東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 国際 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【国際】

「沖縄部隊 核攻撃を」 キューバ危機で米軍誤命令 現場が回避判断

沖縄県読谷村にあったメースBの発射基地。ミサイルが8基あり、キューバ危機当時、発射可能な状態にあった(元米空軍兵のデニス・フィッツシモンズ氏提供)

写真

 冷戦下の一九六二年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが十四日、同部隊の元技師らの証言で分かった。

 キューバ危機で、核戦争寸前の事態が沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、六二年初めに米国施政下の沖縄に配備された。運用した米空軍第八七三戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。別の元米兵も取材に応じ、誤った発射命令が出たことを認めた。

 ボードン氏によると、メースBは配備以降、読谷村の発射基地で、同氏らが連日検査して二十四時間体制で発射命令に備えた。六二年十月二十八日未明、嘉手納基地ミサイル運用センターからボードン氏が担当するミサイル四基の発射命令が無線で届いた。

 しかし、四基の標的情報のうち「ソ連向けは一基だけだった」ため、「なぜ関係ない国を巻き込むのか」と疑問の声が上がった。別の標的国を同氏は明らかにしていないが、二千二百キロ超のミサイルの射程から中国とみられる。

 また米軍の五段階の「デフコン(防衛準備態勢)」が1(戦争突入)でなく2(準戦時)のままだった。不審に思った発射指揮官が、発射作業を停止させた。後に命令は誤りと分かったという。

 誤った命令が出た経緯は不明だが、二十八日(米東部時間二十七日)はキューバ上空で米軍偵察機が撃墜され、緊張が最も高まった時期で、米軍内に混乱があったとみられる。 (共同)

 <キューバ危機> ソ連は1962年、米国が打倒を目指すキューバのカストロ政権を支援しようと、中距離核ミサイルを搬入。10月16日に報告を受けたケネディ大統領は22日に事態を公表、ミサイル基地撤去を求めキューバを海上封鎖した。米国はキューバからのミサイル攻撃への報復も宣言、核戦争の緊張が高まった。秘密交渉を経て米国はキューバ不可侵と、トルコからの対ソ攻撃用のミサイル撤去を約束。ソ連は28日に基地撤去を通告し「13日間」の危機は去った。

 <沖縄の核兵器> 1972年5月に本土復帰する前の沖縄は米国の施政権下にあり、核兵器が大量に配備・貯蔵された。米公文書によると、50年代半ばに搬入が始まり、ベトナム戦争ピーク時の67年には1300発近くに上った。代表的なのが射程2200キロ超の核巡航ミサイル「メースB」で、読谷村など沖縄内4カ所の発射基地に配備、計32基のミサイルがソ連極東や中国を射程に収めた。69年の日米首脳会談で「核抜き返還」が決まり、メースBはじめ核兵器が順次撤去された。

 

この記事を印刷する

PR情報





おすすめサイト

ads by adingo