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【戦後70年~大空襲・証言(6)】
「このままでは死んでしまう!」びしょ濡れの布団かぶり火の粉の中へ「火だるまになって倒れる人も…」吉田昭子さん(78)=東京都府中市在住
東京の空襲というと、京王線幡ケ谷駅(東京都渋谷区)の近くに住んでいた私はどうしても5月25日深夜の「山の手大空襲」が思い起こされるわね。見たことがないほど多くのB29が空を埋めていて、焼夷(しょうい)弾を投下する光景に圧倒されて声を失いました。
当時は8歳と幼かったけれど、空襲の被害を小さくとどめるための建物疎開で渋谷区内を転々としていたし、24日の夜にも表参道周辺で大きな空襲があったことは知っていたから、ついに来たと思ったものよ。
わが家は子だくさんだったの。上は10近く年の離れた姉から、下はまだ物心つかない妹まで6人の子供がいたけれど、父の方針で誰も疎開はしていなかったんです。父いわく、もし子供だけ残ってしまったらかわいそうだから、危険な状況になったときは家族一緒に死ぬべきなのだそうよ。
そうした事情もあって、空襲となると、私はいつも年の近い兄と弟と手を取り合って逃げていたの。この日もそうだったわね。
B29を見て、まずは自宅前にあった自宅前にあった隣組共同の防空壕(ごう)に弟と逃げ込みました。父と兄は自宅を類焼から守ろうと消火作業をしていて、母も妹をおぶったまま手伝っていました。でも、火の勢いはどんどん増していった。
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