2015年03月15日 (日) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(6)


『人間知性論』のなかで、
ジョン・ロックはいう。

「たとえ指を切り落としたとしても、
自己が減ることはない。
肉体は自己ではないからだ」、と。

指じゃあ、自己は減らないかもしれないが、
首ならどうなんですかね。

話をもう少し細かく具体化して、
脳のほんの一部を「切り落とした」ら、
どうなるか。

ロックの意見それ自体が変化するか、
切り落とす脳の部位によっては、
全部の意見が消えてしまう。

無思想の発見 (ちくま新書)無思想の発見 (ちくま新書)
(2005/12)
養老 孟司

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2015年03月01日 (日) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (47)


もしもあなたが詩人なら、
この紙の上に雲が浮かんでいるのが、
はっきり見えることでしょう。

雲がなければ雨は降りません。
雨が降らなければ、木は育ちません。

そして木がなければ紙はできないのですから、
この紙がこうしてここにあるために、
雲はなくてはならないものなのです。

もしここに雲がなかったなら、
ここにこの紙は存在しません。

それで雲と紙はインタービー(相互共存)して
いるといえるのです。

微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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2015年02月15日 (日) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(5)


大家族の家単位だった私的空間が、
憲法上つまりタテマエ上は、
個人という実質的最小単位まで

小さくなってしまったのが、
戦後という時代である。

そうなると、実質とタテマエをなんとか
工夫してすり合わせるのが日本人だから、
どうなったかというなら、

「大きい」家族を、「小さい」個人のほうに
できるだけ寄せるしか手がない。

無思想の発見 (ちくま新書)無思想の発見 (ちくま新書)
(2005/12)
養老 孟司

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2015年02月01日 (日) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (46)


抱擁はたいへん楽しい西洋の習慣です。
私たち東洋の人間としては、この習慣に
意識的呼吸を合わせて行ってみたいと思うのです。

子どもを抱くとき、あるいは、母親を、
夫を、友人を抱き締めるとき、
三回ほどしずかに呼吸したら、

そのときの幸せな感じは、
すくなくとも10倍に膨らむことでしょう。

抱き締めたとき、気が散ってよそごとを考えていたら、
それはかたちだけのものになってしまい、
抱き締めることの喜びを味わえなくなります。

微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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2015年01月15日 (木) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(4)


結論を先にいおう。

日本の世間における、
私というものの最小の「公的」単位、
それは個人ではなく、「家」だった。

日本の世間は「家という公的な私的単位」
が集まって構成されていたのである。

そういえば、年配の人たちは
たちどころに理解するであろう。
新憲法はそこに「個人」を持ち込んだ。

つまり「自分」が最小の私的単位だと、
公に決めたのである。

無思想の発見 (ちくま新書)無思想の発見 (ちくま新書)
(2005/12)
養老 孟司

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2015年01月01日 (木) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (45)


慈(与楽)のこころは、他人にも自分自身にも、
平和や喜びや幸福をもたらします。

理解という木を育てるのは気づきの観察であり、
慈と悲のこころは、その木に咲く最も美しい花です。

自分のなかにだれかへの慈が芽ばえていることに
気がついたら、すぐにその人のところへ行ってみて
ください。

そうすれば慈のこころは、単なる想像上の出来事でなく、
具体的に世界に働きかける力の源泉となります。

微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
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ティク・ナット ハン

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2014年12月15日 (月) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(3)

近代的自我の進入

俺もお前も一緒くたの世界に、
ある日突然、
実存的主体としての自己が進入してきた。

これを西欧近代的自我という。
当時はなんでも欧米を見習えという時代だから、
それはそれで仕方なかった。

しかし、もともと世間にそういうものは
なかったんだから、
これがいかに厄介な問題を引き起こしたか、

たいていの人はなにか気づいているのでは
なかろうか。

無思想の発見 (ちくま新書)無思想の発見 (ちくま新書)
(2005/12)
養老 孟司

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2014年11月15日 (土) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(2)

一人称の不思議

自分を表現する日本語は数多い。
ワタシ、ワタクシ、オレ、オイラ、ボク、小生、
時代劇なら拙者、身共(みども)、それがし、などなど。

英語にかぎらず、たいていの言語では、
自分を表現する言葉は一つで済む。

なぜ日本語には自分を示す言葉がたくさんあるのか。
たくさんあるということは、じつは「定まった私」
なんて、ないということではないのだろうか。

無思想の発見 (ちくま新書)無思想の発見 (ちくま新書)
(2005/12)
養老 孟司

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2014年10月22日 (水) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(11)


浄土教の経典に出てくる阿弥陀という
仏が浄土教の中心に位置します。

この阿弥陀という名前自体、
大変面白く、
深い意味があります。

「阿弥陀」という言葉は、
もともとサンスクリット語で、
これはヨーロッパ系の言葉ですから、
英語やドイツ語などと構造が似ています。


「阿」というのは否定をあらわす言葉です。
なにを否定するかというと、
「弥陀」を否定しています。


親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

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2014年10月15日 (水) | Edit |
藤田紘一郎著 50歳からは「炭水化物」をやめなさい
~病まない・ボケない・老いない「腸」健康法~より(20)


フィトケミカルは、第一の健康効果は抗酸化作用ですが、
種類によってそれぞれ違った健康効果ももっています。
ですから、さまざまなフィトケミカルを毎食とるよう心が
けると、健康増進を多角的に進められます。

おすすめは、彩りよく野菜や果物をそろえること。フィト
ケミカルは、野菜の色素成分ですから、同系の色の野菜に
は、同じようなフィトケミカルが含まれます。

50歳からは「炭水化物」をやめなさい。 ~「病まない」、「ボケない」、「老いない」体をつくる腸健康法~50歳からは「炭水化物」をやめなさい。 ~「病まない」、「ボケない」、「老いない」体をつくる腸健康法~
(2012/09/21)
藤田 紘一郎

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