2015-03-14
「戦死者に感謝」がグロテスクなわけ
【歴史】戦争の犠牲者とは誰か 寄稿 田村光彰:記事一覧:北陸文化:北陸中日新聞から:中日新聞(CHUNICHI Web)
先の大戦で死んだ日本の二百三十万人の兵士の六割は、歴史学者の藤原彰によれば、兵たん・補給無視の計画・指導による餓死とのたれ死にであるという。国家は、英霊として「ありがとう」と感謝するのではなく、まずもってドイツのように、「ごめんなさい」と謝罪するべきである。謝罪は悪いことに対して行うので、繰り返さない決意となる。
逆に「ありがとう」はいいことに対して行うので、繰り返される恐れがある。宗教学者の菱木政晴氏は、戦没者を褒めることやありがとうは次の戦死者を想定し、「後に続け」につながる危険性を指摘している。集団的自衛権の行使により、地球規模での自衛隊の参戦が間近に迫る今日、ワイツゼッカー演説は、三十年を経て「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目をふさぐ」愚挙に警告を発し続けている。
上の記事では戦没者へ「ありがとう」と言うことの危険性が述べられている。
戦争の犠牲者に「むごい死に方をさせてごめんなさい。(又は、むごい死に方をしてかわいそうに)」と言うのと、「立派に死んでくれてありがとう」と言うのはまるで違う。
そもそも、死者に対して、その生前の行為でなく、死んだことによって、感謝するという行為が、自国の戦死者に対してのものを除けば、行われないことだ。震災の死者に感謝することはないし、戦争の犠牲者でも、空襲で死んだ民間人も感謝の対象にはならない。
戦死者に感謝するという考えは、靖国神社のあり方にも色濃いものだ。しかし、戦死者に感謝すべし、と主張する人は少なくないのだが、それでは、なぜ感謝しなければならないか、という疑問に明確に答えた人は見たことがない。感謝するからには、彼らの死によって、後世の日本人がメリットを受けたということになるが、これは「伯父さんが死んでくれたおかげで、遺産ががっぽり入ってラッキー。伯父さんありがとう」みたいな、かなりグロテスクな話だ。
戦死者に感謝するという行為は、かなり奇怪に思えるのだが、その奇怪さは、戦死者に対する感謝というのは、既に死んだ人間に対しての感謝でなく、これから死ぬ人間へ見せるためのものであるからでは、と思う。「あなたも、戦死すればこのように名声を得ることができますよ」というメッセージなのだろう。「次も、空気を読んで死んでくれないかな」と言われているようなもので、私などひどくグロテスクなものを感じるのだ。
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