「将棋電王戦FINAL 第1局 斎藤慎太郎五段 vs Apery」において、Aperyの開発者の平岡さんが投了せずにAperyが最後まで指したことにより、一部の将棋ファンから批判が集まっているようです。鈴木八段がその行為に対して実況において否定的な言い方をしたため、一部の将棋ファンがなびいてしまったのかも知れません。
特にひどい発言の例をここで挙げようかと思っていたのですが、なんかそのtwitterアカウントは釣りくさいので注目を浴びるのは却って彼を喜ばせてしまうことになるので、ここで挙げるのはやめておきます。
まあ、そういう発言は、民度の低い一部の将棋ファンだけのものであって、ほとんどの将棋ファンはそういうことはありません。そのことは次のまとめを見てもわかります。
「将棋電王戦FINAL 第1局 斎藤慎太郎五段 vs Apery」王手ラッシュ肯定論まとめ
私は鈴木八段を非難するつもりはありませんが、対局終了まで実況に参加しているコンピューター将棋開発関係者が一人もいない状況というのは、極めてバランスの悪い実況だと思いますし、コンピューター将棋開発者からしてみれば、あの場はまさにアウェイ(敵地)であります。
電王戦、ちょっと不愉快なので閉じた。解説の人がコンピュータ将棋を理解していないのは仕方がないけれども、だからといって一方的にああいう言い方をするのは気に食わない。
— 高橋 直大(chokudai) (@chokudai) March 14, 2015
あんまり電王戦には出たくないなぁ、という気分になったので、将棋AI開発はとりあえずやめよう
— 高橋 直大(chokudai) (@chokudai) March 14, 2015
そして今回の一件で世界的なアルゴリズマーのchokudaiさんが今回の件で将棋AIの開発をやめてしまわれました。これがコンピューター将棋界にとってどれほど大きな損失か計り知れません。
電王戦のPVでは、「旧幕府(プロ棋士) vs 新幕府(将棋ソフト)」のような構図や、「大日本帝国(プロ棋士) と 黒船(将棋ソフト)」のような構図で描かれていますが、「お前らが、いま撃って沈没させたの黒船だぞ?」と私は言いたいです。
Ponanzaの山本君が去年の電王戦の前に書いたブログ記事を引用して、この記事を終わります。
負けるときはPonanzaには合法手がなくなるまで指させようと思う。対局者の屋敷九段には悪いのだが、そこは敗者の特権なので付き合ってもらおう。水平線効果を出し、無意味な王手を出す尽くすまで、Ponanzaにはやらせよう。それこそがコンピュータ将棋というものをうまく表しているのだから。
電王戦第五局が始まるまでに決めておかないといけないこと
平岡さんは「事前にことわりを入れています。」とTwitterで書かれてますが、
「事前のことわり」が必要な行為であると自覚してるということですよね。
多くの人目がある中で
「事前のことわり」が必要であると当事者に感じさせる行為に至れば
肯定的な意見だけでなく否定的な意見も起こるのは当然ではないでしょうか。
あくまで批判の対象は平岡さんの言動であり、
またその原因も平岡さん自身にあると思います。
記事タイトル及び記事の内容に強い違和感を覚えます。
去年、山本君が「最後まで指します」と彼自身のブログで表明したときにそのことを批判している人など一人もいませんでしたよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/ponanza.hatenadiary.jp/entry/2014/04/08/200923
今回、批判が膨らんだのは、鈴木八段の解説に煽られた人が多かったからなのは明白で、また、chokudaiさんのようにコンピューター将棋に興味があり、これから作っていこうとしている人にとって、(鈴木八段の解説は)とても見るに耐えないものでした。
良かったら、本文中で紹介している、まとめのほうもご覧ください。
>去年、山本君が「最後まで指します」と彼自身のブログで表明したときにそのことを批判している人など一人もいませんでしたよ。
批判が起きなかったのは鈴木八段の解説の有無ではなく
表明だけで実行されなかったからだと思うのですがおかしいでしょうか。
またこのケースにおいては山本さん自身
>対局者の屋敷九段には悪いのだが、そこは敗者の特権なので付き合ってもらおう。
と「対局者には悪い」行為であるとはっきり書かれてますよね。
当然の行為であると認識しているならば
「対局者には悪い」と表現されることはなく、
大なり小なり「対局者には悪い」行為であると山本さん自身認識しているということですよね。
多くの人目がある中で
「対局者には悪い」と当事者でさえ表現するような行為に至れば
肯定的な意見だけでなく否定的な意見も起こるのは当然ではないでしょうか。
> 批判が起きなかったのは鈴木八段の解説の有無ではなく表明だけで実行されなかったからだと思うのですがおかしいでしょうか。
表明の時点で「こういう割り切りは好き」のように好意的なコメントばかりがついていることを実行したら批判されるというのは私にはどうも理解できませんね。
> 肯定的な意見だけでなく否定的な意見も起こるのは当然ではないでしょうか。
否定的な意見が出ること自体を問題としているわけではないです。そりゃまあ、「勝負がついてるんなら、はよ終われ」的なヤジぐらい飛んでくるでしょう。私もそれぐらい思いますから(笑)
しかし今回の平岡さんの言動をもって、平岡さんの人格を否定する奴とか、なんなんだろうと言うことです。
野球だって「敬遠」に対してブーイングを行ったり野次を飛ばしたりする観客もいます。電王戦の「ソフト事前貸し出しって八百長だよ」と思う人もいます。大山康晴氏の Wikipediaの書かれ方(盤外戦)は「自身がトップに立ち続ける為に二番手以下の強豪相手に徹底した屈辱感やコンプレックスを植え付ける、非情なまでの勝負至上主義であった」ですよ。大山康晴氏はわざとじっくり相手をいたぶる将棋もしてました。
まあ一方的な価値観で誹謗されて、それに対して反論の余地も与えないって言うのは世界共通で「卑劣な行為」であることは確かです。
まあ、今回のAperyの指し手は投了の美学には反しているのでヤジぐらい飛んでくるかも知れませんが、今回の平岡さんの言動をもって平岡さんの人格までを非難している人がいますからね…。(一部の)将棋ファンの民度低すぎ…。
将棋ソフトは(いまのところ)投了させなければそういう指し手をするものだし、それが(最後まで諦めずに)全力で戦うということだと平岡さんや山本君は考えているんでしょうね。決して礼を失する行動ではないと。
私は最後まで投了しないのは面倒だからやりませんが。(笑)
たぶん私は今回やねうら王が負けるとしたらかなり早い段階で開発者判断で投了すると思います。
棋士の美学があって、ソフト開発者の美学がある。
で、棋士の美学を棋士が語って悪いのか、と。
諸々の発言を受けてプログラマーが開発を止めるのが悪いとするなら棋士側からすれば投了しない方が悪い、投了すればボロカスに言われる事も無かったから開発を止める事もなかっただろうとも言えるだろうし。
そもそも棋士はソフト開発に無条件に奉仕しなければならない存在ではないし。
一つの事象をある立場のみから語れば断片的な評価にしかならないというのは今まさにあなたが開発者としての立場のみから鈴木八段をなじっていることでもお分かりでしょ?
で、棋士としてあの場で解説してるのに開発者の立場で見れば指し続けるのは当然なんてのは、じゃあ開発者も棋士の立場で見れば投了させるのは当然というのと同じことじゃないのか、と。
異なる価値観が並立してるのに片方がもう片方に配慮すべき、なのにもう片方が片方に配慮する必要はない、これは価値観に優劣がないとすればおかしいとは思わないですか?
ソフト開発者がその場で解説をすることがないというのは鈴木八段のせいではないし、アウェイにしてるのもまた鈴木八段ではない。
一部の将棋ファンの民度が低いと批判するのに題名が鈴木八段が悪い、というのはどうなんでしょうか。
> ソフト開発者がその場で解説をすることがないというのは鈴木八段のせいではないし、アウェイにしてるのもまた鈴木八段ではない。
はい、でもその状況を鈴木八段は当然理解されてますよね。そしてお互い異なる価値観であることも理解されてるはずですよね。そういう状況で(相手の言論封殺がなされている状況で)、相手の価値観を否定すればどういう事態になるかわかりそうなもんですけども。あれは将棋ソフト開発者以外の一般的なプログラマーから見ても相当感じが悪かったと思いますよ。「自分は電王戦なんかに関わりたくない」と思えるほどに。
だから鈴木八段はあれは言うべきではなかったと私は思いますし、あの解説が引き金となって炎上騒ぎになっているのは明白です。なので、本記事のタイトルとして鈴木八段の名前を出しました。
ただ、今回、私が非難の対象としているのは鈴木八段ではないです。
鈴木八段の解説で感化されて暴徒と化して平岡さんの人格を否定するなどの個人攻撃をしている人たちです。
プログラマーとしてはあれを最後まで指し続けさせるのが言わば正義で、棋士としては棋譜を汚す行為というのは許せない行為だと、悪だとして、棋士の立場で呼ばれていながらプログラマーに配慮した発言をするべきだったというのであれば、プログラマーも棋譜を汚すくらいであれば投了するべきだという棋士の発言もまた認めるべきだと思います。
棋譜を汚す行為というのが鈴木八段にとってどれほど嫌なことなのか、(自分はそこまで重いと分かっていないですが)軽く見てる節が有るように思います。
プログラマーが嫌気をさすほどの発言をしたとは自分には思えなかったのと同様、多分磯崎さんはじめプログラマーの方はプロ棋士の、というか鈴木八段の美意識というかそういうのを自分達の価値観で軽くしか見てないのではないでしょうか。
極端に言えば棋譜を汚すのがなんぼのもんじゃいというような。
それはつまり鈴木八段がプログラマーに配慮が欠けているのと同様に、プログラマーがプロ棋士に配慮が欠けているということです。
鈴木八段の発言がプログラマーであればげんなりするようなものであった、それ位の想像はできるべきで発言は控えるべきであったというのであれば、棋譜を汚す行為がプロ棋士にとってげんなりするものである、だから言いたくなくても文句を言ってしまうというような想像が出来てもいいんじゃないでしょうか。
鈴木八段の発言は平岡さん及びAperyの行動を受けてのものなので、そもそも論を言い出すなら平岡さんとAperyの方が先に非礼をしてるんだと思うんですが。
失礼なことをしてる人に対してどんなに失礼でも大人の対応をしなければならないというのは失礼なことをされてる側が一方的に損してるとは思いませんか?
どちらも失礼なことをしていながらどちらも自分達の言動が失礼だとは思っていないんだとすれば、どちらも批判するか、あるいはそれはそういうものだと納得するかしかないんじゃないでしょうか。
片方だけ批判するということがおかしいとしか思えないんですが。
> プログラマーも棋譜を汚すくらいであれば投了するべきだという棋士の発言もまた認めるべきだと思います。
いや、私はそれは認めてるんですよ?
あの場で解説役として言うべき言葉ではないと言っているだけです。
鈴木八段の発言が、番組中のインタビューでなされたものなら問題ないですが、建前上公平であるべき解説者の立場でされたものなので、その点で<プロにあるまじき>行いだと思いましたね。ただ女流棋士も登壇して司会してたので、鈴木八段は、棋士として感じたことを言ってしまったんでしょう。電王戦FINALへの道にも鈴木八段出演してましたが、どうも普段からああいうキャラらしいですね。
「プロにあるまじき」とまでは私は思わないですが(^^;
まあ、電王戦は新しい棋戦ですから、今回のように初めて経験することもたくさん出てくるでしょうし、そういうシーンで適切に対応するのはとても大変なことだと思いますから、鈴木八段を責めるつもりは私はないです。
荒れるほどの問題でもないと思うんですよね。
鈴木八段ももし人間がここまで指してきたらイラッとするとは言ってましたけど、作者にイラつくなんて言ってたわけじゃないですし。
乗っかった野次馬は別にそもそも将棋や棋士のファンでもないんじゃね、って印象です。
炎上事件って大体そういうもんでしょう。
と、理性派ぶってはみましたが、勝ちを読みきったらノータイムで指して心を折りにくる(勿論被害妄想なんですけど)くせに、
負けるとなると時間一杯考えて長引かせてくるとかなんて嫌な奴だ、と思ったことがないと言えば嘘になります。
すいません、上のまとめを見てからコメントを打ったので記事とはズレたコメントになってしまったかもしれないですね。
三回戦も楽しみにしてます。
> なんて嫌な奴だ、と思ったことがないと言えば嘘になります。
私もそれは思います。(笑)
まあしかし、それが本来のナイーブな将棋プログラムのあるべき姿かなとも思うので、冷静に見れると言うか。
例え話で。
この記事を書いた結果。
鈴木8段に批判が集中されるという構造になった場合。
私にはどう見てもやねうらお氏が扇動したように見え、氏が扇動して鈴木8段というクソプロ棋士なら攻撃しても構わないだろう。と。
本記事は鈴木8段への批判はではないんですよね。
鈴木8段の解説で暴徒化した将棋ファンへの批判なのですよね。
氏が意図しない批判が鈴木8段にいきそうな感じがしますが、考慮されましたか?
というか思ったのですが、よくあるアフィブログと変わらないような扇動の仕方ですね。
よく釣れましたか?
> よく釣れましたか?
たくさん釣れてもどこぞのアフィブログと違って1円にもなりませんのよ?
「名人は超えている、なぜそれを認めない」
「棋士のプライド?よくわからないんですよね」
「早くタイトルホルダーと、羽生さんと戦わせて
(プログラムが強すぎて羽生さんでも相手になんないの嫌だから)」
プログラマからすれば客観的事実や確定的な未来を摘示しただけで
これっぽっちも悪気はないんでしょうが、
言われた側からすれば「お前たちは俺達に淘汰されるべき下位互換だ」と
解釈できて、鼻で笑われてる気分になるんですよね。
黒船じゃなくて将棋星人、来襲。みたいな気分です。
だからまぁ、正直に言いまして、鈴木八段の反応に釣られる人の気持ちは理解できます。
開発者側が棋士の淘汰など思ってなくても、
こればかりはしょうがないのでは。だって今まさに、
開発者がバーナー持って「お前ら人間は消毒だー」とやってくるように見えるんですもんw
そんな凶悪そうな男がいきなり「あっ」とか目の前でコケたら
「ふざけんなオラッ偉そうにしやがって!」と足蹴にしたくなってもおかしくはないです。
自分も含めて、所詮大衆ですし。開き直ってはいかんですが。
古いけど「大衆の反逆」を読み直したくなるような、格好の事例かもしれませんね。
> 黒船じゃなくて将棋星人、来襲。みたいな気分です。
将棋星人、来襲ワロタ。そういうの、佐藤映像が好きそう…。
上の方が言われている「ことわりを入れているから悪いこと」という論法には違和感を感じます。
「洗濯機で生き物を洗わないでください」だとか「電子レンジで生き物を温めないでください」だとか予防線としての事前のことわりもあるでしょうに。
それはさておき発言についてはまたかとしか思いませんでしたね。
なにせ番組の最初のほうから時間の使い方等々少し知識があればすぐわかる無知な発言が目立っていましたから、将棋解説以外は話半分に聞いていましたので。
(もう人対COMの将棋解説も初めてではないのに、その解説をするにあたって事前知識がないことに思うところはありますが)
そこから考えるとこの問題は無知な発言に踊らされた無知な人々の図になるわけで、平岡さんあたりがコンピューター将棋についての基礎知識をまとめて知らしめるのが一番収まりが良いように思います。
ラッダイト運動のころから、機械が普及するときには民衆の機械に対する無理解からくる軋轢がかならず生じますね。しかしそうやって機械が民衆に浸透していくわけですね。
もう回復できない状況なら潔く投了せよときっと思っているんだと思います。でもその回復できない状況の定義が難しいですよね。単に点数がマイナス何点という定義だと、コンピュータが自身の詰みを読んだら投了になってしまいますし、棋士だってコンピュータに「あんた負けよ」と言われている状況で指し続けていること結構ありますよね。思うに、諦めるべき状況は、相手の読みは(浅い読みでの)評価値の上から数個だけに限ってゲーム木を構成しても、もう終わり(自分が詰んでいる)という状況はではないでしょうか。
でも、そんなこと考えても面白くないので、やねうらお先生にはぜひ「自分の勝ちを読みきったら、そのなかで自分の持ち駒の数を最大化するプログラミングをしてほしいです(棋士に対して全駒)。
AWAKEが今回の電王トーナメントで見せたmate 63みたいに、終盤についてはプロ棋士を超えているので、コンピューターが自分の負けを読みきってもそこを投了タイミングとするのは早過ぎるんですよね。9手必至でも、プロ棋士が即座に読めるとは限らないのでmate 9なら投了というようにも出来ませんし、結局は今回のような場合、開発者判断にならざるを得ませんが、そのためには開発者に一定の棋力は必要になりますね。
あっ、Seleneの西海枝さん、大丈夫なんでしょうか…。
はじめまして。興味深い話題ですね。
そもそも鈴木さんは投げっぷりの悪い棋士に対して批判的発言をすることが多いのです。
結構辛辣なことを言うので、私などは「また始まったよw」くらいの感じでニヤニヤしてしまいますが、頭にくる人もいるでしょうね。
また、以前に羽生VS片上戦で片上さんが頭金されるまで指し、2chで非難轟々だったこともありました。まあ、2chに民度を求めてもしょうがないのですがw
なぜ詰みまで指すと非難轟々になるのか。
それは対戦相手の時間を無駄に消費する行為だからでしょう。例え両者合意の上であっても、客観的には嫌がらせと捉えかねない。
ですから、あえて投了を選択しなかった平岡さんに批判が集まるのもしょうがないと思ってます。
客観的には誰が見ても時間の無駄ですから。
> 結構辛辣なことを言うので、私などは「また始まったよw」くらいの感じでニヤニヤしてしまいますが、頭にくる人もいるでしょうね。
私も鈴木八段の性格は知ってますから、「また始まったよw」ぐらいの感じで見てるんですが、おっしゃる通り、真に受けちゃう人もいるんですよね…。
だからといって、鈴木さんが今回のAperyの粘りに「いやー凄い粘りですねっ!」なんて言っちゃうと、いつも批判されている深浦さんの立場ありませんからw
今回の件、たとえ勝又さんが解説であっても多かれ少なかれ平岡さんに対する批判は集まったと思うのです。
それがこのゲームで投了しない選択肢に対する一般的反応だと思います。
王手ラッシュを「こういうものでしょう」という一言で流した木村八段に比べ、鈴木八段の発言は寛容さに欠けているとは思いましたね。
個人的には、ソフトの王手ラッシュは絶対に受け入れられないというほどには考えていません。自分がやられると嫌ではありますが、詰ませられるとき以外の投了を判断する機能がソフトにまだついていなく、平岡さんも美しい対局行為でないことは承知の上で、これが現在のソフトであると強調する意味を込めて行うことを事前に発表しているのですから、流して終局を見守るところだと思います。
鈴木八段の発言がきっかけで、一流プログラマーさんの足が遠のいたのならばとても残念なことです。
私自身に公共の場で発言する機会があったときは、相手の立場や考え方をまず理解して、仮に相容れない態度であったとしても、「私はこう思うが、相手はこう考えているんだということは分かる」というような思考ができる余裕を持っていたいものだと考えさせられました。
模範解答のような意見でありますな…。
皆さんには、もっと将棋AIたちの気持ちを考えてやってほしいと思います。彼らからすれば、まだ決着がついていない状態で投了を強制させられるわけですから。今の将棋AIの未熟な知性を考えれば、あえてそうするのもAI開発者の親心なのかもしれませんが、外野がどうこう言う話ではないはずです。
というのはほぼ冗談ですが、それにしても今回の件といい、MAD並みの映像編集の件といい、伊藤さんの裁判の件といい、電王戦 (あるいは将棋連盟) と関わるとロクなことがありませんね。将棋AIの開発は色々な技術要素が詰まった魅力的な題材ですが、これでは意欲が削がれてしまうのが普通でしょう。
やねうらおさんの鋼のようなメンタルには感服いたします。
> やねうらおさんの鋼のようなメンタルには感服いたします。
私は豆腐のようなメンタルですよ?
「王手ラッシュが見苦しいものなのか、コンピュータらしさを表現するものなのか。賛否両論を巻き起こすことで、コンピュータ将棋における投了問題に注目が集まり、ひいては習甦竹内氏の論文に日の目を当てる効果をもたらすことができれば、本望です。」
…なーんて志を平岡さんが表明してくれてたりしたら、事態はずいぶん違っていたのではないかなぁと思ったりします。
投了の美学はともかく、コンピューターが負けを読みきっても手数を伸ばしてジリ貧するよりは、一矢報いるような指し手を選んで欲しいですよね。
まあ…色々やれば可能なんだと思いますが、このへん頑張って実装したところでまず勝率が上がるわけではないので(対人間の勝率は上がるかも知れませんが)、なかなかやる気になれないのが普通(の開発者)ですねぇ…。
他に議論すべき重要なことはたくさんあるでしょう。
不毛ですな。
皆が心の中では思っても場をわきまえて言わないようなことを、なんの配慮もなく言ってしまう鈴木八段は将棋指しとしてはそこそこでも、そういう面ではちょっとな人だなというのは将棋ファン、将棋プロファンの私でも思うことです。
それはそれとしてソフトというものは一局を通して相手の実力みたいなものを読み取り、それに応じて一定の形成判断のもとに投了するというのは難しいものなのでしょうか?
将棋開発ソフト開発の目的というものを今ひとつわかっていないのですが人工知能?とか聞くと将棋ソフトとして重要な機能として考えてみてもよいような気がするのですが。
ソフト開発者からすると、そんな無駄なことに労力は費やせないという類の考えなのかな?
> それはそれとしてソフトというものは一局を通して相手の実力みたいなものを読み取り、それに応じて一定の形成判断のもとに投了するというのは難しいものなのでしょうか?
コンピューター側が負けを自覚している局面が現れた時点で相手は自分よりおそらく強いので、自分より強い相手の強さを正確に判断するのは難しい(計測不能?)という問題とかあるような…。
自分よりおそらく強いということがわかれば、どれだけ強いかはわからなくても、それなりの投了タイミングというのは設定できそうな気もするけど、そういうものでもないのですね。
なるほどなかなか難しいものだとわかりました、ありがうございました。
電王戦のルール改正があるとしたら、
以下のような感じでどうでしょうか?
① ソフト側は対局1日前に投了するか宣言し、棋士側に同意を求める。
② 棋士側に投了しない事を受領した場合、最後まで指すことを許容する。
(ソフト開発者側の判断による投了は実施可)
③ 棋士側に投了しない事を拒否された場合、以下を実施する。
③-1 ソフト開発者側の判断による投了
③-2 1を実施しない場合、第三者ソフトによる評価値差4000以上と
立会人・棋士の合意により、ソフト側の強制投了。
※強制投了検討中は時間を止める。
(この制度は、あくまで開発者の将棋知識不足を補う事が目的)
mate 63(63手詰め)の評価値 = 無限大(32768とか) – 63
なので、mate 63も評価値4000以上なわけですが、このタイミングでの投了は、人間に対しては早過ぎるでしょうね…。
そのへん、立会人が適切に判断してくれると良いのですが。
完全にわき道にそれた質問なのですが、将棋ソフトの「評価値」が、各ソフト間で標準化されているのはどういう必然なのでしょうか。
歩1枚の価値を100とした評価値を送るようにUSIプロトコルで定められているからです。cp(centi-pawn)という単位です。
内部的に持っている値は、これとは異なる値です。USIプロトコルでやりとりするときにこのような正規化をしています。
>mate 63(63手詰め)の評価値 = 無限大(32768とか) – 63
>なので、mate 63も評価値4000以上なわけですが、このタイミングでの投了は、人間に対しては早過ぎるでしょうね…。
まったく知識も無く、適当に4000と書いたのですが、
4000でも人間に対しては早いのですね。
恐れ入った。
今回のことはルール上・運営上はなんの問題もなく、外野がやれ美学だ美しい棋譜だといってるだけなので、新たにルールを作る意味がないかと。
立会人権限を認めても、それを開発者が拒否するようなことがあれば、よけいに炎上するのが目に見えます。
記事と全く関係ない話ですがすみません。
プロの棋譜を元にしてるからソフトは強いみたいな話がうるさいので、アマチュアの棋譜のみを読み込んでソフト作ったらどうなるのでしょうか。プロでなくてもひと目で最善という局面もあるわけでうまくやればプロに勝てるソフトになるんじゃないですか?やねうらおさんは人間の棋譜を全く使わないソフトの話もされてますし勝てると断言できるかもと思いまして。
以前簡単な実験をしましたがアマチュアのみの棋譜から学習させても棋力そんなに変わらないです。レーティングで言うと200〜400ぐらい落ちる程度です。いま、トップのソフトはレーティング3600程度あるでしょうから、200〜400落ちたところで平均的なプロと互角ぐらいですよね…。