復興よりも大事な事が、あるはずだ。
負の遺産だけを次の世代へ渡していいのか!
それは、
2011年3月11日に起きた。
東京電力福島第一原子力発電所の事故後、現在も廃炉向け作業進行中である。
廃炉終了は2050年ごろとされているが現実には、いつ終わるかわからない。
最終目的は、溶融した核燃料の取出して処理することである。
それだけの為に、多くの人員及び莫大な資金が投入されている。
これは、負の遺産である。
しかし、このまま負の遺産だけにしてしまっていいのか!
この「つけ」は、次の世代へ引き継がれていく。
いい訳なかろう。
これに、理由なんて必要ないだろう。
『次世代へ負の遺産を残さない事』、これは、『復興』よりも優先させるべきであると思う。
こんなの、少し考えれば分かることだろう!
原子力発電による恩恵を得て、そして、未来の世代の分を使い込んで『復興」だなんて、
調子よすぎると思わんかね。
しかし、私の実家は福島で野菜は一早く出荷制限で出荷できなくなるわ、甥っ子の仕事は無くなるわで、大変だった。
でも、こんなところに住んでる母でさえも今は、何も文句なんて言っていない。
ただ、一言だけだ
「命あれば、なんだってできる。いい世の中になったよ。住むところ、食べること、着るもの、何も困る事がない」
これは、母は戦争の世代だったから言えることです。
母の思春期は戦争だった。兄が出兵し(この時の様子は、今も忘れられないと言います。)空襲があったのです。
戦争体験した母からしてみれば、衣食住が困らないなら、それで十分なことです。
それ以外に何が必要なのか?
とにかく、我々が作りだした負の遺産は、次の世代へ引き継ぎさせてはいけない。
何としてでも、負の遺産は無くさなければならない。
そう、思わないのだろうか。
母の世代は、戦争により破壊された日本と膨大な借金の負の遺産を、見事に無くしたではないか!
我々の世代は、安易な平和を享受して容易な生活をし得た恵まれた世代だと思う。
そして、今日も
原発の廃炉に向けて作業が行われている。
ロボットが開発されている。放射能除去装置が改良されている。新たな接合技術が生み出されている。
それだけではない、防護服・健康調査方法・製品の素材・労働条件や地域社会の再生についてなど、ありとあらゆるものが改良および開発されている。
これらは、すべて国が資金を出して企業が行っていること。
そして、企業が社の威信を賭けて凌ぎ合って製品の開発を行っている。
しかし、今その製品は、改良に改良を重ねているので日々進化していることを知った。
企業が本気モードで取組だしている。
そんなの当然だと思う。
この負の遺産は、未来の世代に重くのしかかってくるのだから。
我々の世代は、次世代に対してこの原発事故の負の遺産を渡す事は明確である。
しかし、負の遺産だけ渡していい訳なかろう。
だとしたら、この負の遺産を帳消しにするだけの物を創りださなければならないだろう。
それなら、この負の遺産の中からより良いものを創り出すことだ。
この廃炉作業は、今までにない高度な技術を必要としている。
だから、今までにないより優れたものが創り出される可能性を秘めている。
これは、明らかに皮肉だ。
だとしても、これで良いと思うしここで創り出すことが、最も良いことだと思っている。
この廃炉作業で、より優れたものを創り出して欲しい。
ここで、培われた様々な技術・物やシステムは、日本の未来の次の世代に役に立つ筈だ。
いいえ、必ず次世代に役に立てなければならない責任がある。
何が何でも、負の遺産だけを次世代へ渡してはいけない。
この責任は、重い。