■ご案内

Author:豆太郎@
「遊び心」で始めた
架空の「聖書研究会」です。

■基本信条(目標)10ヶ条

●エホバを信じる人に、なろう!   ●イエス、大好き!           ●地獄なんて、ないよ!         ●信仰/希望/愛に、あふれよう!   ●死者の復活、うれしいな!     ●千年王国は、近いよ!        ●贖いと罪の許し、ありがとう!    ●永遠の命、最高!           ●祈って祈って祈って、祈ろう!   ●聖書を読んで読んで、読もう!

■情報ページ
■全記事表示リンク
■最新記事
■最新コメント
■メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

■月別アーカイブ
■カテゴリ
■ボクらの星

■フリーエリア

「天国」と「王国」
天国と王国は、日本語ではよく似た字面になるけど、意味はけっこう違う。

天国(heaven)のイメージは、善を行なった人たちの魂が死んだ後に行ける世界。
王国(kingdom)のイメージは、偉い王様がいて臣民を治めている国。

聖書(新世界訳)をよく読んでみると、イエス・キリストの教えの中心となる主題は「天の王国」です。
あれれ、天国と王国が合併したような言葉だね。どういう意味なんだろう?
英語では「the kingdom of the heavens」です。もともとのギリシャ語の意味と同じです。

新共同訳では「天の国」と訳されています。リビングバイブルでは「天国」です。
新世界訳で「天の」が取れて単に「王国」と訳されている箇所は、新共同訳もリビングバイブルも「御国」と訳されています。

イエスの伝道の開始時の言葉:
(マタイ 4:17) その時からイエスは伝道を開始して,「あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と言いはじめられた。
「近づいた」という言葉からは、「天国」という死後の世界は連想しにくいと思います。王国の支配の始まりが「近づいた」ということであれば意味が通りますね。

主の祈りの一節:
(マタイ 6:9‐11) 天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように。
ここでも「来ますように」という言葉からは「天国」は連想しにくいけれど、神の「王国」の支配が始まるようにとの願いであれば意味は通ります。

弟子たちが尋ねたこととイエスの答え:
(マタイ 18:1‐4) …その時,弟子たちがイエスの近くに来て,「天の王国ではいったいだれが一番偉いのですか」と言った。そこで[イエス]は,ひとりの幼子を自分のもとに呼び,彼らの真ん中に立たせて,こう言われた。「あなた方に真実に言いますが,身を転じて幼子のようにならなければ,あなた方は決して天の王国に入れません。それゆえ,だれでもこの幼子のように謙遜になる者が,天の王国において最も偉大な者なのです。

弟子たちは来たるべき「天の王国」で偉い人になりたいという願いを持っていたようです。自分たちの中で誰が一番偉いのかということで論争をしている箇所もあります。イエスは幼子のように「謙遜」な資質を持つものが「天の王国」では偉いのだよ、と弟子たちを戒めています。

「福音」あるいは「良いたより」と王国との関連:マタイ 24:14 
(新世界訳) …そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。
(新共同訳)…そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。
(リビングバイブル)…そして御国についてのすばらしい知らせが、全世界に宣べ伝えられ、すべての国民がそれを耳にします。それから、ほんとうの終わりが来るのです。

「王国」や「御国」の始まりは、その他の世の国々に関しては「終わり」を意味するようですね。

こうした「王国」のイメージは、キリスト前の預言者ダニエルの次の記述を連想させます。
(ダニエル 2:44) …そして,それらの王たちの日に,天の神は決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます。

こうして聖書の言葉を考えていくと、イエス・キリストが言われた「天の王国」とは、いわゆる「天国」のことではなくて、地上を治める新しい統治のことを言っていると、ボクには思えます。これは「神の王国」とか「父の王国」という、イエスが「天の王国」の同義語のようにして述べた言葉とも調和すると思います。神の任命した(油注いだ)メシアによる統治と言っても同じことだと思います。

(マタイが「天の王国」としているところを、ルカは「神の王国」としている箇所が多くあります。ルカのその部分は新共同訳もリビングバイブルも「神の国」としています。さすがに「天国」とは訳しにくいのでしょう)

「霊魂の不滅」の教理は、「天国」や「地獄」という死後の世界と結びつきやすいのですが、そうした先入観をもって聖書を読むと見えなくなってしまう真理があるように思います。

神の王国による地上の支配つまり「千年王国」について原始キリスト教徒が持っていた希望が、しだいに「他の種類」の希望とすり替えられるということが起きたようですね。これも「背教」と言っていいのではないでしょうか?

→新プラトン主義の悪影響②魂の不滅
→地獄なんて、ないよ!
→新プラトン主義の悪影響③千年王国を忘れる


聖書の話 | 00:00:00 | コメント(0)
遊び心
「原始キリスト教研究会」は遊び心で作っている想像上のグループです。

創立者のジョナサン・パロットは「すずめのジョナサン」、
古株のセイラー・シーガルは「カモメの水兵さん」、…茶目っ気で名付けた名前です。

その他の設定も、ボクが「遊び心」で少しずつ作ってきました。

「物語」を夢想・創造するとき、ボクはなんだか愉快(ハッピー)になるのです。
一緒に想像を楽しんで膨らませてくれる仲間を探しています。

何か、おもわぬ展開がないかなぁ~。

→「原始キリスト教研究会」の歴史

原始キリスト教研究会 | 00:00:00 | コメント(1)
進化なの?創造なの?(おすすめ記事)
進化論は強い「洗脳力」を持っているので、ボクも「覚醒」するのに時間がかかりました。
このブログでもこのテーマを何回も取り上げてきました。

最近の「進化なの?創造なの?」シリーズは7回続いていますが、その前に書いた「多様性の創始者」シリーズの③と④もなかなか面白いのではないかと思っています。よろしければお読みくださいませ。

→多様性の創始者③鳥の翼
→多様性の創始者④飛行の起源

鳥の羽根や翼を、二本足の恐竜がどのように手に入れたのだろう?
…という素朴な疑問が始まりです。この疑問を解いてくれる、ちゃんとした説明を残念ながら聞いたことがありません。
どうして空を飛ぶなんてすごい事を獲得できたのでしょう?

そもそも最初に偶然にできた(はずはないのですが)たった一つの細胞が、そのままの姿でいることに飽きたらず、どうして目も眩むほどの多様性を誇る生物の世界を作っていったのでしょうか?

手や足や目や鼻や口や…循環系や免疫系や脳や…人の理解を超える複雑な造りの階段を、単純という安定を離れて、なぜ?どんどん登っていったのでしょうか?

この素朴な疑問の答えを、ボクは知りたいと思っているのです。
だから、多くの人が禁じ手としている「神さま」についてだって、ちゃんと考えているのです。

パンセ | 00:10:18 | コメント(0)
再録:喜びの遊び

新訳 少女ポリアンナ (角川文庫)新訳 少女ポリアンナ (角川文庫)
(2013/03/23)
エレナ・ポーター

商品詳細を見る


初めて読んだ時のタイトルでは「パレアナ」だった。こちらのほうが実際の発音に近いのかもしれないね。

たしか初めの翻訳では「喜びの遊び」だったと思うんだけど、最近読み返した翻訳では「嬉しい探しゲーム」となっていた。
何のことかって?

パレアナが父親から教わって、心の中でいつもしている遊びです。辛いこと、悲しいこと、日々生じる心をひしげるような現実に立ち向かう、最強の「遊び」なんです。

まあ、簡単に言えば、どんな不快な現実に直面しても、その良い面、感謝できる面を探して、喜びに変える「想像力」のことです。なれてくると簡単にできるようになるそうな。

パレアナは始めに母親、次に牧師をしていた父親を亡くしてしまい、音信不通だった叔母ポリーに引き取られる。

義務感だけで、この11才の姪のパレアナを引き取った叔母さんは、事情もあってひどく不機嫌なオールドミスです。

無防備で、開けっ放しの性格のパレアナは、このおばさんの、そして出合うことになる多くの人々の胸に、無邪気に飛び込んで、彼らを変えていく。

でも完璧な「天使のような」子供というわけではありません。うまく「喜びの遊び」ができなくて泣いたり悩んだりもします。

もちろん物語ですから、都合の良いように物事が進むときもありますが、児童文学の「楽天性」はボクの愛するところです。せめて、物語では、わくわくさせてください。ハッピーエンドにしてください。


読む力のある人にとっては、現実は確かに「切り取られて」物語上に存在しているのですよ。

「パレアナ」は現実の世界にも、確かに、たくさんいるのですよ。

あなたのすぐ近くにも。


本の感想 | 17:03:34 | コメント(3)
ヤッホー!豆太郎です
ヤッホー!豆太郎です。

ちょっと事情があり、夜のお仕事(アルバイト)を始めました。水商売ではありませんが…

そんなわけで、自由時間が大幅に少なくなってしまいました。ブログの更新に影響が出ると思います。
まあ、わざわざ断らなくても、読んでくださる方もとても少ないのですけれどね。

でも、意外なキーワードで検索して、「原始キリスト教研究会」を訪問してくださる方々がおられることが楽しいので、変なブログだけど、もうしばらく続けてみようかと思っています。短いつぶやきが多くなるかも、です。

さて、児童文学者の松谷みよ子さんが亡くなったとのニュースがありました。
ボクは10代後半から20代前半の「多感な」青春時代に、「育児書」と「児童文学」を愛読していたのですが、松谷みよ子さんの「ちいさいモモちゃん」シリーズなどもその中の一つでした。子供が好きで、結婚にあこがれていた時代でした。「ママとあそぼうピンポンパン」というテレビ番組を楽しみにして観ていた二十歳の青年って、ちょっと不気味なものがありますね。


じゃあ、また。
ヤッホー、ハレルヤ!


about me | 20:35:20 | コメント(0)
トライ・アンド・エラー
「原始キリスト教研究会」は、組織として神の霊感を受けているとは主張していません。不完全な人間の集まりですから、どんなに努力しても、何らかの問題が起きるでしょう。これは「教理」面でも「人間関係」でも同じですね。

試行錯誤も当然あります。つまり、やってみてダメだったから変更するということです。これは当たり前のことで、どの組織でもグループでもあるのではないでしょうか。

ハウス(会衆)の中でも、「掃除当番」の取り決めとか「奉仕の群れ」の取り決めとかを作りますが、実情に合わなくなるなら当然改善します。その場合、「どうして以前の取り決めを作ったんだ!」などと、誰も怒ったり厳しく批判したりしないでしょう?

まずは、こんな当然の感覚を持ちたいものです。

あんまり「組織」とか「ハウス(会衆)」とか「エルダー(長老」」に多くを、または完全を、求めるのはかわいそうです。
「たいていみんな、よくやってるよ」

まずは、こんな当然な感覚を持ちましょう。

ボクも他の人や組織に「なんだかな~」と思う時もありますが、そんな時は自分自身も他の人から「なんだかな~」と思われることもたくさんしてきたな~と思うようにしています。未熟な過去の自分を思い返すと、「ああ、恥ずかしい~。勘弁してください~」と頭を抱えたくなることがいっぱいあります。

ボクらの人生はトライ・アンド・エラーの連続なんですね。それでも、たまにはトライ・アンド・キャッチ(?)で見つけた素晴らしい宝物も増えてきます。皆さまが見つけた人生の宝は何ですか?

ボクにとっては聖書を学んで、神さま(エホバ)とイエス・キリストを知れたこと、これが一番の宝です。
助けてくれた人たちや組織に本当に感謝しています。

パンセ | 19:19:44 | コメント(0)
連載:ファースト・ルーク⑲
ガリラヤの光
 
昼食を済ませた後、ルークは東の丘に向った。猫のテオフィロも一緒だ。ルークの肩の上に上手に座っている。いつもの道をゆっくりと登りながら考えた。

母さんの国に来てから、ここは良い人ばかりだと思っていたけど、なんだか威張っている人もいるんだな。ちょっとがっかりしたな。まあ、『とかくこの世は住みにくい』ってギリシャの哲学者も言ってたっけ。だれだったかな。

高い空を鷲が舞っていた。

山道にはアネモネの花がたくさん咲いていた。他にもヒヤシンスに良く似た花があちらこちらに群れを作って咲いている。眼下に見えてきたナザレの町の周囲の畑は、収穫の終わったぶどう畑や、今まさに収穫が続いているオリーブの木々が見えた。今の乾季が終わると雨の季節がやってきて、今度は地面を耕して穀物の種まきが始まる、とおじいさんから聞いていた。冬場は結構寒くて、雪が降ることもあるそうだ。ルークはまだ、雪が降っている様子を見たことがなかったので、楽しみにしていた。

いつもの岩場でジーザスの姿を見つけた。大きな声で歌っている、と思ったら、ふところから笛を取り出して吹きはじめた。気持ちのいい音色だ。ジーザスは笛を吹きながらも体を大きくゆすって踊っている。
 
ルークを見つけたジーザスは手を振った。手を振りながらまだ踊っている。
「君は疲れを知らないみたいだね、ジーザス」とルークは笑いながら言った。
「君もめげないタイプだね。元気に登ってきたじゃないか」
「違うよ。やっぱりさっきはびっくりしたし、がっかりもしたよ。でもジーザスに助けられたね」
「いいや。僕もほんとはがっかりしたんだよ。神のお考えを教える立場の律法学者があんなに威張っているんじゃ、人々がかわいそうだよ。羊飼いがいない羊のようにさまよっているじゃないか。学者や祭司やレビ人は愛ある羊飼いのように人々を牧するべきなのに」
珍しく、ジーザスは憤慨をあらわにした。
「イザヤの書には、父である神について、こう書いてあるんだ」と言って聖書を暗唱する。

主は牧者のごとくその群れをやしなひ
その腕にて小羊をいだき
之をその懐中にいれてたづさへ
乳をふくまする者をやはらかに導きたまはん
(イザヤ書第四十章十一節)

ジーザスは持ってきた荷物袋をルークに差し出した。
「ギリシャ語に翻訳された聖書の巻物だよ…全部じゃないけど。君にあげるよ。父さんに頼んでおいたら手に入れてくれたのさ。ルークはやっぱりギリシャ語が一番胸に響くだろうと思ってね。はじめは難しいと思うだろうけど僕も説明するからさ。一緒に少しづつ読もうよ」

ルークは一つの巻物を開きながら恐縮して答えた。
「これって高いんだろう。もらえないよ。今は母さんもお金を節約しているんだ。トロアスにいたころは何でも買えたけど」
「高くはないよ。みんな使い古した巻物なのさ。破れていたり、字が読みにくくなっているところもあるし。『七十人訳』って呼ばれているものだよ。神のお名前のところだけはヘブライ語の四文字で書かれているよ。ほらね。『ヨード(Y)ヘー(H)ワーウ(W)へー(H)』さ。『イェホーワー(エホバ)』だよ。神のお名前さ。『彼は成る』とか『彼は成し遂げる』という意味があるんだ。いい名前だろ。エホバにできないことはないんだよ。何でも思ったとおりに成し遂げるのさ。すごいね。あのね。エホバは僕のお父さんなんだよ」
「君がいつも祈っている神だね。僕も信じられるようになるかな」
「求めれば与えられる。探せば見つけられる。たたけば開けられる…。君がこの町に来たことは偶然ではないよ。神に導かれたのさ。だから、君もきっと見つけられるよ。真の神をね」

その時だ。ルークの頭上に黒い影が舞い降りた。それはルークの肩の上にいた猫のテオフィロをつかみあげて空へ飛んだ。ジーザスは手に持っていた笛でその影をたたいた。黒い影―鷲は、かろうじて片足であわれな猫をつかんでいた。猫は必死で抵抗した。毛足が長いことが幸いしたのだろう。かなりの高さからだが、小さな猫は鷲のつめを逃れて、落ちてきた。テオフィロは勇敢に着地した。やわらかな草の上だった。
「テオフィロ!」駆け寄るルークとジーザスの目の前で、興奮した猫は、じっとしていた。テオフィロは再び、大きな手に包まれて、安心した。どこにもけがはなかった。ルークの懐に急いで潜り込んだ。
 
安心した二人の少年も笑顔を取り戻した。

岩場にはあわてて放り出された「巻物」が長く広がっている。イザヤ書のその部分にはこのように記されていた。

『異邦人のガリラヤ、暗きに座する民は、大いなる光を見、死の地と死の陰とに座する者に、光のぼれり』


自作 | 00:00:00 | コメント(0)
♯DearMe 親愛なる私へ
最近、ボクのなかで英語熱がまたやってきていまして、ユーチューブをあれこれと見ていたら、とっても元気な日本人の女の子の動画を見つけました。「バイリンガール英会話」のChikaさんです。もう、とっくに知ってるよ、という皆さんも多いことでしょうね。

遠慮のないナチュラル・スピードでしゃべってくれるので、リスニングの訓練にとてもいいのです。アメリカでの日常もたくさん紹介してくれているので、見ているだけで、そこで暮らしているような気分にもなれます。日本語での説明もつけてくれますし、Bookishな勉強ではない、livelyで楽しいおしゃべりに自分も加わっているような錯覚に陥ります。
Hi,guys! I'm Mametaro. Call me Mr.Bean.…なんて言ってる自分が思い浮かびます。夢想です。

アメリカの女の子たちは、みんなChikaさんみたいに、ナチュラルで、自分の個性に自然な自信を持って、活き活きと生きているのかな~、いいな~、なんて勝手に思っていたのですが、今日見つけた動画にとても考えさせられ、同時に感動しました。

3月8日(明日ですね)の「国際女性デー」に向けて、YouTubeが始めた♯DearMeキャンペーンの動画の一つです。



Chikaさんにも自分に自信が持てない若い日々があったんだな~、ボクと同じだったんだな~なんて、もうすぐ61才になる、面の皮の厚い爺さんの(いやほんとはナイーブでコンプレックスの塊の?)豆太郎は心を動かされたのでした。
Chikaさん、ますますファンになりました。ありがとう。

女の子が元気な国はいいなぁ~と思います。日本のアイドルグループの活躍を、そんなお父さん目線でいつも見ているボクなのです。

「神の王国」の支配する地球では、女の子も男の子もみんな、はちきれんばかりに元気なんでしょうね。
ハレルヤ! 待ち遠しいなぁ~。

今はまだ、悩みが尽きない人生だけど、エホバを知れた喜びに感謝ですね。
自分らしく生きていきましょう!!

about me | 19:45:01 | コメント(0)
祈ってますか?②
家族との通話、1日24時間無料
もし、そんなサービスがあったら、携帯電話をつなぎっぱなしにして、イヤホンをしながら、歩いていても車を運転していても家族と話している人もいるかもしれませんね。それが癖になっていると、例え携帯電話を忘れていても、ぶつぶつと独り言のように話している、変な人になってしまうかも。

…天の父に話しかける「祈り」は、そのようなものかもしれない。

ボクらはいつでも、「あのね、お父さん…」と話しかけることができます。もちろん何かの機械は必要ない、だから基本料金も取られません。「ただいま、電波が届かない…」なんてこともない。天の父は電話を切ってしまっているということもない。
世界中どこにいてもかけられる、完全無料のコミュニケーション・ツール、それが祈りですね。

難点は一つだけ。天の父の声は聞こえないということ。でも、必ず聞いてくださっているし、別の方法で答えてもくださる。
ボクらに必要なのは、天の父への信仰です。
(ヨハネ第一 5:14) そして,わたしたちは[神]に対してこのような確信を抱いています。すなわち,何であれわたしたちがそのご意志にしたがって求めることであれば,[神]は聞いてくださるということです。

どうしたら、祈りを改善できるのでしょうか?
若い人向けの記事に次のようなアドバイスがありました。

*** 目 08/11 27ページ どうしたらもっとよい祈りができるだろう ***
アドバイス: 一日のうちいつ祈るのがよいか,決めておきましょう。紙に書いておくこともできます。約束の時間を忘れないようメモするのと同じです。「祈る時間をきちんと決めておかないと,ほかのことが割り込んできます」と日本の佳子(18歳)は言います。
アドバイス: どうしても考えがさまよいやすいなら,集中できるようになるまでの間,短く祈るようにしてみましょう。あるいは,心の中にあることを祈るようにしましょう。「13歳になってから,祈りは本当に神とのコミュニケーションなんだ,とよく考えるようになりました。それで,心を開いて神に祈りたいと思うようになりました」とロシアのマリーナ(14歳)は言います。
アドバイス: 祈りが自動操縦中の飛行機のようになっているなら,毎日,その日に受けた特別な祝福を一つ書き出してみましょう。そして,その祝福についてエホバに感謝を述べます。これを1週間続ければ,同じことを繰り返さずに,新しいことを七つ祈れます。毎日の出来事についてもそうできます。「祈る時には,その日に起きたことを考えるようにしています」とブラジルのブルーノ(21歳)は言います。米国のサマンサ(18歳)もそうしています。「小さなことでも,ほかの日にはない今日だけのことを思い出して,そのことを祈るようにしています。そうすると,何度も何度も同じ祈りをしないで済みます」
アドバイス: エホバは「祈りを聞かれる方」である―これは間違いのない事実です。(詩編 65:2)ですから,祈ったなら,物事を広い視野で見るようにしましょう。自分の期待どおりの答えを待つのではなく,すでに何らかの答えが与えられていないか考えてみましょう。クリスチャンであるあなたがいま忍耐できていること自体,エホバが祈りに答えてくださっていることの証拠ではないでしょうか。問題を取り除く代わりに,耐える力を与えることによって,答えてくださっているのではありませんか。―フィリピ 4:13。
アドバイス: 個人研究として,次の聖句を調べ,黙想してみましょう。ルカ 12章6,7節,ヨハネ 6章44節,ヘブライ 4章16節,6章10節,ペテロ第二 3章9節。そうすれば,エホバが祈りを聞きたいと願っておられることが分かるでしょう。あなたが際立って立派なクリスチャンでないとしても,祈りを聴いていただけるのです。詩編作者ダビデも,不安や苦悩を経験しました。それでも確信を持ってこう述べています。「エホバは心の打ち砕かれた者たちの近くにおられ,霊の打ちひしがれた者たちを救ってくださる」。 ―詩編 34:18。


いつでも自然に神さまに語りかけることができる人になりたいですね。


パンセ | 00:00:00 | コメント(0)
ムカムカとイライラと…やれやれ
●ボクは「地獄の責め苦」の教理にはムカムカします。

死によって罪を償った人を、死後においても苦しめる、しかも火に焼かれるような極度の苦しみが永遠に続くなんて聞こうものなら、「そんなバカな!!」と叫びたくなります。神さまを悪魔のようにしてしまうこの教理には我慢がなりません。ほんとうにムカムカします。
→地獄なんて、ないよ!
→幼児の地獄


●ボクは「三位一体」の教理にはイライラします。

神さまを、三つの顔を持った、不可解な多重人格者のようにしてしまうこの教理には、怒りの気持ちがこみ上げます。特に、父と子の間にある美しい愛の関係を、不思議な自己愛(ナルシズム)に変えてしまうこの教理には、ほんとうにイライラします。
→新プラトン主義の悪影響④三位一体
→非・三位一体

●ボクは聖書から神さまのお名前を取り去ってしまうことに、ああ、何たることか!やれやれと思います。「主の名前は主である」なんて翻訳には、本当にあきれてしまいます。はあ? そんなに神さまのお名前を無きものにしたいのですか? 何で? …ほんとうに、やれやれです。
→文語聖書と神さまのお名前
→天の父と子
→エホバ? ヤハウェ?


こんなボクですから、絶対に「異端」です。誇りを持って「異端」として生き、「異端」として死ぬつもりです。

「原始キリスト教研究会」という他愛ないブログの記事の多くは、この、ムカムカ、イライラ、やれやれ、という気持ちから書かれているようです。

では、また。 ヤッホー!ハレルヤ!

パンセ | 00:00:00 | コメント(0)
次のページ