羽生結弦:もっと伝わる演技がしたい インタビュー詳報

2014年04月10日

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インタビューに答える羽生結弦=東京都新宿区で2014年4月10日、丸山博撮影

 2月のソチ冬季五輪フィギュアスケート男子で日本男子初の金メダルを獲得し、世界選手権、グランプリファイナルの五輪シーズン3冠に輝いた19歳の羽生結弦(はにゅう・ゆづる)=ANA=が10日、東京都内で毎日新聞などのインタビューに応じた。大活躍した今シーズンを振り返り、今後の目標や活動への意欲も語った。【聞き手・芳賀竜也】

 −−ソチ五輪、世界選手権、グランプリファイナルの3冠に輝いた今季の感想は。

 ◆全力でやり尽くした感じがすごくある。本当にただ単に、一つ一つの試合を一生懸命やってきただけだが、こうやって成績を取らせていただいて、本当にぜいたくだなと思う。同時に、そこから得られるものや経験、悔しさを得ることができたので、一番身にもなったシーズンだった。素晴らしいシーズンだったし、ぜいたくなシーズンだった。

 −−シーズンの中で苦しかった時は。

 ◆苦しかった時は特にない。苦しかろうが何だろうが、普通に頑張ろうと思っていたし、とにかくすべての試合で一生懸命やりたくて、いい演技をしたいという思いがあった。だからこそ、どんな試合でもそんなに苦痛ではなかった。

 −−ソチ五輪で金メダルを決めた後に語った「五輪ってすごいな」という言葉の思いは。

 ◆周りの環境が普通の試合と全然違って、なかなか普通の試合では味わえない緊張感だったり、セレモニーの仕方も全然違って、特別な感じがした。終わった後ですけどね、そう考えられたのは。終わった後、特別な試合で勝ててよかったと思っていた。

 −−3年前の東日本大震災では、地元の仙台市で自身も被災した。ソチ五輪では「金メダリストになっても、復興に直接つながらない。無力感に襲われている」と答えたが、その感情はどう解消していきたいか。

 ◆まだ解消しきれない。自分が選手でいる限り、現役を引退しない限りは、直接的に(被災地支援の)活動はほぼ不可能だと思う。シーズンオフには(全国各地の)アイスショーをいっぱい回らせていただいているが、アイスショーを回ることで何か直接的にできるかと言われたら、できていない。自分が今できることとして、恩返しの気持ちをもって、たくさんのアイスショーを回ろうと思っている。震災があった年にもたくさんのショーを回らせていただいて、お世話になったリンクもたくさんあった。だからこそ(今も各地を回ることで)そこの方々にも、ここまで頑張ってきたということを報告できればなという気持ちで回っている。

 −−ソチ五輪後には仙台に帰って金メダル獲得を報告した。各地のショーでも祝福を受けている。その時の気持ちは。

 ◆とにかく皆さんから「おめでとう」という言葉をたくさん掛けていただいた。だが自分の中では(五輪のフリーは)納得しきれなかった演技内容でもあるし、やっぱり悔しかったところもあった。なので、「おめでとう」という言葉もうれしかったが、それよりも「これからも応援していきます」という言葉が一番、僕の心の中に響いた。スケーターにとって、そしてスポーツをやっている人間にとって五輪は大きな試合かもしれないが、競技を続けていく中では五輪だけでなく何回も競技会というのがあるので、そこもしっかりと応援していただけるようなスケーターになれたらと思う。

 −−金メダリストになって自分を見失う選手もいる。そうならないためには。

 ◆特別なことは考えていない。今季は金メダルを取れたかもしれないが、新しいシーズンになってしまえば同じ試合は一つもない。同じ場所で開催して、同じ演技が全部そろって、同じリンクの上で戦う競技なんて全くない。だからこそ同じタイトル(を獲得する)かもしれないが、また同じものを取るという感覚は全くない。とにかくまた次の試合、それは新たな世界選手権であったり、新たなグランプリファイナルだったり、そういうものに向かって頑張っていきたい。

 −−プルシェンコ(注1)やヤグディン(注2)のような絶対的な王者になるのが今後の目標と言っていたが、そうなるために必要な要素は。

 ◆3月の世界選手権が終わった時点で少し気持ちは変わった。五輪で勝ったので、これからもずっと勝ち続けたいという気持ちは確かに強い。もちろん五輪チャンピオンとしてのプライドみたいなものもある。だが、それよりも今後のフィギュアスケート界がどうなっていくかがものすごく楽しみ。4回転ジャンプの種類も、(自分はトーループ、サルコウの2種類だが)もっと跳べる選手がいっぱいいるので、それを今後の競技でどう使ってくるのか。それはルールによっても変わってくるし、男子フィギュア全体のレベルや、時代が変わるとともに変わっていくかもしれない。それに置いて行かれないように自分も頑張っていきたい。そういうふうに(よりレベルが高く)なったとしても、先陣を切っていけるように、トップに食い込んでいけるようにしたい。

 −−世界選手権後に心境が変化した理由は。

 ◆世界選手権で町田樹選手(関大)とギリギリ競り合えて、ほんのちょっとの差(0.33点差)で何とか優勝することができて、エースとかチャンピオンとか、そういうものは本当に必要なのか(と考えた)。時代には必要かもしれないけど、その後のことを考えたら、エースとかチャンピオンとかそんなに必要ではなくて、これからみんなで(競い合って)「どの選手が勝ってもおかしくないよね」という時代になっていく感じがしたので、ちょっとだけ心境は変わった。絶対に優勝したいとか、絶対にずっと王者として君臨していたいとかではなくて、たくさんのライバルがいる中で、自分が強くなって、うまくなって勝てるようにしていきたいと思う。

 −−新たな4回転ジャンプへの取り組みは。

 ◆このオフから取り組むつもり。まだアイスショーが続き、練習時間も限られるので、今のところ本格的にしっかりと練習できているわけではない。試合で入れる選手がいないのであまり知られていないが、実際に4回転ループ、4回転ルッツあたりは(練習では)跳べている選手が結構いる。そういう選手たちがいることもしっかり頭の中に入れて、これから時代が変わっていくかもしれない時に、自分もそこで戦えるように。ジャンプもそうだが、表現面もしっかりと強化していかなければ。

 −−難度の高いジャンプを先に跳びたいという気持ちはあるか。

 ◆どうだろうな。難しい。跳びたい気持ちはなくはないが、だからといってそこにこだわるかと言われたら、そうではない。試合で何のジャンプを決めて記録を作りたい、ではない。たぶん誰かが跳んだら時代は絶対変わるので、その時代が変わってきた時に、自分もその時代の上に立っていられるようにしたい。それにプラスアルファ−−ジャンプだけでなく、町田選手のような伝わる演技というものが必要になってくると思う。

 −−表現面を高めるために思い描いているものは。

 ◆いろいろとやりたいと思っていることはあるが、何か具体的にこうしようという計画はまだない。(コーチらや振付師らを含めた)自分たちの中で、こういうふうにしたいなとか、ちょっとずつは見えてきている。

 −−来季はどんな演技をしたいか。

 ◆もっと伝わる演技がしたい。自分はスケートのジャンプが好きだからこそ、ジャンプの確率を上げていく練習を結構たくさんしてきたので、今は割とジャンプが目立ちがち。だが昔はジャンプがそんなに跳べなくて、ジャンプをガンガン跳んでいくよりも、表現したいという気持ちがすごくあった。そういう気持ちを思い返しながら、ただ表現したいというだけではなく、表現をするにあたって、ちゃんとした形というのを学ばなければならない。五輪シーズンを終わってそう思った。

 −−表現面で優れている高橋大輔選手(関大大学院)は進退を明らかにしていないが。

 ◆また新しい演技を見たいと思っているし、すごく参考にさせていただいているので、高橋選手にはまた滑っていただきたいという気持ちもあるし、今の日本男子の状況は、誰が出てもグランプリシリーズでは1、2位を取るだろうというすごく激しい争いなので、それはそれで楽しみ。だが、大変だなと思う。

 −−大変な状況の方が自分を高められるのでは。

 ◆もちろんそうです。皆さんが思っているよりも、僕は追われる立場ではなくて、自分自身がすごく追っている心境。もっと上に行きたい、もっと強くなりたいという気持ちがすごくある。たくさんのライバルがいて、もちろん自分の中にもいろいろなライバルがいる。だからこそ新しいシーズンに向けて頑張ろうと思っている。

 −−自分の中のライバルとは。

 ◆今いる、いないは関係なく、漠然として何年後か先の自分。目標みたいなものがあるし、ただ淡々とスケートの練習をしているわけではなくて、目指すべきものがある。その目標が近づくかと思ったら全然そんなことはなくて、一歩先、二歩先に行ったら、その目標も一歩先、二歩先に行ってしまう。ずっと追いかける立場でいられると思う。

 −−10年後の自分はどうなっていると思うか。

 ◆もうスケートをやめていたいと思う(笑い)。さすがに。29歳でやめてなければ相当やばいと思う。10年後はもっと直接的に震災の支援だったり−−東日本大震災だけではなく、その後からも、例えば伊豆大島の台風だったり、いろんな災害が日本の中にある。そういうところにもしっかりと目を向けて、チャリティーの公演とか、自分から提案できるようなくらいの力を付けられたら。

 −−高橋選手は被災地支援のためのチャリティー公演を自身で企画している。そういう活動はモデルになるか。

 ◆もちろんですね。僕が(東日本大震災の後に)救っていただけたのも、またスケートを始めようと思ったきっかけも、チャリティーの公演会だった。もちろん震災だけではない。日本はスケートリンクの環境があまり良くないので、そういったところにも支援をしていけるような活動を目指したい。そこがゴールではないが、そういったところを見据えて、今後スケートに携わっていきたい。

 −−その思いは昨季から練習拠点をカナダに移して強くなったのか。

 ◆カナダはアイスホッケーも盛んだが、アイスリンクの数が圧倒的(に多い)。日本では年間を通して滑れるリンクが少なく、スケートをずっとやっていこうと考えられない選手、家族がたくさんいると思う。そういう方々を助けるきっかけになるような支援ができればと。せっかく五輪チャンピオンになれて、その称号をもらったのだから、今はそういう権限がなくても、そういうことがしっかりできるような人間になりたい。

 −−来季への始動は。

 ◆まだめどが立っていない。園遊会にも参加させていただくし、パレードもあるので、いつカナダに帰るかも決まっていない。

 −−来季のプログラムの構想は。

 ◆帰ってから。(コーチらと)相談はいろいろしているが、本格的な相談というものができていないので、これからちょっとずつ詰めていきたい。

 −−来季からルールが変わり、歌詞が入った曲も演技に使えるようになるが、興味はあるか。

 ◆興味というか、僕が決められることでもない。未知の世界。振り付けや曲選びにあまり携わってこなかったので。未知の世界だからこそ、振付師の方など(専門の人)にしっかり委ね、アイデアを聞いて、自分が納得できる形になった時に、そういうものも取り入れていけるのかなと思う。

※注1=エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)。2006年トリノ五輪金メダルなど五輪3大会でメダルを獲得。今年のソチ五輪でも初採用された団体戦で金メダル。世界選手権も3回優勝。

※注2=アレクセイ・ヤグディン(ロシア)。2002年ソルトレークシティー五輪金メダル。世界選手権も4回優勝。

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