気ままな個人ノート??

元AKBヲタ??が綴る
日常やハマッテルGM等の 個人的資料作成の場かな??


テーマ:

こんちゃw




一昨日から宮城県にいっていました




も も もちろん 遊びじゃないですぅw




し しごとですよぉ~ ちゃんと??





火曜日に南三陸町と石巻にて、打ち合わせと


タイムテーブルの確認や会場の設営の打ち合わせして


仙台の家にて1泊 ^^





仙台にも お家があるんですw





仙台には、姉が選んだ病院があって 姉が入院していたので、一昨年まで月に1度くらい お見舞いをかねて行ってました。




南三陸町、石巻市 女川町 気仙沼 他 いろんな被災地に


姉の手伝いで、ボランティアで行った事あるので


姉を通じての知り合いもいます。




震災当時、姉は、仙台の病院に入院治療中だったため


父が仙台にも家を建てて、そこを拠点に母は生活していました。




姉の病気は、普通なら治療法のある病気でしたが、特殊な血液型のため不治といわれていました。 それでもAKBヲタとして活動を続け、震災後は 自分の体の事は二の次に、被災地に花壇を作って花の種をまいたり、球根植えたり、得意なピアノの弾き語りや団扇作り、お話会など 積極的にボランティアとして、被災地に足を運び 活動していました。




そんな時に知り合った 地元の方々


姉の付き添いでいた私の事も覚えていてくださって・・・・・




挨拶まわりと、姉の感謝の言葉を伝えてきました






「私はボランティアなんかじゃない、逆にみんなから元気をもらいに行ってるだけ。だからみんなが元気に笑えるように、そして泣ける場所を ほんの少しでも・・・・」




姉は、最期の時まで ずっとそう言っていました。





姉が 特に言っていた言葉です


「ここは、被災地でも ここにいるのは被災者でもない!」


「ここは、復興地であり、そこに住む人たちは、みな復興者だ!」




TV等のメディアで被災地 被災者などと報道されるたびに、訂正してました。 そんな姉だからこそ、みなさんに愛されて 月へと帰ったのでしょう。





姉と みなさんで撮った集合写真や姉が活動してる姿をおさめた写真


みなさん 大切にしてくださってました。




そして 花壇には、まだ小さいけれどチューリップが


たくさん芽をだしていました。






仙台の家の庭の桜の木(シズカ) 今年も花をさかせてくれるでしょう。








そして 昨日 3月11日



3月いっぱい現場マネとして担当する 鳥さんも 元気いっぱい


歌って踊って、石巻のみなさんから元気をもらえたと言っていました。






なによりも、未だ復興途上!




災害公営住宅の建設が進まない現状


予算があっても手をつけられない現状


震災から4年がすぎ、いまだに仮設住宅暮らしの方々





この日本の 偉い人!  なにをやってるの!!!





北陸新幹線? 東京オリンピック?? 仙台市地下鉄????





そんな物よりも 先にやらなければならない事あるでしょ!!!!!







「この国、どうかしてるよ!」って外国人の友人から言われました。






うち 日本人として、恥ずかしかったです。







何よりも優先してやらなきゃない事を、早くやりましょう。





未来の子どもたちに誇れる事しましょう







与党だ野党だ 政治献金がどうたら 路チューがどうたら


そんな事よりも 人が人としてやらければならない事


しっかりやってください。





その為の 国民の代表なんでしょ???





東京電力の原発は、どうなったの??


保証は、賠償は?? その地域で暮らしていた人たちは、どうなったの???? 財産も家族も 故郷も無くし、どう未来を考えろって言うの???




4年たっても、何もかわっていない現状











どうしたら 変わるのだろう・・・・・・











   

いつになったら 気がつくのだろう・・・・・













  

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