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【戦後70年~大空襲・証言(5)】「寒い日だったが、焼夷弾で地面が温かかった」石渡元治さん(80)=東京都板橋区在住

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【戦後70年~大空襲・証言(5)】
「寒い日だったが、焼夷弾で地面が温かかった」石渡元治さん(80)=東京都板橋区在住

城北大空襲を振り返る石渡元治さん=東京都板橋区(玉崎栄次撮影)

「サツマイモ、もう1本食べていい?」疎開から戻った時のうれしさは…

 4月末には、群馬県の山間地にある平井村(現藤岡市)へ疎開して、寺のお堂で寝泊まりしていた。都会の子供は栄養不足で、体が小さくてね。同じ学年でも田舎の子供は大きかったなあ。

 当時、私は級長でした。現在と違って、24時間その役割から離れられません。あるとき、軍隊帰りの若い教師に呼びつけられて、いきなり拳骨で殴られたこともありました。「なぜだか分かるか」。先生はそう言いました。「なんで、そこまで俺がしかられるの…」。そう思いました。先生は、仲間たちの悪さやだらしなさ、それらはひとえに責任者である級長の立場にある私のせいだというのです。級長でありながら、仲間を統率しきれない私に対する警告でした。「軍隊ってそういうところなんだ」と後になって思いました。

 東京の自宅へ戻ったのは、終戦から3カ月後のことでした。サツマイモを1本食べて、「もうひとつ、食べていいの?」と母親に聞きました。「うちなんだから、いくつ食べてもいいんだよ」。母親からそう言われたときのうれしさに、涙がこみ上げてきたのを今でも覚えています。生まれ育った家が一番だなあと心底思いました。

 再開した学校で最初の授業でやらされたのは、筆に墨を付けて教科書を塗りつぶす作業でした。大人たちは、まさに手のひらを返すようなありさまでした。(談)

 先の大戦から70年という節目の年を迎え、産経新聞社会部は引き続き、後世に伝える戦争体験者の「声」を集めています。遠い戦地に赴き生還された方、戦争で大切な人を失った方、戦火を避けるため疎開生活をされた方、戦中戦後の苦しい生活などの体験談や情報、写真など語り継ぐべき「声」をお寄せください。

 宛先は〒100-8077(住所不要)産経新聞社会部「声」係。FAXは03・3275・8750。Eメールはnews@sankei.co.jp

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