ガイドブックに載らない史跡

米軍第5空軍ミサイル基地跡 沖縄県国頭郡恩納村谷茶1172番地

 国道58号線を北上、恩納村のリザン・シーパークホテル谷茶ベイを過ぎ、次の信号を右に登ると、左側に創価学会沖縄
研修道場の入り口ゲートが見えてきます。この施設の中に、かつて冷戦時代に米軍が建設したミサイル基地が改修され、
平和記念資料館として残っています。
創価学会沖縄研修道場です。
原則として部外者の立ち入りは制限されています。
ゲートからまっすぐ進むと、正面に池田会長の著書や活動
記録を展示した「沖縄池田平和記念館」があり、その右手
に「付属資料館」があります。
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この建造物がかつて米軍第5空軍第498戦術ミサイル団の
基地でした。1961年、米国議会は沖縄にメースB(中距離
核弾道ミサイル)の配備を決議。翌62年6月には、中国に
向け32基のメースBが配置されました。
「世界平和の碑」の後ろが、核ミサイルの発射口でした。
1969年、防空戦力の充実化や潜水艦による弾道ミサイル
の配備により、ミサイルは撤去されました。
しかし発射基地はそのまま放置され、1984年に創価学会
により、平和の象徴として残されることになったのです。
発射ランチャーの一部は資料館となっています。入り口から
見下ろすと内部は傾斜しており、ミサイルを上空に打ち出す
構造が分かります。
背後に回ると、傾斜地に作られた基地の構造が分かります。
厚さ1.5mのコンクリートで造られています。
配備されていたメースB核ミサイル。
ミサイル撤去後、放置されていた基地。

 

メースBのスケールモデルです。(1/32、レベル製)
広島型原爆と同規模の威力を持っていたそうです。
巡航用エンジンの下に、打ち上げ用のエンジンが付けられ
ています。
制作・画像提供たばさ