2015-03-16

将棋電王戦FINALにおける異文化の衝突

3月15日将棋電王戦FINALが開幕した。

第一局は斎藤慎太郎五段が将棋ソフトAperyに完勝した。

序盤の折衝で築いた小さなリードをノーミスじわじわと広げる完璧将棋だった。

だがこの将棋、簡単には終わらなかった。

Aperyが必敗になっても自らの負けを認めず指しつづけたのである


一般に勝負世界では最後まであきらめないことが美徳とされる。

しかプロ将棋界では自分の負けを悟ったとき「負けました」と告げて終局にすることがほとんどである

これを「投了」とよぶ。

投了せずに自玉が詰むまで指しつづけることはみっともないことなのだ。

それがいわゆる「日本人の美意識」に起因するものかどうかはわからないけれども、

とにかく将棋界にはこんな文化があった。


から、Aperyが投了せずに自分の負けを先延ばしにしようとしたことに対して

非難する声があがった。

「美しい棋譜をつくるというプロ文化・習慣にのっとるべきだ」

プロ棋士への敬意がない」

など。

本対局が中継されたニコニコ生放送でも解説の某高段の棋士がAperyを批判したという。

しかにこの棋譜は私からみても少し見苦しいものだった。

しか批判の中には

「二度と将棋に関わらないでほしい」

などとAperyの開発者である平岡拓也さんを攻撃するようなものもあった。



なぜAperyは投了しなかったのか。

平岡さんはこの対局の前日にブログにこう書いていた。

明日斎藤慎太郎五段とAperyが対局する訳だけれど、

Aperyは負ける時は最後の一手まで指します。

開発者投了権利があるらしいですが、どんな勝ち目の無い状況になろうとも、途中で投げません。

一部の将棋ファンからしたら退屈になるかも知れませんが、

もしもプログラムに興味を持ってくれた人がいるなら、、、

負ける直前のコンピュータの特徴的な手は新鮮に映るかもかも知れません。

折角棋譜が残るのだからコンピュータの特徴的な手を残したいと思います

それに、Aperyと斎藤五段が戦う訳で、私が間に入って投了するというのは気が引けます

斎藤五段とは今日少しお話できました。その際に一応先にことわっておいた方が良いと思って、

すみませんが負ける時は最後の一手まで指しますと伝えておきました。

投了するようにプログラムすることは容易だ。

それでも平岡さんが最後まで指させたのは、

感情を持たず常に最善手を追い求めることしかできないというコンピュータの特徴が、

投了する直前の局面で立ち現われてくることを彼が知っていたからであろう。

投了しない手は明らかに投了する手よりは良い手である

なぜなら投了すれば負けてしまうからだ。

Aperyが投了しないのは、Aperyが最善手を求めた結果なのである

決してこれはプロ棋士への敬意を欠いた態度から出たものではない。



人間コンピュータは決定的に異なる存在である

それらが電王戦という同じ土俵にあがったとき、そこに摩擦が生じるのは必然である

将棋興行であるからプロ棋士は強くあるのと同時に美しい棋譜を残さなければならない。

一方プログラマの多くは、最強のプログラムをつくることを目指している。

どちらが尊いということはない。

電王戦を創設した故米長邦雄永世棋聖は「人間コンピュータ共存共栄」を唱えた。

それはコンピュータプロ棋士流儀にのっとって将棋を指すように強要することではないだろう。

しろもしコンピュータプロ棋士と同じように「礼儀」を心得て将棋を指すようになったら、

そして近い将来コンピュータプロ棋士より決定的に強くなったら、プロ棋士存在意義が問われることになるだろう。

棋士コンピュータ、あるいは棋士プログラマ立場差異を認め理解することが共存への道だ。

平岡さんはそれがわかっていたから、投了させないことでその差異将棋ファンに知ってもらおうとしたのだった。

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