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【戦後70年~大空襲・証言(6)】「このままでは死んでしまう!」びしょ濡れの布団かぶり火の粉の中へ「火だるまになって倒れる人も…」吉田昭子さん(78)=東京都府中市在住

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【戦後70年~大空襲・証言(6)】
「このままでは死んでしまう!」びしょ濡れの布団かぶり火の粉の中へ「火だるまになって倒れる人も…」吉田昭子さん(78)=東京都府中市在住

昭和20年5月25日深夜にあった「山の手大空襲」の記憶を語る吉田昭子さん=2月5日、東京都府中市(石井那納子撮影)

「はぐれたら生きていけない」火の粉舞う中、弟の手を固く握り…

 「防空壕に入ったままでは死んでしまう」。兄がそう言って私と弟を引っ張り出しました。

 寝ていた部屋から掛け布団を持ち出してきて、一体何をするのかと思ったら、それを防火用水の大きなおけにためらいもなく「じゃぼん!」て。弟と私を両脇に抱えるようにすると、ほとんど絞らないままびしょびしょにぬれた布団を頭の上に広げたの。3人で火の中を走って逃げました。

 通りには火の粉が舞い上がっていて、電線はショートして焼き切れ、建物も燃え崩れる中で、防空頭巾に火がついて消せないまま火だるまになって倒れ込む人を何人も見ましたよ。

 助けてあげたいと思ったけど、子供だから倒れた人を担ぐ力もないし、立ち止まるわけにもいかない。だって、兄とはぐれてしまったら私は絶対生きてはいられないもの。「兄についていけば何とかなる」。私はその一心で、弟の手をきつく握って必死で走ったの。

 B29が見えなくなったころには空が白み始めていて、びしょびしょだった掛け布団がすっかり乾いていました。信じられないでしょ。表面には火の粉で焦げた穴がいくつも空いていて、炎の熱さというか空襲の恐ろしさを身をもって知ったのはこの時ね。

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