高橋伸児(たかはし・しんじ) 編集者・WEBRONZA
1961年生まれ。「朝日ジャーナル」「週刊朝日」「アサヒグラフ」、論壇誌「論座」、PR誌「一冊の本」、単行本・新書の編集部を経て、2011年から言論・解説サイトWEBRONZA(朝日新聞社)の編集者。つくった本は、『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、藤崎康『戦争の映画史―恐怖と快楽のフィルム学―』、中島岳志『秋葉原事件』など。
ゲイリー・P・リュープ 著 藤田真利子 訳
本書を見るなり、「こんなホモ野郎の歴史なんて気色悪いじゃねえか!」と怒るマッチョはさすがにもう少ないかもしれない。
最近は「LGBT」(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)という言葉も少しずつ知られるようになって、彼らの権利を主張するパレードがニュースになったりするし、男性同性愛にかぎっても「BL」(ボーイズラブ)や「やおい」といったコミックの一ジャンルが女性たちの支持を集めている。
『男色の日本史――なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか』(ゲイリー・P・リュープ 著 藤田真利子 訳、作品社)
とはいえ、日本は同性愛に対する抵抗感がまだまだ強い社会だ。なので、こんなたぐいの本を紹介するときは、自分のよって立つ位置を明かしたほうが無難だというご指摘もあり、あらかじめ断っておくが(めんどくさいなー)、僕はまったくそのケの自覚がない(と思う。BLもとても読めそうもない)。
だが、この本に書かれた江戸時代の性の奔放さには、驚くやら呆れるやら感心するやらで、すっかり堪能できたのだった。
収録されている多くの春画も、「眼福」とまでは言わないが、これまた驚くやら呆れるやら感心するやらであった(BLのコミックはよく知らないが、これら春画の身もふたもない描写は、ある意味、痛快ではある)。
江戸時代が性の自由にあふれていたというのは、多くの先行研究があるが、海外の専門家が日本の「男色」(本書では「なんしょく」と読ませる)をここまで系統的に明らかにしたのは世界初であり、待望の翻訳書らしい。
著者はアメリカの「徳川時代」を中心とする社会史研究者。アメリカといえば基本はマッチョ文化の国だから(同性愛に寛容なのは、おおざっぱに言えば東海岸と西海岸など限られた大都市部だけだろう)、自身の研究を同僚に話したら、「破廉恥呼ばわり」されたり、「そんな研究をしたらキャリアはおしまいだ」と言われたというが、学会では今でも鼻つまみものかもしれない。
さて本書が強調するポイントは以下の1点に尽きる。
中世以降の武士や僧侶にはじまり、江戸時代にいたって、徳川家の歴代将軍から武士、僧侶、町人、文化人まで、特に都市部において男性の同性愛は「ふつうのこと」だった。つまり、ほとんどの男の性意識は「“両性愛”だったのである」。
これはいくらなんでも誇張じゃないかなあ、と疑いつつ読み進めたのだけど、古代ローマやギリシャ、中世ヨーロッパのホモセクシュアル観とも対比させつつ、多くの文学作品(井原西鶴、松尾芭蕉、上田秋成、山本常朝、平賀源内等々、おなじみの人物が続々登場)など莫大な資料を読み解きつつ、「男色、女色のへだてはなきもの」(西鶴)という社会を知るにつれ、違和感が徐々に薄れていく。
おそらく、個々の資料の「解釈」には牽強付会のところもあるに違いない。
たとえば、弥次さんと喜多さんはもともと互いに「性のパートナー」だったとか、『忠臣蔵』での吉良上野介と浅野内匠頭は、目をかけていた男の子が原因で衝突したなどとあるのだけど(ホントかなあ)、そうすると、『水戸黄門』の助さん格さんと黄門さまは、ややこしい関係だったのだろうかとか、清水次郎長と子分はどうだったのかとか、『七人の侍』たちはどれだけスゴイ間柄だったのかと、くだらない妄想を抱いて作品を再見したくなるのは困ったものだ。僕が下世話にすぎるからだけど。
それにしても、実に微に入り細にいった研究成果であって、ここで書くのもはばかられるアレやナニ、その他のアレコレの話題も発見の連続だが、なかでも収穫だったのが、「役割分担」のこと。
つまり、「挿入者」と「被挿入者」の関係が、年長者が「挿入」、若い方が「被挿入」と決まっていたというのだ(男娼がからんだ場合は例外)。これはもしかすると、有名な「史実」なのかもしれないが、ともかく、江戸時代以前に普及していた宮廷、寺院など「権力」を持つ者が「稚児」や下男、従者を対象にしてきたことの影響であり、江戸時代ではさらに儒教思想が反映されたというのは説得力がある。
結局、自由奔放な性の文化も社会秩序や思想の拘束から出られなかったわけだ。だから逆に、江戸幕府は同性愛をほとんど弾圧しなかった。つまり、「両性愛」は家父長的/身分制の秩序を脅かすことはないと考えられたからだ。藩によっては「茶屋」(男娼の宿)規制など、お触れを出したところもあるようだが、それも「道徳的」な懸念からのものではなかったという。
さて、こんな特異な文化が明治期以降に劇的に廃れていったのは、日本が「世界システムの仲間入り」をしたことにあるという。西洋文明が日本に流れ込んできた際に、「同性愛恐怖」といった知識も導入されたのだ。
当時の「支配層」もメディアも同性愛に否定的な論陣をはった。ちなみに、「進歩的」で有名だった新聞「萬朝報」も、学生に同性愛が蔓延している暴露記事を載せた。こうして一気呵成に人々の意識が「同性愛=悪」に変わるあたり、著者はさらりと書いているけれど、僕はここは本書の隠れたキモとして読んだ。
発想が飛躍しすぎかもしれないが、中世の武士に同性愛が広まったのは、彼らの周辺に女性が少なかったのが大きな理由だということからすると、仮に江戸時代までのように同性愛が公然と認知されていたら、第二次大戦で「慰安所」を設置しようという軍の発想は生まれなかったのかもしれないと思った。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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