。

私はこう思っている。
人は、誰でも英雄として生き死ねる。

世間では一般に、こう言われている。30歳過ぎたらこうだ。40歳過ぎたらこうだ。
50歳過ぎたら自分の顔に責任をもてとか、そして、私が一番いやな考えは若い時にどんな事をしたかで、
その後の人生が決まって、その自分がある。
つまり、今までの過程により人生が予測されることである。
確かにその通りかも知れない。そしてある程度の年齢になったらそれなりの人になる。
そして、その後の人生はもう決まってしまうなどを言うことである。

私は、この考えは好きになれない。
なぜなら、ある程度の年齢になったらそれなりの人で止まってしまうからである。
私は、いつでもアクテイブに行動する人が好きだ。
なぜなら、現在この瞬間が大切であり、それなりの人になっても何も行動しないなら退屈なだけである。

私は、人はいつでも英雄のように生きる事ができると信じている。

私の信念はこうである。
[人は誰でも英雄として生き死ねる]
もし、『貴方が49歳と364日までは落ちこぼれの人生だとしても49歳と365日の日に、
愛する人を救わなければならないとし、自分の人生もしくは今までの人生の全てを賭けて
行動したら貴方は英雄として生きた』ことになる。

私がこの信念に至ったのは、ある映画によるものである。
その映画は、『ジャック・サマースビー』 MovieWalkaer 作品
ジャック・マサースビーDVD

この映画は、はっきり言って秀作でもなく一般的に感動的でもなく、
そして、ジャンルはまたは思想は何かと問われたらすぐには答えがだせない。
感動的な恋愛ものでもなく、家族愛でもなくましてや冒険でもなく、はたしてなんだろう。
とにかく退屈な感じの映画かもしれない。

この映画の主役は男なのか女なのかも意見が分かれる作品であるが、
最後のクライマックスまでは男が主役と思うが、主役の妻は赤の他人で恋感情なんて何もない。
つまり、ある事を理解または感じる事ができなかったらとても退屈な映画である。

では、この映画は何を言いたいのかも最後の方になってなんとなく分かったものである。
そして、この映画のクライマックスは最後の15分くらいの場面である。
最後の死刑台の場面に全てが集約されている。



最後の絞首刑の場面である。
死刑台の上で男が不安と孤独と死への恐怖で耐えられなくてなっている。
すでに、落ち着きを失っている。
自分のした事は何だったんだ。

もし、ここで真実を証せば死刑は免れるかもしれない。
しかし、
それは、嫌だ。卑劣な自分で生き延びる事は出来無い。

最後の望みに賭けているのがわかる。
必死に妻を探しているのだ。

もし、ここで妻が来なかったら、自分のした事は全てが無意味となる。
それだけはない、ただ単に無実の罪を引き受けただけで死んで行くのである。
これでは、人間としての尊厳も何もない。ただ卑劣な自分で死んで行くだけである。

でも、妻は来た。

妻役のジュディ・フォスターが、群衆を掻き分け進みでて
「ジャック、私はここよ」と叫んだ。
絞首刑になる男が妻を見つけた。
そしてこの時、男の表情が何かをやり遂げた自信に満ちた表情になった。

ここで、この映画は「THE END」で終わりである。
見終わって、すぐには感動が無かった。
幕が下りて、少し経ってからであるが、大きな感動では無い。

しかし、私の心の中に、入り込んでいていつまでも時折、
あの死刑台の場面が浮かぶのである。


私は、この最後の場面の死刑台での男の表情にこの映画の全てがあると思っている。

この男は自分の結末の死において、自分は図りしれない偉大さな事をしたと感じたのだろう。
それは、自分は卑劣な男では無い。
自分は、【英雄として生き、英雄といて死んだ】と、至上の感激をしたことだろう。


ここで、普通に女性には、この事『英雄として生き、英雄として死ぬ』ことを分かってもらえるだろうか。
なぜなら、勝手に無実の罪を背負って死刑と引き換えに自分は『英雄として死ぬ』ことに偉大さを
感じただけの自己満足なのだから。

しかし、妻は分かったのだ。
この男が『どう生き、死ぬかを自分に問いかけた事を』
そして、この男は『卑劣な自分で生きながらえるよりは、生命を賭けてでも英雄として生きたい』事を。

私は、ここでどんなに今までの人生が怠惰であり落ちこぼれで、
どうしよもない人生だとしても、いつでも
人は、誰でも英雄として生き、英雄として死ねる』と言うことが信念になりました。







2014年9月25日木曜日

人生はロマン・浅田真央さんとラフマニノフのピアノ協奏曲 NO.2

フェイスブックでこんな言葉があった。

人生はロマン。
自分は不幸だと思う悩むのではなく、
試練を与えられた物語の主人公だと思えば、
人生をエンジョイできる。
 美和明宏

これだ、
ネットビジネスで著名な人もこの事について言っていた。
自分の物語を作ることである。
しかし、ネットビジネスにおける物語は、ほとんどが嘘であることも言っていた。
自分の真実に基づいていない人は、必ず消えていくそうだ。
必ず勝ち残る事ができる人は、自分に忠実な人だそうだ。

私にいたっては、人に語れるような物語は全然ないし、至って普通としか表現しようがない。
また、どう見ても現在の自分は決して人に誇れるものではない。
あまりにも普通に負け組と言う感じである。
つまり、物語にならないのである。

ある人がこんな事を言っていた。
何処へも行かなくても良い。大それた経験がな無くても良い。
人を惹きつける武勇伝なんて必要ない
友達が居なくても良い。

誇れるものがないなら、自分を磨けばいい。
たくさん本を読んで感性を磨けばいい。

する事は、努力する以外に何もない。

感動の動画:浅田真央さんが採用したラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番 
作曲家、ラフマニノフは再起不能と言われた時から4年間にわたり苦しみぬいて再起を果たすために最後に完成させた曲。
この曲は、ラフマニノフの人生そのものであり、
そして浅田真央さんのラスト演技にあまりにもドラマチックで感動的。